ノート:夏 (三代)

最新のコメント:1 年前 | トピック:2021年11月以降の編集について | 投稿者:Usaminian

殷王朝の自称が商であることについてはちょっと疑問があるので(詳しくは殷の項のノート参照)削除しますね。--Houkun 2006年11月27日 (月) 07:40 (UTC)返信

『史記』「夏本紀」では全て王ではなく帝になっており、殷の甲骨のように、それを覆す考古史料も出ていない現状では『史記』に従うのが普通と思われます。--らりた 2008年8月18日 (月) 12:15 (UTC)返信

脚注1について。『中国の歴史』という書物の名称だけだとあまりに普遍的であり、出典の書物の名称としては説明不足であると考えられます。著者名と出版社の追加記述をお願いします。--118.8.168.217 2010年7月31日 (土) 22:32 (UTC)返信

Template:中国の歴史における議論について 編集

現在、Template‐ノート:中国の歴史において明を滅ぼした李自成が建国したとされるTemplate:中国の歴史に入れるか否か、また入れるとしたらどのように入れるかが議論されています。テンプレートに入れるべき王朝の範囲を決める重要な議論になるかと思いますので、の位置づけも含め、ご関心のある方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントとご教示をお願いします。--203.124.91.163 2008年10月19日 (日) 18:01 (UTC)返信

岡田英弘氏について 編集

岡田英弘氏は女真・満州関連に関しては評価できる専門家であると思いますが、それ以外では非常にいい加減な学術的でない論を展開しているので、この項目で岡田氏の論を参考文献としては使わないほうが良いと思います。らりた 2009年9月16日 (水) 11:49 (UTC)返信

私も岡田氏の論考(とくにその歴史一般論=政治論)を全面的に支持するわけではありませんが、本項目で記述した文については、ひとつの仮設として記載されるに値すると考えます。岡田氏の説に対する反駁を論じた学説があれば(私は大林太良氏の批判しか知りませんが(『邪馬台国』中公新書)、しかし大林氏の批判も全面的な反駁ではありません。)、それを併記すればよいのだと思います。すくなくとも、論拠また出典なしに主観的個人的な理由で記載に値しないとはいえないと思います。--西方 2009年9月16日 (水) 15:32 (UTC)返信

追伸:すみません、編集の時間差で追記された分を消去してしまいましたので、復旧します。--西方 2009年9月16日 (水) 15:34 (UTC)返信

たびたびすみません、消去していませんでした。--西方 2009年9月16日 (水) 15:38 (UTC)返信

私の問題にしているのは倭国との関係ではなく、夏についてです。華夏の言葉が示すとおり、夏は世界の中心を指す言葉です。それを賈と同音だから商売を示す言葉?(当時商売が存在していた?)、インドシナ半島の諸民族の言語に近い「夷」の言語(南方系言語)を基礎にしたもの?(南方の影響を受け始めたのは漢代)、殷が狄系統?(そもそも狄という言葉は後世になってから中国の枠組みに入らない民族を指した言葉)などなど正直、現状の記事には問題がありすぎます。

そもそも『倭国』という名の本を何故に「夏」の参考文献として使わなければいけないのでしょうか。「夏」に対しての専門文献は多数あります。それらを使うべきでしょう。

現状では出典が示せないので岡田氏の論を削除するだけの論拠は示せません。ですから削除せよとは言いません。ただ岡田氏の論だけ載せている状況が読者に対してどういう誤解を招くか、その点をもう少し考慮願いたいと思います。らりた 2009年9月17日 (木) 11:18 (UTC)返信

ご指摘の趣旨また懸念については了解しました。では、「岡田説によれば」と前置した方がよろしいでしょうか?あるいは、脚注化されても私はかまいません。ただ、その場合、「名称」項目の記述内容がなさすぎですが。むろん、より正確な「夏」の語義についてはこれから私も調べようと思いますし、らりたさんの方でも記事編集をされるのを期待します。 ただし、古代でも「商売」=交易があったとは十分考えられますし、また「『倭国』という名の本を何故に「夏」の参考文献として使わなければいけないのでしょうか」という点については、当該記述の内容が夏に関するものですし、書名が別の主題だからだといって、「適切ではない」とは私は考えません。夏関連の書名でないものも「関連する」記述内容があれば、いいのではないでしょうか? --西方 2009年9月17日 (木) 15:02 (UTC)返信

