ノート:博多人形

最新のコメント:11 年前 | トピック:Teru okabeさんの編集について | 投稿者:松茸

Teru okabeさんの編集について 編集

2012年2月3日以降現在に至るまで、Teru okabeさんによる大幅な加筆がありましたが、そのほとんどが博多人形のWikipediaの記事としてはふさわしくない記述で占められているように思います。文章が史料原文と地の文とが判別しづらい状況であり、また文語体めいた(助詞も随所で欠落した)読みづらいものとなっています。また、そもそもその内容のかなりの部分が博多人形自体の説明から逸脱し、人形師一族の歴史になってしまっているようであり、その上Teru okabeさんの本名らしいものを記事中署名したり、文献によらず「話を聞いた」とあったり、独自研究の発表にもなっているものと見受けられます(記事中に私的な質問を書き込むといった行為もあり、「記事の私物化」のような印象も…)。

Teru okabeさんには私の会話ページ利用者‐会話:Teru okabeでそういったことを伝えましたが、本人曰く「高齢でルールがあまり解らない」ということで、数か月経っても改善されないままです(それでいて各種テンプレートを除去したりもしています)。

このような異質な記事の状態が続くのは良くない事態であるので、記事をひとまずTeru okabeさんの編集が入る前の版(この版の時点でも出典が全く無く、問題ではあるのですが)まで差し戻した方が良いのではないかと思いますが、ご意見があればお寄せ下さい。--松茸会話2012年11月13日 (火) 03:39 (UTC)返信

ちょっと驚くべき状態ですね。記事の質をどうこういう以前に、日本語としての読解困難な文の延々とした羅列は異常としかいいようがありません。差し戻しを支持します。Teru Okabeさんの干渉が続くようならブロック依頼も視野に入れなければならないでしょう。「高齢でルールがあまり解らない」は意味不明な文章を投下し続けることの免罪符にはなりません。--Kojidoi会話2012年11月13日 (火) 14:44 (UTC)返信
コメント依頼の方から来ました。松茸さんも指摘されているように、博多人形そのものの解説を逸脱している部分もあると感じます(あくまでも個人的な感想ですが、漫画等の記事に事細かな人物説明が羅列されているのと似たような印象を受けました)。また全体的に文語調で助詞の欠落等がある点については、(言文一致以前の)古い文献を引き写しているのかもしれないな、と感じました。少なくとも、現状の記述が博多人形への理解の助けになるか、と言われると疑問符がつきます。現状の記事を元に情報を取捨選択した上で、博多人形の歴史について誰にも読み易い口語調でまとめられれば素晴らしいことですが、それには人的リソースが足りないと思いますので、加筆前の状態に戻すというのは次善の策といえるのではないでしょうか。--スゥ会話2012年11月16日 (金) 15:50 (UTC)返信
同じくコメント依頼から。記事には「三島宮家譜記録資料、國書寮三島敬雄氏、編修官井上頼國校閲(國造本紀)原文、…」に続けて原文を記載しており、少なくとも『三島大祝家譜資料』の引き写しであろうことは確実と思量します。著作権の保護期間を満了しているかは原書を確認できる方が居ないことには何とも言えませんが、場合によっては差し戻しの上で版指定削除が必要なのではないでしょうか。--LudwigSKTalk/History2012年11月30日 (金) 09:16 (UTC)返信

もう充分でしょう。 Teru okabe側からの編集修正は全く期待できません。一応一週間の保留期間をおいて、1月7日までに状況が動かなければご提案通りの巻き戻しを実行するということで良いと思います。--Kojidoi会話2012年12月30日 (日) 03:29 (UTC)返信

異議ありません。賛成いたします。--Dr.Jimmy会話2012年12月30日 (日) 04:29 (UTC)返信
提案のあった1月7日から更に3日間経ちましたが、何の進展もありませんでしたので、2011年9月19日 (月) 13:55 の版まで差し戻しを行いました。--松茸会話2013年1月10日 (木) 09:56 (UTC)返信

