ノート:塘沽協定

最新のコメント:13 年前 | 投稿者:Sweeper tamonten

Sweeper tamonten氏

  1. ご自身が収集した3つの当時の一次史料をもって「ほとんど」という評価をつけるのは、独自研究でしょう。また、Wikipedia:言葉を濁さないにも違反します。やめてください。その一次史料をもとにした査読された文献が「ほとんど」と使って、初めてwikipediaにそのような数量を示す単語が使えるはずです。
    • あと、日本側の報道が確認されたってなんですか?意味が理解できないのですが。日本側の報道に沿っていた、とは違うのですか?
  2. 論点の対立が(現時点で)無いところにいちいち主張者を書かないでください。実際にあるのなら、加筆のうえでそうしてください(ラン東作戦の撤退指令のところのように)
  3. 関連しますが、事実の記載に対して資料の執筆者の名前を入れないでください。
    • 熱河省が満州国の一部たることは厳然たる事実であるとし、従って熱河省内の治安を乱す者は満州国の不逞分子、他より省内に侵入する者は侵略者であるので他国が干渉すべきものではないと唱えた、及び、『長城以南には絶対に兵を出さん。張学良がどんなことをやって来ても追撃はしない。要するに熱河のみを目的としてやる、ということを文書にして、固くこの閣議で決定しておこうじゃないか』と自分でしながら、「長城以南への侵攻には正当性がない」に資料の作成者の名前を入れるのはその部分に対立があるかのように見せる悪質な行為だと考えます。
    • また、「日本側の方針」節も、なぜ文献を経由すると一次史料からの引用に執筆者の名前を入れなくてはいけないのですか?それならばSweeper tamonten氏が当時の新聞から持ってきた主張もすべて「Sweeper tamontenによれば」と書かなくてはいけないでしょう。
  4. その他
    • 陸軍当局の報道発表は世論形成と違うのならば、なんなのですか?
    • また中国側の飛行機の根拠地を爆撃して作戦の根拠を破砕することは当然とする発表も熱河戦中に言われ これは閣議決定違反ですよね。正当化でないならなんなのでしょう?
    • 中国軍が長城線で続けていた執拗な挑戦態度が継続される場合に これはNPOVでしょう。このような表現をしている新聞からの引用自体がNPOVです。そもそも当事者発表をそのまま乗せるのはどうかと思います。
    • 「共産軍の脅威」節について抗日運動を抑制する理由としての意味ありというのは独自研究ですよね。--R-H 2009年8月30日 (日) 04:58 (UTC)返信
ノートに書き込まれたことに気づくのが遅く、回答が遅くなってしまいました。これから出かけるので少しだけですが回答させていただきます。
『自身が収集した3つの当時の一次史料をもって「ほとんど」という評価をつけるのは、独自研究でしょう。』とありますが資料自体に「ほとんど」とありました。またウィキペディアが新聞記事からの引用を認めているのはその査読を認めているからです。そして「日本側の報道が確認された」は資料の表現に忠実であったためであり、またこれは日本側の報道内容が正しいことが確認されたということであって外国メディアが日本側の報道に沿った報道を流したということが伝えられたわけではありません。
論点の対立云々についてですが論点の対立とまでは申しませんが伝えている内容に違いをいくつか見つけるに至り、閲覧者や他の編集者の利便を考えたときにソースがいずれかをある程度示すべきと判断しました。
「資料の執筆者の名前を入れないでください。 」は一般的なことではありません。また「長城以南への侵攻には正当性がない」はソースにある内容ではなく貴方の解釈と判断しています。
一次史料からの引用に執筆者の名前云々に関しては各新聞の名を挙げてもかまいません。
「陸軍当局の報道発表は世論形成と違うのならば、なんなのですか?」報道発表です。報道発表はすべて世論形成なのでしょうか?少なくとも報道発表ですがこれを世論形成とすることは編集者の解釈でしょう。
「中国軍が長城線で続けていた執拗な挑戦態度が継続される場合に これはNPOVでしょう。このような表現をしている新聞からの引用自体がNPOVです。そもそも当事者発表をそのまま乗せるのはどうかと思います。」当事者発表であることを隠していません。当事者発表をそのまま載せないことの方がウィキペディアの方針に反することでしょう。
『「共産軍の脅威」節について抗日運動を抑制する理由としての意味ありというのは独自研究ですよね。』とありますが蒋介石が共産軍の制圧を日本との問題より優先させたことはいつくかの新聞が伝えていることであり独自研究ではありません。--Sweeper tamonten 2009年9月4日 (金) 21:55 (UTC)返信

Sweeper tamonten氏 かなり拡充されていますが、背景の大部分は満州事変の項目へ移すべきではないでしょうか。 塘沽協定の背景は満州事変そのものであり、熱河作戦以降のみを背景として記述するのは間違っているように思えます。 また、影響の項目も変です。華北自治工作に触れずに、当時の日本側の新聞報道を持って、「住民による自治運動」と記述するのは客観性に欠けます。 一旦、2009年3月2日 (月) 14:33時点における版に差し戻す事を提案します。

