反論 編集

編集合戦になったわけでもないし、第一、大人気ないので一旦は思いとどまったのですが、考え直してノートに一言書き残しておくことにしました。

大竹国男さんは、2016年11月10日 (木) 15:10編集の要約欄において「偏向した叙述を削除し、中立的な叙述に訂正した。」、2016年11月18日 (金) 21:34 編集の要約欄において「差し戻されるのは結構ですが、当該団体へのバッシングをしたいのなら、wikiではなく余所でやられた方が良いです。ここはあなたの自己満足のための場ではないので。」と書きました。私は、この発言に全面的に反論します。

  • 会話ページにも書きましたが、出典(ページ指定付き)をつけてあるのに確認しないで除去するのは問題行為です。このようなことが許されるのなら、出典付与など無意味です。
  • 大竹国男さんが「偏向」だと主張して除去した数々のフレーズや表現は、私が使った資料にそのまま載っています。専門家が書いた資料でそう言っているから、私はその表現を使ったのです。内容に疑問があったら、まず出典を調べるのがwikipedianの常道です。それを怠るべきではありません。
  • そもそも、修養団に関して、2次資料で肯定的なものはないか、あってもわずかです。専門家の意見がそれを裏付けています。例えば、島田昌和の論文「渋沢栄一の労使感の進化プロセス 帰一会・協調会・修養団」(この論文は、修養団の記事内でも出典として使ったものです)の中に書かれています。せっかくなので以下に引用しておきましょう。
修養団そのものの研究には、創設者の蓮沼門三に関するものとして全般的には、権力との結びつき、企業国家主義の培養、絶対的労働肯定の宗教的境地に似た理念、私の領域への企業の侵食、等を指摘した批判的見解が多い。(綱沢[1997]、松村[1973]、平田[1983]、佐高[1986])
--島田昌和「第5章 渋沢栄一の労使感の進化プロセス 帰一会・協調会・修養団」『進化の経営史 人と組織のフレキシビリティ』、85頁。 
このような資料状況の中で加筆すれば、その内容は自ずと批判的になって当然です。実際に、肯定的意見の2次資料は集まらなかったのですし。しかるに、大竹国男さんは「偏向」「バッシング」だと無根拠に断ずるわけです。そんなこと言われても困るのですよ。資料にないこと、資料とは正反対のことを書くわけにはいきません。
  • 特に唖然とさせられるのが、要約欄での「当該団体へのバッシングをしたいのなら、wikiではなく余所でやられた方が良いです。ここはあなたの自己満足のための場ではないので。」なる発言です。有意な加筆はおろか、出典の下調べ1つしなかった人が、資料集めをして加筆した人間を「自己満足」呼ばわりしたあげく、お前はwikipediaに書くなと説くとは、えらく珍妙な話ではありませんか。
  • 大竹国男さんが、私の加筆した内容が否定的過ぎると思うのなら、次のようにして下さい。「'確認なしで出典付きの文章を除去するのではなく、肯定的見解の信頼できる資料を探してきて、出典を明記の上その内容を追加してください。」wikipediaの方針に則った編集態度とはこういうものです。--亜顎十郎会話2016年11月23日 (水) 15:47 (UTC)返信

編集取り消しの理由、あるいは「恣意的に」編集したのはEityan200さんの方であること 編集

利用者:Eityan200さんは、 この編集において 大量に文章の除去・改変を行いましたが、それを取り消しました。 理由は、Eityan200さんが出典を確認せずに編集したことが明瞭だからです。 また、Eityan200さんは要約欄において「表現に恣意的な部分があるため、中立な表現にしました。」と書きましたが、 「恣意的」に編集したのは私ではなく、逆にEityan200さんの方です。

以下に適当に選んだ具体例4つをあげて例証します。Eityan200さんが出典を確認せずに文言を削除していること、信頼できる資料に基づいた編集ではなく、たんに自分の気に入らない部分を「恣意的」に改変しているだけであることは明瞭です。

  • 例えば、Eityan200さんは「修養団は、1906年(明治39年)2月11日に蓮沼門三が作った思想教化団体である」を「社会教育団体」と書き換えていますね。しかし、私がつけた出典の堀幸雄「右翼辞典」の定義では、「思想教化団体」と書かれています。しかも、Eityan200さんの編集では、出典はそのままですから、これでは「右翼辞典」では修養団は「社会教育団体」として定義されている、と言っているのと同じです。実際にはそう書かれてはいませんから、このままでは私が出典虚偽を行っていると非難されます。このような編集は容認できません。
  • Eityan200さんは、「「総親和」「総努力」をスローガンに皇国魂を普及させる『白色倫理運動』を展開」という部分から「皇国魂を普及させる」を除いていますね。しかし、私がつけておいた出典にはそのように書かれています。念のため引用しておきましょう。
(前略)流汗鍛錬、同胞相愛をモットーとし、総親和、総努力の皇国魂を普及させる「白色倫理運動」を展開した戦前・戦後期を通じて(後略)
上記の引用文章は、橘川武郎・島田昌和編集「進化の経営史」のp.98を読めば見つかります。Eityan200さん、出典にそのものが書かれているのに、わざわざ除去する理由がどこにあるのですか。
  • Eityan200さんは「修養団の教えは企業にとって都合が良かったため」とあるところを完全に除去していますが、佐高信の『日本の会社と憲法』の中に「企業に都合がよかった」とちゃんと書かかれていますよ。Eityan200さん、あなたは出典を確認していないし、確認する気がありませんね。
  • その他の例では、後半にある「修養団はうまく立ち回り解散を免れた」を「GHQから存続を認められた」に改変していますが、出典に使った佐高信の『日本の会社と憲法』には「うまく立ち回り解散を免れた」と書いてますよ。また、ここでは使いませんでしたが、修養団発行の「80年史」でも、解散の噂が出てから修養団がGHQとコネクションのある人物を介して接触していることが書かれていますよ。Eityan200さん、何故あなたは出典を調べないのですか。

わずか4例ですが、これだけでも、Eityan200さんが、出典を確認せずに「恣意的」に削除・改変して回ったことは明白です。そのような編集を野放しにすることはできません。これが、私がEityan200さんの編集を取り消した理由です。

それにしても、Eityan200さんの編集は、昨年末の利用者:大竹国男さんや利用者:西島秀岳さんのそれらと そっくりです。昨年の中頃までは修養団の記事で大規模な削除が行われたことはないというのに、 どうしてここ3ヵ月の間に、3人もの人が現れて同じ箇所を削除して回るのでしょうか。きわめて奇妙なことです。--亜顎十郎会話2017年1月24日 (火) 15:36 (UTC)返信

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