本文中に書かれた「警告文返答」の転記 編集

博多人形2012-12-15T08:23:44‎ Teru okabeさんの版から転記します。投稿者はTeru okabeさん。

警告者に告ぐ、松茸氏及び同調者への警告文返答 編集

警告指摘箇所不明、過去の文書が良いとか、前回の文書にも警告クレーム入れ.当方迷惑、漠然とした指摘意味不明、誤字脱字修正行う所存、詳細判明の上、異議有るなら、松茸氏あなたの、主張論で好きなように書かれれば良いと存ずる、意見文脈の解釈知識有ると考え、誠意持つて文書説明せよ、当方松茸氏の様に覚えめでたく無い、ので、(松茸氏及び数名の同調者からの警告提案の事柄への返答)、同調者募り上げ数の論理誘導は不可と考察する、又了見問う、指摘箇所不明、解釈の齟齬有り魑魅魍魎、心中、愛国無罪心理有りて、異論申す事成ると推察、異議有れば問題文書、指摘文記載し明確に延べよ、(松茸氏の検証文書拝見したい)、前記が良いとか、著作権侵害とか、何の如何なる著作本か、明記せよ、漠然とした苦情後の修正誘導、前文書に戻させる事、良くない(松茸ハンドルネ-ムでの警告意味成すは、なりすまし警告同等、指摘圧力成る者の考え此如何に氏姓名、名乗れ架空警告と見なす)、警告指導内容の知識有り無きや言申す。三島氏申す文中に(原文記載)此レ按ニ國史大系本蒼事紀頭書ニ日ク、考伝、子恐小誤、今鞍呼誤興次致、官本寛本前本作倒レリト有リ、)(錯誤、誤差有リキモ)騒者無視セヨ、三島氏申スウ。当方黒田藩及び福岡、官業製陶所、博多焼き物師技術紹介出来ればとの考え。殆ど須恵町教育委員会にて調査されて居る(須恵教育委員会後援、須恵金錆焼き保存再興の会との今後交流直口伝伝承の事直接談義)、伝承歴史とは解らず知らず伏せられた事、書け無い事、不明の事柄多き事也、問題の有る無きこと、文書筆する事(松茸氏に告ぐ問題無ない)、明治時代編纂原書本有り、開示続く。

