ノート:交通戦争

最新のコメント:8 年前 | 投稿者:2400:4135:8D71:A900:102E:6D1F:B4CF:1FB7

この記事の内容は、「子供」(かつ歩行者・自転車利用者等が被害者となるもの)に関する交通事故に偏重しています。それ以外の人の死傷に関する交通事故についても記載が必要です。この記事の対象となっている時代の交通事故(または重大な人身事故)の多発が「交通戦争」と呼ばれたのは、主に「子供」が被害者となる事故の多発を意識して、そう呼ばれていたのでしょうか?
「死者は歩行者が最も多く、それも多くが子供であり、特に多数の幼児が犠牲者となっていた。」
恐らくこの記事の記載は事実なのでしょうが、統計資料等の出典をお願いします。
歩行者の交通事故の死傷者の大半が小学生以下となることは、一般論からみると特異なケースと思われます。いくら現況のような「少子化」から程遠い時代だとしてもそうです。まして幼児(ここでは未就学児を意味するのでしょう)は行動範囲が狭いです(主に保育所・幼稚園への通園経路等、日常生活圏に限られ、かつその範囲は小学生以上の人に比べて狭いはずです。)。それほど遠くに出歩かない幼児が歩行者の交通事故の死傷者の相当数を占めることは、極めて特異なケースのはずです。仮にそれが事実だとしたら、交通事故以外の屋外での人身事故(水難・転落等)も、被害者が幼児や低年齢の子供が占めねばなりません。
「華々しい経済発展とモータリゼーションの普及とは裏腹に、ドライバーは仕事に追われ、歩行者は車に対して無防備な時代であった。一般社会の中では車と共存する社会生活様式にはまだなっていなかった。」
当時のドライバーは後年(1980年代~今日)以上に過酷な状況下にあったのでしょうか?トラック運転手等、ドライバーを職業とするものの労働環境等の苛酷さは、後年でもあるはずです。客観的な比較は困難でしょうが、後年との比較事例など追記していただきたいです。
むしろドライバー自身が重大な死傷事故の被害者となる危険が高かった(そうした事故が多発していた)からこそ、それが交通問題のみならず社会問題となり、それが「戦争」に例えられた可能性も否定できません。ドライバーが事故で歩行者等を死傷させたとしても、ドライバー自身は重大な死傷者にならないことも多いです。その事故のために職場を解雇されたり交通刑務所に入ることもあるでしょうが、自らが死傷しないのに「戦争」に例えるでしょうか?
当時の道路交通事情についてですが、ある道路交通に関する著書によれば、著者が1970年代初頭に運転免許を取得した際、自動車が「走る棺桶」と呼ばれた世情で、親などは著者の事故死を相当危惧していたようです。また、1970年代に発行されたある百科事典の「栃木県」の記事によりますと、東北自動車道の開通で「国道死号線」と呼ばれるほど死亡事故の多発していた国道4号線の交通事故が減少したことが書かれています。これらのことから、当時はドライバー自身が重大な死傷事故の被害者となる危険が高かった可能性が高いです。--124.146.191.238 2009年2月27日 (金) 13:47 (UTC)返信

「経済の発展を支えた~」という記述や、無用に詳細な発売自動車車種モデルの紹介は、大勢の児童らが自動車加害により命を奪われ続けた惨たらしい歴史を紹介するページには相応しくありません。ここは自動車により家族が命を奪われた方々も大勢見ていることを考えていきたいものです。該当箇所を修正し、更に有意義な記事にすべく、適切な加筆と修正を致しました。--2400:4135:8D71:A900:102E:6D1F:B4CF:1FB7 2016年2月29日 (月) 21:40 (UTC)返信

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