ノート:呉振宇

最新のコメント:11 年前 | トピック:呉振宇の最終階級について | 投稿者:Ashtray

呉振宇の最終階級について 編集

  現在、呉振宇の最終的な軍事称号(階級)を巡り、私AshtrayとSLIMHANNYAさんの間で二つの論に分かれています。「朝鮮民主主義人民共和国次帥」と「朝鮮人民軍元帥」です(※一応解説しておきますが、北朝鮮軍の階級序列は、人民軍大将 < 人民軍次帥 < 人民軍元帥 ≒ 共和国次帥 < 共和国元帥 < 共和国大元帥)。
1992年4月20日、金正日が共和国元帥となった同日、呉振宇は共和国次帥の称号を授与されています。その事は既に、専門家による出典を伴い加筆しています[1]。また、1995年2月25日の死亡時の階級が共和国次帥であった事実は、こちらの資料[2]でも確認できます。同年10月8日に崔光李乙雪に人民軍元帥が授与されていますが[3]、それ以前に同階級の保持者は確認できませんでした。
死亡直前に元帥位を授与された、あるいは死後に追贈された可能性もありますが、現在のところ、その年月日を含め、信頼おける資料でそのような事実は確認できないでいます。
SLIMHANNYAさんは、どのような資料を元に、「(共和国次帥から)人民軍元帥に昇格」したなどという記述をなさっているのでしょうか。--Ashtray (talk) 2012年7月20日 (金) 15:45 (UTC)返信
おっと失礼。直近の私の差し戻しについては、Ashtrayさんが「共和国次帥」とした中央日報の出典には「元帥」、その出典には軍元老についての記述で「元帥はみな同じ元帥と思うのか」と書かれていたため、「人民軍元帥」と思いすぐに差し戻してしまいました。それ以前の編集からAshtrayさんが「共和国次帥」としていた出典については見逃していました。さらに「共和国次帥」表記を「人民軍次帥」と勘違いしていました。さらに「元帥」については、英語版と中国語版のwikipedia、複数の中国サイトでの記述(例えばここ[4]」)、元西部方面総監部幕僚長で陸将の福山隆の著作[5]、専門家のサイトにも「共和国次帥」がない[6]などを見て判断していました。いずれにしてもネットを検索すると、共和国次帥、元帥、人民軍元帥、共和国元帥など錯綜してるようですね。--SLIMHANNYA会話2012年7月21日 (土) 00:30 (UTC)返信
なお表記についてはお任せします。「人民軍元帥」が必ずしも正しいことではないことがわかったため。--SLIMHANNYA会話2012年7月21日 (土) 00:31 (UTC)返信
  ご返事ありがとうございます。
確かに、情報が錯綜しているようですが、ここは慎重に「信頼できる情報源」を絞り込むことで対応するしかありません。
そもそも、私が『中央日報』を用いたのは[7]、あくまで誤記誤植の一例としてであり、「呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長は92年4月に元帥に上がった」との記述は、明らかに「共和国次帥」を指すものです。
とりあえず、昨今の新聞記事・ネットソースは、あくまで現在の階級序列しか念頭にないので、これらを歴史的人物の出典に利用するのは控えるべきでしょうね。
一週間が経過した時点で、第三者からも異論反論がでないようでしたら、「共和国次帥」の表記に戻したいと思います。--Ashtray (talk) 2012年7月22日 (日) 12:06 (UTC)返信

Ashtrayさん、SLIMHANNYAさん、お疲れ様です。泉州大夫惟宗朝臣です。今般、話題となっている呉振宇の最終階級ですが、私も興味を持ったので、手持ちの文献を調べてみました。まず、平井久志『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮社〈新潮選書〉、2010年)、45 - 46ページです。

朝鮮労働党中央委員会、党中央軍事委員会、国防委員会、中央人民委員会は一九九二年四月一三日の決定で、金日成主席に「大元帥」の称号を、同二十日の決定で金正日書記と呉振宇人民武力部長に「元帥」の称号を授与した。併せて崔光(中略)の八人の軍幹部に次帥の称号を授与した。金正日は軍部の掌握に向けて、金日成主席を「大元帥」に奉じ、同時にパルチザン世代であり、自分の後継体制構築に寄与した軍幹部のトップである呉振宇人民武力部長を自分と同じ「元帥」の地位に、八人の軍幹部を「次帥」に引き上げることで軍首脳部を取り込んだ。

同様の記述は平井久志『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波書店〈岩波現代文庫〉、2011年)の136ページにもあります。平井氏は共同通信社の編集委員兼論説委員で、ソウル支局長や北京支局長を務めた経歴がある人物です。

