ノート:北九州市病院長殺害事件

最新のコメント:3 年前 | トピック:改名提案 | 投稿者:要塞騎士

改名提案 編集

本事件についてですが、事件当時の新聞報道などを見てみたところ、以下のような形で言及されております(以下、年数などを表す漢数字はアラビア数字に置き換えている。また、被害者名は「A」と表記)。

北九州病院長殺害事件 — 『朝日新聞縮刷版 1980年(昭和55年)3月号p.35(巻頭索引)
11 4 北九州市の病院長殺人、死体遺棄事件発生(福岡、大分) — 『警察白書』昭和55年度 p.293(巻末の「昭和54年の主なできごと」)警察庁 編『警察白書 警察活動の現況 昭和55年版大蔵省印刷局、1980年8月15日、293頁https://www.npa.go.jp/hakusyo/s55/s55s2.html 
北九州市で54年11月起きたA病院長(当時61)バラバラ殺人事件で…(以下略) — 第一審判決を報じる『朝日新聞』1982年3月17日西部朝刊[1]
54年、北九州市で起きたA病院長(当時61)殺害事件で…(以下略) — 控訴審判決を報じる『朝日新聞』1984年3月14日西部夕刊[2]
北九州市・A病院長殺害事件の…(以下略) — 『読売年鑑』1988年度版330頁
54年11月、北九州市で起きた病院長バラバラ殺人事件で…(以下略) — 上告審判決を報じる『読売新聞』1988年4月16日東京朝刊「北九州市の病院長殺害 2被告の死刑確定」[3]
北九州市の病院長バラバラ殺人事件(1979年)で死刑が確定した…(以下略) — 死刑囚2人の刑執行を報じる『毎日新聞』1996年7月12日東京朝刊[4]
日弁連によると、把握している確定判決の統計では、1人殺害で複数被告に死刑が適用された例は、1988年に最高裁で2被告に死刑を言い渡した北九州市の病院長殺害事件だけという。 — 闇サイト殺人事件の第一審判決を報じた『東京新聞』2009年3月18日夕刊[5]
同種のケースは、永山判決以降では、北九州市の病院長殺害事件(1988年に2被告の死刑確定)しかない。 — 闇サイト殺人事件の第一審判決を報じた『読売新聞』2009年3月19日東京朝刊[6]
殺害された被害者が1人の事件で、複数の被告に死刑が言い渡されることは珍しく、確定判決では1988年4月に最高裁で2被告に死刑を言い渡した北九州市の病院長殺害事件以来となる。 — 闇サイト殺人事件の第一審判決を報じた『読売新聞』2009年3月19日中部朝刊[7]
被害者が1人で複数の被告人に死刑を言い渡した裁判例は、確定判決では2被告に死刑を言い渡した北九州市の病院長殺害事件の最高裁判決(1988年4月)以降ない。 — 『法学セミナー』2009年6月号[8]

以上のように、本事件について言及する際には「福岡」(県名)よりも、より狭い地域である「北九州市」で発生した出来事である点を強調した例が多く見られます。よって、項目名は「北九州市病院長殺害事件」がより適切なものであると考え、改名を提案いたします。--利用者:要塞騎士会話 / 投稿記録 / 記録 2021年4月26日 (月) 16:03 (UTC)返信

脚注 編集

  1. ^ 『朝日新聞』1982年3月17日西部朝刊第14版第一総合面1頁「S・Yともに死刑 A病院長殺しに判決 福岡地裁小倉支部 冷酷・残忍な犯行 殺害、2人の共同行為」(朝日新聞西部本社)
  2. ^ 『朝日新聞』1984年3月14日西部夕刊第4△版第一総合面1頁「S・Y再び死刑 福岡高裁 A院長殺害に判決 一審通りに認定 控訴棄却 「計画的犯行、許せぬ」」(朝日新聞西部本社)
  3. ^ 『読売新聞』1988年4月16日東京朝刊第一社会面27頁「北九州市の病院長殺害 2被告の死刑確定 複数極刑24年ぶり/最高裁棄却」(読売新聞東京本社)
  4. ^ 『毎日新聞』1996年7月12日東京朝刊一面1頁「3人の死刑執行 橋本政権下で初--東京拘置所福岡拘置所」(毎日新聞東京本社)
  5. ^ 『東京新聞』2009年3月18日夕刊一面1頁「闇サイト殺人 2人死刑 女性拉致監禁 自首の1人は無期 名古屋地裁判決 『無慈悲で残虐』」(中日新聞東京本社
  6. ^ 『読売新聞』2009年3月19日東京朝刊13頁「闇サイト殺人2人死刑・1人無期 「社会の脅威」強調(解説)」(読売新聞東京本社)
  7. ^ 『読売新聞』2009年3月19日中部朝刊一面1頁「闇サイト殺人、2人死刑 自首の1人無期 名古屋地裁判決=中部」(読売新聞中部支社)
  8. ^ ロー・フォーラム 裁判と争点 被害者1人、異例の死刑判決 闇サイト殺人で名古屋地裁」『法学セミナー』第654号、日本評論社、2009年6月1日、139頁。 
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