ここまで。転記はKs aka 98会話2012年12月15日 (土) 08:40 (UTC)返信

意見を求められているようなので、回答させていただきます。記事の問題点としては以下の通りです(ただし記事については文が長大であるため、大筋での問題点を記すにとどめます)。
1.文章そのものが読みづらい。
Teru Okabeさんの記した文章は、記事でも上記の転記文でもそうですが、助詞がかなりの箇所で欠落し、なおかつ文語体のような文体で記されているため、読解するのにひと手間かかる難文となっているように見受けられます。Wikipediaは百科事典ですから、読んだ人が記事の内容を理解できなければなりません。しかし、Teru Okabeさんの文章は、それとはかけ離れたものであり、「他の人にその内容を理解させようとしていないのではないか」と疑ってしまうような文体になっています。以前会話ページでも記しましたが、「自分にしか分からない文章」で記すのではなく、「万人が読みやすい平易な文体」で言文一致するよう心がけてください。
2.通常の文章と引用文が混在している。
史料から引用した文が、通常の文章に混在しており、どこが引用文なのか判別しづらい状態になっています。Wikipedia:引用のガイドライン#引用の要件にもあるように、引用の際は「記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できること」が必要です。Teru Okabeさん自身は判別できるのでしょうが、これもやはり読む人の事を考えなければなりません。上記で「好きなように書かれれば良い」とおっしゃっていますが、直そうにもどこがどうなっているのか判別が困難であるため、この点についてはTeru Okabeさん自身で直していただくしかないように思います。
3.記事の内容が、記事の主題(博多人形)から逸脱している。
この記事は「博多人形」の記事ですが、「博多の焼き物師中ノ子、一類、氏起り」の節は半分以上が人形職人一族の歴史になってしまっていて、主題(博多人形)とほぼ関係ない記述で占められているように見受けられます。「博多人形」の記事はやはり「博多人形」について語られるべきであり、その職人の氏族の「博多人形」と関係のない部分の歴史は不要です。そういったことを記すのであれば、記事を別に作った方が適切です。
4.Teru Okabeさん自身の感想なり意見なりが記されていたり、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに反している部分がある。
ざっと見た限り、「各判読願いたい」、「個人での判読願いたい」、「必見」、「参拝記念~随行した」(※念のため個人名らしい部分は省略します)、「現地調査立ち会い見聞筆者」、「筆者詳細は知らない」など、Teru Okabeさん自身の感想・意見・行動が記されているらしい部分が散見されますが、Wikipediaの記事はWikipedia:中立的な観点により記さねばなりません。一執筆者の視点で、自分が知っているか知らないかとか、史料を各自判読願うとか、自分が記事主題に関して何かしたとか、そういった記述は全くもって不適切です。Wikipediaはエッセイや私見の発表場所ではありません。
また、後半部分に「ここまでの文章は叔母が手書きしたものを譲り受け、執筆者が所有しているもの、また執筆者が直接関係者から聞き取りしたり、古文書を読むなどして製作したものであるので、著作権の侵害はない」(要約させていただきました)といった旨の記述がありますが、聞き取りや自身の研究や私有の文章などはWikipedia:検証可能性を満たしておらず、Wikipedia:独自研究は載せないに反しています。口伝・伝承の聞き取り結果を発表するのであれば、Wikipediaではなく、しかるべき学術誌に投稿するなり、学会発表するなり、出版社に持ち込んで書籍として刊行してもらうなり、別な方法でお願いします。
Wikipediaでの記述は、あくまで公刊された出典に基づいてお願いします。
以上4点が大まかな問題点ですが、これを是正するにはTeru Okabeさん自身で直していただくしかないように思われます(第三者には、どこがどの出典によっているのか、どこが私有の文章(独自研究)なのか、判別困難なのです)。それで、Teru Okabeさんが「適切な状態に直すのは難しい」とおっしゃるのであれば、Teru Okabeさんの筆が入る前まで戻すのが良いのではないか、と提案しているのです。
まずは、Wikipedia:五本の柱Template:Wikipediaの方針とガイドラインに挙げられている各種基本方針を熟読し、それに従ってみることから始めてみてください。少なくとも、意見を記す際には記事本文ではなくHelp:ノートページに、ということからお願いします。
追伸 上記の転記文で「ハンドルネームではなく氏名を名乗れ、そうでなければ指摘は無意味な警告と見なす」(と私は理解しました)といったことをおっしゃっているようですが、Wikipediaでは現在のところ本名を名乗ることを強制されることはありません。本名でなければ議論しない、ということであれば、やはり現状のWikipediaには不向きではないでしょうか(そもそもこの問題に本名の開示の有無は一切関わっていないように思いますが)。--松茸会話2012年12月15日 (土) 11:58 (UTC)返信
こんな気違いじみた文章を投下している時点で(しかもノートではなく本記事に)、Teru Okabe氏にウィキペディアで編集する資格なしとみなすべきではないでしょうか。これはもはや記事の破壊と言わざるをえないと思います。人の意見もまともに聞く態勢にないようですし、会話ページ以外のブロック依頼を出すことを提案したいです。--Kojidoi会話2012年12月19日 (水) 16:00 (UTC)返信