次に塚本勝一『北朝鮮・軍と政治』(原書房、2012年。初版は2000年)、129ページです。

九二年四月二一日、金正日は呉振宇と共に元帥となった。

塚本氏は陸上自衛隊西部方面総監、在韓日本大使館防衛駐在官、(財)平和・安全保障研究所理事長を歴任した人物です。

最後に和田春樹『北朝鮮政治史』(岩波書店〈岩波新書〉、2012年)、171ページです。

金正日は九〇年五月、最高人民会議で国防委員会第一副委員長に選ばれていたが、最高司令官への就任は超憲法的な措置であった。(中略)この違憲状態は一九九二年四月九日の憲法改正によって、解消の方向に向かった。(中略)この月のうちに、金日成は大元帥になり、金正日は呉振宇とともに元帥の称号をあたえられた。

和田氏については、解説はいりますまい。このように、専門家・研究者の文献でも呉振宇を「元帥」とするものが結構あります。ただし、私が所有している文献では共和国元帥か朝鮮人民軍元帥かは判別できませんでした。しかしながら、呉振宇を「元帥」とする文献が相当数ある以上、何らかの形で呉振宇の人物伝の導入部・本文に彼の最終階級を元帥とする説もあることを記す必要があるでしょう。Ashtrayさんが挙げられたアジ研の資料も尊重すべきですが、私が見る限り、呉振宇を「共和国次帥」とする資料がAshtrayさんが挙げられたものしかなさそうです。その点、導入部に「最終階級は朝鮮民主主義人民共和国次帥」と書ききってしまっていいものか、多少疑問に思います。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年7月29日 (日) 09:33 (UTC)返信

両論併記しておきますか?。「最終的な軍事称号については資料によって、共和国次帥、人民軍元帥、ただ単に元帥とするものなど、情報が錯綜している。」--SLIMHANNYA会話2012年7月30日 (月) 04:31 (UTC)返信
泉州大夫惟宗朝臣さん、SLIMHANNYAさん、こんばんは。
私も「元帥」とする表記を、ネットの各所で散見し、そのような情報が流れていることは存じていました。何せ私自身、つい最近まで「呉振宇元帥」と呼んでいたくらいですからね(笑)。
アジ研の資料が信頼性が高い(と私が考えている)根拠は、事件事象から1年以内に書かれていること、年月日については労働新聞や朝鮮中央通信・等の誰でも接することのできるソースを基に記していること、「人民軍次帥」「人民軍元帥」「共和国次帥」「共和国元帥」の各階級を明確に区別していること、の3点です。
また、1953年2月に崔庸健が、朝鮮戦争時の功績により「共和国次帥」に任ぜられたのみで、とすれば呉振宇は40年ぶり、しかも平時に任ぜられており、これだけでも破格の待遇かと。
(以下独自研究)1995年2月に呉振宇が死去した後、10月に崔光李乙雪が「人民軍元帥」に任ぜられており、この間に軍制改革があったのではないでしょうか。つまり「共和国次帥」を「人民軍元帥」に呼称変更し、しかも過去にさかのぼって適用するような決定があったのかもしれません。で、和田先生ほかの御大も、1995年以降の資料を基に書いているのでは、と勝手に推測しています。
うーん、とにかく頭の痛い問題ですね。--Ashtray (talk) 2012年7月30日 (月) 12:12 (UTC)返信
Ashtrayさん、SLIMHANNYAさん、お疲れ様です。一番確実なのは、労働新聞の1992年4月20日もしくは21日付の記事にあたることですが、さて、日本の図書館に労働新聞の縮刷版なんてあるのですかねえ?次善の策は日本の新聞の1992年4月20日前後の記事をあたっていくことですかね。労働新聞と日本の新聞の片方が呉振宇を「共和国次帥」としていれば、その記事とアジ研の資料を出典として用い、確定(ただし、呉振宇の人物伝本文で日本では元帥ととらえる記事が多いことを付記する必要あり)。労働新聞にあたれず日本の新聞のみを参照し、1992年4月20日前後の記事が「元帥」としていればその記事を出典として「元帥」(共和国元帥か朝鮮人民軍元帥か確定できなければ、あえて「共和国」・「朝鮮人民軍」を外して単なる「元帥」とする)として記述(参考としてアジ研の資料から「朝鮮民主主義人民共和国次帥」とする説もあることを本文中に加筆する)。この方法しかないのかなと思いますが、お二方はどう思われますか?--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年7月30日 (月) 16:49 (UTC)返信

