朝廷との関係で言えば延喜式に記載のある物はあくまでばくちではなく神事であり(大きく見ても賭博の歴史に含まれる)、能動的な存在として社会基盤を構成した博徒自身は貨幣経済の農村への浸透により成立した19世紀の無宿の存在では?

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