ノート:坂本冬休み

最新のコメント:17 年前 | トピック:結論は | 投稿者:221.170.22.117

マセキ芸能社HPからの抜粋 編集

[1]からの抜粋ですが、無断転載の可能性が大ですので、削除します。-Dioxin.C 2006年8月15日 (火) 05:40 (UTC)返信

マセキ芸能社HPからの抜粋について 編集

本文を作成したものですが、確かに無断で転載いたしました。 これからマセキ芸能社に直接問い合わせて、転載の許可を取りますが それでよろしいでしょうか?

転載の許可を取るか取らないかは基本的には自由だけど、個人的には当該事務所に聞くことを反対。反対理由として、事務所側がWikipediaに知らせることをきっかけにWikipediaに深く関わることになり当事者が記事を注目するようになると、ややこしそうなので、事務所側がアレコレ注文をつけるなどして、Wikipediaの記事に混乱をきたす恐れがあるから。
記述内容ですが、「加藤のモノマネを始めるキッカケ」に関しては、長文をまるごと記載するのではなく、概要を簡略に記載するだけで十分だと思います。著作権侵害問題で削除議論にならないようにするためには、ネット上から丸々引用することはやめて、引用文章を参考にしながら、自分の言葉で書き直すようにしたたほうがいいと思います。--経済準学士 2006年8月15日 (火) 09:22 (UTC)返信

概要を簡略に記載するだけで十分というのはあなたの意見であって、私が伝えたいことを満たしておりません。簡略化して済むものなら端からそうしてます。--221.170.22.18 2006年8月17日 (木) 00:51 (UTC)返信

結論は 編集

いろいろ考えましたが、ページのURLをだけ載せるようにします。 お騒がせしました。 これで編集すれば元に戻るのでしょうか?

転載箇所が重要なものだとするなら、自らの表現で要約して記事とする方が賢明だと思います。それから、「ノートのページでは投稿に署名をする」もご参考まで。--Dioxin.C 2006年8月16日 (水) 04:57 (UTC)返信
  • 文化庁のページ(外部リンク)には、以下のように記述されています

「他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。(1)他人の著作物を引用する必然性があること。(2)かぎ括弧をつけるなど,自分の著作物と引用部分とが区別されていること。(3)自分の著作物と引用する著作物との主従関係が明確であること(自分の著作物が主体)。(4)出所の明示がなされていること。(第48条)つまり、上記の(1)~(4)を満たしてる場合に「引用」と認められ、その場合は「著作権者に許諾を得ることなく利用できる」ということです。」 先の記事内容は削除対象に値するのでしょうか。ご意見頂ければぜひ。--221.170.22.126 2006年8月16日 (水) 08:43 (UTC)返信

今、2006年8月15日 (火) 05:20の版を見ております。関連法規を熟知した上での発言ではありませんことをあらかじめ断っておきます。私は、この書き方では「何を説明するためにこの引用が行なわれているのか」が書かれていないため、(1)と(3)の要件を満たさないと判断される可能性が大きいと思います。著作権に関する問題はウィキペディアで最も神経質にならざるを得ない部分ですので、この程度の「可能性」でも削除の理由としては十分であると思います。--Hachikou 2006年8月16日 (水) 09:09 (UTC)返信
  • 返答ありがとう御座いました。私の意見を述べさせていただきます。わかりずらいかもしれませんので気が向いたら目を通してください。

「何を説明するためにこの引用が行なわれているのか」が書かれていないとありますが、(1)と(3)を満たすためにそのような記述が必要なケースではないと思います。 あの文章に関してはそれ自体が必然性を表していると思います。なぜなら抜粋した文は“略歴”という「項目」の中に、“・・・オーディションでデビュー。”と述べて、その下に位置しており、 続けて読んでいけば明らかに「業界入りする経緯」を伝えたいということは明白です(実際その経緯を述べた文章ですから)。 また自分の要約文ではなく、あの文章をわざわざ載せたという行為の必然性は以下のような事にあります。

つまりあの文章を載せることによって私が伝えたかった事は「業界入りの経緯」だけではなく、 こういう出来事をこういう風に捉えてこういう風に表現する人だということをありのままに伝えたかったのであり それを他人が別の言葉で言い換えてしまえば、「ありのまま」ではないわけで、「伝えたかったこと」が伝わらないということになります。 そしてこのような私の意図は、その特徴的な文を読めば(というか「抜粋という行為」を行っている時点で)明らかにわかることです。

また(3)主従関係については、「略歴」という項目の1つであることから質的意味での主従関係は明白であり、量については具体的な定めが存在しないので何ともいえませんが 単なる文字数ではなく全体の構成に占める重要度などから言えば、「略歴」という1つの項目に属するだけですから、これによって先の主従関係が歪むようなことはない、 質的にも量的にも主従関係は明白であると言えなくはないでしょうか。--221.170.22.59 2006年8月16日 (水) 23:22 (UTC)返信

  • すみません付け加えさせて頂きます。仮にこのような私の意見が正しいものではないとしても、Hachikouさんは「この程度の可能性でも削除依頼にあたる」と仰っていますが、ではそのような制約がwikipediaにきちんと記されているのでしょうか。引用のガイドライン草案なども参照しましたので著作権に関する問題は極めてデリケートな問題であることは承知しましたが、「極僅かでも可能性の存在する限り、削除依頼を出すなどの拘束力を発せられるという」具体的な取り決めは存在しているのでしょうか。--221.170.22.59 2006年8月16日 (水) 23:22 (UTC)返信

この「可能性」については、「絶対に著作権違反ではない」というのと「絶対に著作権違反である」の中間にあるものであり、何パーセントというように定量化はできないものです。ケースバイケースで検討せざるを得ない事柄ですので、具体的な取り決めはありません。曖昧で、どうしても私感が入ってしまう事柄なので、過去の削除依頼などで議論された内容を参考に、削除依頼のページで個別にみんなで検討する事になっています。

引用の必然性についてですが、私は、必然性が全くないとは思いませんが、著作権違反に問われる危険性との勘案においては必然性は低いと感じました。また、主従関係に関しても、私はあの書き方では明白ではないと感じました。例えば、「加藤は○○という芸風を貫く事を信念としており、それは次の発言によく現れている:<引用部分>」というような感じに、その引用を通して説明したい内容ができるだけ具体的に書かれていなければ、百科事典の記事というコンテクスト中では引用の要件を満たすとは思いません。(きつい表現をして申し訳ありませんが、あれでは言いたい事を自分の言葉で書けないから引用に頼っているように思えます。)--Hachikou 2006年8月17日 (木) 06:48 (UTC)返信

  • 大変納得のいくご意見を頂きました。つまり百科事典としての役割(目的)を超えた必要以上のことを書こうとしていたということですね。百科事典は(おそらく)ある項目を説明付ける明確な事実のみを載せるものであり、私の伝えたかったことというのは百科事典に載せるべきことではない、ということですね。だから必然性が低くなると。これでようやく納得がいきました。つまり記事内容を監視する方々というのも、そうした百科事典の本分を前提に記事を読んでいるわけですね。それなら即座に削除依頼に出すのも当然ですね。私の認識が間違っておりました。今後気をつけます。ありがとう御座いましたHachikouさん。--221.170.22.117 2006年8月17日 (木) 13:05 (UTC)返信
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