信頼性のある出典に書かれている階級を書くのは当然ですが、この際、「どの出典が最も信頼性が高いか」をここで議論して、その結論に基づいて特定の階級を単独で書くより、各種新聞や専門家の著作などの発信主体を示した上で、階級の記述に差があることも書いておくことが一番無難な選択ではないでしょうか?。つまり「AやBでは共和国次帥と表記しているが、CやDでは人民軍元帥、EやFでは元帥と表記している」等です。仮にアジ研の出典が最も信頼性が高いとしても、それしか書かなければ、他の編集者が後々記述を訂正したり、読んだ人が混乱しますよ。何かをネットで調べようとする時、複数のページを見ることも多くありますから(特にこういうマイナーな情報に興味がある人は複数サイトから情報を探求しようとするでしょう)、wikipediaに特定の出典に基づいた階級がかかれていたって、「でも出典によって違うしこのwikipediaの記述の出典の選択は正しいのかなあ?」と思ってしまいます。出典を示して、複数の説があることを付記しておけば、記述に対して読者の違和感がわくこともないと思います。つまり併記するという言う意味で泉州大夫惟宗朝臣さんの意見に賛同します。--SLIMHANNYA会話2012年7月31日 (火) 08:28 (UTC)返信

どうも、こんばんは。
実のところつい先日、別件で1950年代『労働新聞』の複写を国会図書館に依頼したのですが、該当日付の所蔵が無いとの理由でキャンセルされてしまいました_| ̄|○
古いバックナンバーは、マイクロフィルム化されたものが所蔵されているので、東京に行く機会があれば、直接見たいと思っています。新しいものは、国会図書館やアジ研図書館・等に「現物」が所蔵されているので、複写は簡単です。まぁ、そちらは翻訳の手間などもありますので、いずれ時間と金と情熱があるときに。
それはそれとして当面の間は「両論併記」とするべきなのでしょうね。それでも、あまり本文中でクドクド説明するのは避けたいです。本文では、1)「共和国次帥」、2)「元帥」、3)「人民軍元帥」の何れか1つを選んで、脚注で「出典毎に複数の表記がある」ということを記述するのが宜しいでしょう。ただ、出典として福山氏の本を挙げるのだけは、勘弁してください。読んではいませんが、Amazonの解説を見る限り、研究書や伝記本ではなく、「読み物」の類としか思えません。
話し合いの結果として、2)3)を選ぶとしても、異論はありません。--Ashtray (talk) 2012年7月31日 (火) 12:46 (UTC)返信
Ashtrayさん、SLIMHANNYAさん、お疲れ様です。
私としては2)を取りたいですね。やはり文献調査でも「元帥」の表記が多いですし、「人民軍元帥」なのか「共和国元帥」なのかは現段階では判別しかねますので。導入部で「最終階級は元帥」とし、脚注で平井・塚本・和田三氏の著作を提示し、それに続いて「呉の元帥の地位を『朝鮮民主主義人民共和国次帥』とする説がある」と記して、アジ研の資料を掲出するというのはどうでしょうか。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年7月31日 (火) 15:59 (UTC)返信
そうですね。「同じ元帥」といえども、金一族以外で「共和国元帥」は無いと思いますが、確定情報が無い以上は単に「元帥」としておくのが無難でしょう。泉州大夫惟宗朝臣さんの上記案に異論はございません。--Ashtray (talk) 2012年8月1日 (水) 09:56 (UTC)返信
いいんじゃないでしょうか。ということで、おまかせします。--SLIMHANNYA会話2012年8月2日 (木) 14:27 (UTC)返信
Ashtrayさん、SLIMHANNYAさんの合意が得られましたので、呉振宇の最終階級の表記は「元帥」として本文に反映させたいと思います。一週間待ちまして、他の方から異論がありませんでしたら、記事を修正いたします。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年8月2日 (木) 17:34 (UTC)返信
だいぶ遅くなりましたが、合意に基づき本文を修正しました。--泉州大夫惟宗朝臣会話2012年9月2日 (日) 04:57 (UTC)返信
  泉州大夫惟宗朝臣さん、こんばんは。修正・加筆ありがとうございました。内容を確認させていただきましたが、良い感じに仕上がっていると思いますし、私の方では異議ございません。
その後も、日中韓でいろいろ検索してみましたが、なかなか決定打がないです。ある中国語のサイトでは、呉も「共和国元帥」とされてましたし、これも一概には否定できませんね(^^;。
あとはまた、新資料が発見されたときにでも議論致しましょう。お忙しい中、御手間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。--Ashtray (talk) 2012年9月2日 (日) 11:03 (UTC)返信
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