追伸                                      現在数万検のアクセスが有り、多くの陶業家の人からの質問歴史の観点、技術、興味知識有る方の問い合わせ多く有りました、私を直接知る人との個別の交友が有り電話等の連絡有り現在広報文書技術提供して居ます、諸団体への提供も交流始めて居ます、正木宗七、須恵焼き金錆、なかのこ吉兵衛、吉三郎焼き等有り、失う博多の素焼き、柚掛焼き物師等の四百年間の繋がり技術、貴重な事と考えて居ります。江戸時代から近年までの歴史は山村信榮氏博多人形沿革史、博多人形商工業組合編纂に技術等詳しく書いて有る、私は長い歴史の技術を開示します、金錆の発色技術伝等、土器、磁器製品、色上絵、三価還元ガス、硫黄三価ガスの発生使い方、発色材料使い方など、中ノ子の土の性質等、理解有る方理解出来る方に個別口伝伝書お話します、松茸氏自分のノートへ取り込みして居るが、江戸時代依りの秘密の技法努力知り得る訳無い、外部者主張著作権利無い、博多の素焼き人形技術優れた技術教授された、黒田藩産業促進の知恵私の紹介私アバウトにて記して居ます、長文に成るので残念です書けない、福岡県教育委員会文化課へ数百ペイジの資料私が製作提出して居ます。松茸氏の論考え明白に。手書きの本も多く存在する、三宅酒壺堂製作書、博多人形師小野氏他数名製作書、等多数有る、著作権利関係なく、知る公開権利も有る。--以上の署名のないコメントは、Teru okabe会話投稿記録)さんが 2012年12月27日 (木) 01:13‎ (UTC) に投稿したものです。返信

せっかくのお返事ですが、相変わらず文意が読み取りにくい文体です。まず誰でも一読して分かる文章を書いていただけませんか。
それと、主にWikipedia:五本の柱など、Wikipediaの基本方針を熟読し、理解するよう努めて下さい。その上で、記事については上記で私が指摘した問題点を踏まえ、適切な形に修正してください。いくら技術などを伝承したい気持ちがあっても、その表し方が不適切では何の意味も無いのではないでしょうか。--松茸会話2012年12月27日 (木) 08:33 (UTC)返信

松茸氏へ読にくい文原文を読み説く事を奨めます文中前後の理解必用、同じ事が他の歴史古文書に有り比較検証が必用、時代錯誤も有り他の古文書万葉かなも有り難解古事記の時代検証難解、解釈が多く解読説多く三島氏も説を多いと延べています、明治時代の編纂時国学者等の議論が有り現在の論に至る事有り、誤字送り私にも多く有りますが、原本の中にも多く有る、何故か昔は正式な文字の一部です、現代かな使い表現合わない、私は表現の自由の尊重理念観点から見る原文を読んで貰いたい、言われているとか聞いたとか事その物で有る口伝伝承問題無い、世界の歴史宗教等の表現事柄也立たない。

原文解釈等さまざま有り、読み手の解釈に任せる他無し。 --以上の署名のないコメントは、Teru okabe会話投稿記録)さんが 2012年12月27日 (木) 09:08 に投稿したものです(Kojidoi会話)による付記)。

どうも Teru okabe さんは、ウィキペディアがどのようなものであるか誤解されているように思います。そして、ここまでの話を見ていると、正しく理解するには少々難しいように思われます。ウィキペディアには方針・ルールがあり、その方針にそぐわない記事を投稿することはできません。ウィキペディアは「メディアウィキ」という仕組みを採用しており、自分の文章を容易に公開できるようになっています。しかし、繰り返しになりますが、投稿されるべき文章は、方針・ルールに従った物のみです。
このノートで意見している人たちは、皆で Teru okabe さんをいじめようとか、邪魔をしようとか、Teru okabe さんの仕事を貶めようとしているわけではありません。むしろ、貴重な情報を持つのみならず、それを世に公開し、忘れ去られ失われようとするのを防ごうという意思は尊重されるべきものです。しかし残念ながら、そのための場所として、ここウィキペディアはそぐわないのです。
最近では個人でウェブサイトを作ることも割と簡単にできるらしいので、周りの方と相談しながら、Teru okabe さんご自身の手でウェブサイトを作成してみてはいかがでしょうか。おそらく、Teru okabe さんが今使っているプロバイダに問い合わせれば教えてくれると思いますし、インターネット上にも作り方の解説は多数あります[1]
よろしくご高察のほどお願い申し上げます。--Calvero会話2013年1月7日 (月) 19:54 (UTC)返信
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