発言される方には署名されるようお願いします。さて、背景の大部分は満州事変の項目へ移すべきとされていますが記事にある背景の内容は満州事変後のことが大部分です。そして塘沽協定の背景は満州事変そのものということが言えるのであればその出典を示して加筆することが必要でしょう。ウィキペディアでは足りない部分に気づいた方には加筆をお願いしています。いずれにしても情報源をお示しください。--Sweeper tamonten 2009年9月9日 (水) 21:13 (UTC)返信
お返事が遅くなりまして申し訳ありません。ノートの件はご丁寧にありがとうございました。気にしてはおりません。今回の件は非常に広範に渡っていて、考えがまとまりにくいため、少しずつすり合わせていければと思います。
  • 「日本側の報道が確認された」について。なんとなく意味がわかりました。「日本側の報道が正しいことを確認した」ということですね。少し訳が悪いと思いますがいかがでしょうか。と言っても現在は少し校正されていますね。
  • 「論点の対立云々」について。明示されているものもありますが、明示されていない部分に対しても多くに「~によれば」がついているように感じます。こうしますと、読者は何が通説的なのかよくわからず、「なんで執筆者を明示しないといけないような説が載っていて通説がないのか」ということになるのでは。特に問題がないところでは、名前を外していきたいと考えます。たとえば
内田尚孝は日本が熱河作戦を実施したのは、参謀本部の『熱河省兵要地誌』に示される満州国に対する緩衝地としての「消極的利益」に加えて、「平津地方領有ノ為・・・作戦ヲ指導スル場合本地方ヨリ一部ノ作戦ヲ行フノ有利ナルハ当然ニシテ・・・」という、平津(北京(北平)天津)を含む華北侵略の橋頭堡としての「積極的利益」を見出していたためとしている。このように、参謀本部は既に1932年3月の時点で、長城以南への勢力伸長を企図していた[要出典]
ですが、「参謀本部の~という」は事実ですので、先頭に「内田は~」が来るのは問題があります。まるで事実に別論があるかのような印象です。付けるなら、その後に対してでしょう。といってもここはカナ混じり文の言い換えに過ぎませんから、はっきり言えば必要ないと考えます。あと最後の要出典ですが、内田p.33-34にあったはずです。さすがにうるさいと感じつけなかったはずです。「内田によれば」はむしろこちらに置くべきではないですか?
また、内田尚孝によれば、その正当性は逆説的に「長城以南への侵攻には正当性がない」ことを示していた
は、華北侵攻の正当性があるとした出典があれば「両論併記」となるでしょうが、そうではないですよね?ここで名前を出す必要性は認めません。
  • 「執筆者の名前云々」について。私はSweeper tamonten氏が自身の記載に出典を本文明記せず、一方で内田等の最新研究に対して出典の本文明記によってまるで世間に受けいられていないような印象操作を行っていることを問題としています。つけてもいい、つけてもよくないという問題ではありません。
  • 「陸軍当局の報道発表」について。まぁ確かにそうなのですが、一方で日本側の報道発表に依拠しすぎている部分がNPOVとなりえます。ここまで「日本の当時の発表」を書くならば、同様に「中国の当時の発表」も総合的に論じる必要があるでしょう。そもそも軍隊という組織の「報道発表」が「事実」と一致するという考えは大本営発表の通り勘違いです。(及び情報操作日中戦争時には大日本帝国と中国国民党や共産党などが情報戦の一環として行った。)そういった報道や資料から事実を推定する作業を行っているのが歴史学者ではないのでしょうか?
あ、あと「世論形成」についてなんですが、あれは位置が確かに悪いのですが意図した修飾は「熱河作戦の世論形成を行った」ということです。これから実施する作戦とその正統性を公表する行為は世論形成だと考えますがどうでしょう。
  • 「共産軍の脅威」節について。確かに関係性が否定できない部分もありますね。ただ、もう少しいい書き方があるような気がします。すこし保留させてください。--R-H 2009年9月13日 (日) 19:34 (UTC)返信

R-Hさん、どうも私にボールが投げられたままとなっているようなのでコメントします。 (1)「読者は何が通説的なのかよくわからず」とありますがウィキペディアは各説に対して中立であるように何が主流となっているかということに言及しないものと理解しています。したがってまずはこういった説明があるということを並べておくことが読者の理解によいと考えます。複数のソースからの情報を無理にまとめようとはせずにそれぞれの一貫性をもって読者の理解に寄与するようにすべきでしょう。 (2)「参謀本部の~という」は事実ですので、という部分は内田氏が記述しているということが事実であって記述した内容が事実かどうかはわかりません。 (3)最後の要出典ですが、内田p.33-34にあったはずです。とありますのでそのように脚注を利用して修正しますよ。 (4)「また、内田尚孝によれば、その正当性は逆説的に「長城以南への侵攻には正当性がない」ことを示していた 」とありますが長城以南を基地として満州国に侵攻した場合には長城以南を攻撃する理由になります。 (5)「執筆者の名前云々」について。という部分ですが最初から分けて併記すればいいと考えています。内田氏はこう述べている、他の資料からはこうであるというように。ウィキペディアはまずは混ぜるのではなく併記したほうが良いでしょう。 (6)同様に「中国の当時の発表」も総合的に論じる必要があるでしょう。とありますが資料はあると思いますのでやはり併記の形で加筆していただくようお願いします。 (7)軍隊という組織の「報道発表」がなされた事実があるということを書くのであってその「報道発表」が事実であるかどうかは編集者が責任を持たない部分です。 (8)これから実施する作戦とその正統性を公表する行為は世論形成だと考えますがどうでしょう。 とありますがやはり編集者の解釈の域を出ませんね。--Sweeper tamonten 2010年6月3日 (木) 10:12 (UTC)返信

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