私も調べたいとは思いますが、すぐには難しい状況です。出来る限りがんばりたいと思います。あと『倭国』についてですが、専門分野というものがあります。中国史について記述するときに中国史の専門書と日本史の専門書とを比較してどちらを採用すべきかはこれは明らかではないでしょうか?日本史の専門書に中国史の事柄が書いてあってもあくまでそれは副次的なものです。らりた 2009年9月20日 (日) 05:32 (UTC)返信
まあ、本項目記述の争点とは離れた話題のように思えますが、岡田氏はあくまで東洋史・満州史の「専門家」であって、「日本史の専門家」ではないですよね。しかし岡田氏の倭国論は、「日本史専門家」からは出てこない視角で論じられており、私は面白いと思っています。岡田説に賛同するにせよ反対するにせよ、岡田氏の『倭国』が注目されているのは、2007年の時点で34版であることからも明らかです。(繰り返しになりますが、私は岡田氏の主張をすべて受け入れているわけではないです。)
岡村氏の文庫本を入手し、ざっと速読しましたが、夏の語源についての見解はないようです。岡田氏の解釈も私はあくまで仮説として参照しているのです。あなたがおっしゃるように、岡田説への専門家からの批判的見解・反論があれば、私もぜひ知りたいです。
それから、考古学的な研究は、疑古派的な批判的歴史学(文献学)のみでは分析できない状況になっていると思うのですが。疑古派的な批判的文献学はむろんこれからも重要ですが、他の様々な諸科学が脱領域的に取り組んでいくのが、基本的には好ましいと、思われるのです。これは私個人の意見というより、複数の研究者が口にしていることです。夏王朝の研究にしても、批判的文献学だけであれば、たんに伝説、で終わりでした。しかし甲骨文字研究や言語学・神話学的な研究の進展によって、あと、なにより遺跡の発掘によって、実在が確かめられたのではないでしょうか?「専門主義」はアカデミズムのひとつの手続きとしては、あるいはある局面までは有効でしょうし、「専門研究」なしに、そもそも「研究」もないのでしょうが、しかし学的アプローチは多様な観点を排除しないものと思います。そもそもらりたさんの「専門領域」の分割=分業(?)請求というのも、もとは岡田氏への嫌悪感に発しているのでしょうか?夏王朝については、夏王朝の専門家による本(たとえば夏についての単著のある岡村氏)しか参照してはならないのでしょうか?白川静はたとえば漢文学者であるから、つまり夏王朝の専門家ではないから、引用できないのですか?橋本万太郎は中国言語学者であるから、夏王朝の理解に役立つ見解が述べられていても、参照してはならないのですか?らりたさんの慎重論はわかりますが、専門研究家による書物からのみの引用しか認められない、という条件は、少なくとも、ウィキペディアにはないです。あるのは、できるかぎり、客観的中立的に記述するよう努力すること、主観的な判断を極力排除することです。わたしには、らりたさんの「専門領域」の分割=分業(?)請求は主観的なものにしか思えません。
また、ウィキペディアはその形式(性格)上、つまり不特定多数の執筆者が介入するということから、「小項目主義」をとることは長期的にはできないと思われます。つまり「大項目主義」といいますか、ドイツの百科事典のような、つまり、一大論文のような項目に、なっていくものと思われます。いや、別に、長けりゃよいというものでもないですがね。つまり、ご存じのように夏についてはまだまだ不確定の要素が大きく、したがって、さまざまな学説がこれまでも出されているし、これからも出されるのでしょう。であれば、さまざまな学説が終局的には併記されることになるのだと思います。たとえば、項目「日本語の起源」のように。
いずれにせよ、本項目の成長を期待してます。--西方 2009年9月20日 (日) 15:37 (UTC)返信
というかですね、岡田『倭国』は東アジア史・中国大陸民族史的な観点から「倭国」を論じたもので、日本史の本というより、東アジア史の本です。批判は大いに歓迎ですが、読まずに、偏見/先入観だけで、判断するのは、少々軽率といえませんでしょうか?--西方 2009年9月21日 (月) 02:44 (UTC)返信
確かにその本を読まずに批判したことは軽率でした。その点を謝罪します。しかし別に考古学的アプローチを否定しているわけでもなんでもなくて、単純に「岡田氏の著作をこの項目に使うことは良くない」というだけなんですが。たとえばですよ。平安時代の専門家と戦国時代の専門家と「平安時代」の項目を書く際に参照すべきのはどちらなのですか?と言っているのですよ。平安時代の項目に関して、平安時代の専門家の方がより詳しく追求しているであろうと期待されることはいうまでもないでしょう。「岡田氏の著作は絶対にダメ」とはいうつもりはありませんが、かなり評価を割り引いて見るべきかと。
まあ、この件に関しては水掛け論にしかならないので止めておきます。別に削除せよとは言っていません。ただ少なくとも岡田氏の論は私の目からは非常に疑問の多いものであることは明言しておきます。らりた 2009年9月21日 (月) 11:59 (UTC)返信
どうもご了解ありがとうございます。ま、私も岡田氏に対しては眉唾で臨んでおります。が、眉唾もの(あくの強いもの)特有の面白みというのもあるかな、と。--西方 2009年9月21日 (月) 16:50 (UTC)返信

2021年11月以降の編集について 編集

2021年11月以降、IPで編集をされている方が追加した「タイ系の言葉を話す~~」という一文についての編集合戦が断続的に続いているのでコメントします。出典とされている『だれが中国をつくったか』『逆転の大中国史』を読みましたが、私も以下の理由で「タイ系の言葉を話す~~」という文言の除去に賛成します。

  • まず「タイ系の言葉を話す~~」という一文は『逆転の大中国史』冒頭の年表の文をそのまま転載したものなので著作権的に好ましくない
  • 『だれが中国をつくったか』『逆転の大中国史』は中華思想の批判、特定の民族の優越を喧伝するために書かれた本で、「歴史の専門家が一般向けに書いた歴史の本」とは性質が異なる
  • これらの本の著者である岡田英弘、楊海英は先史時代の中国・商・周の研究者ではなく、岡田は中近世モンゴル史、楊は近現代のモンゴルの研究者である
  • 岡田は『だれが中国をつくったか』で「夏王朝の遺跡や遺物は発見されていない」と前置きをした上で文献の記述やタイ語の発音から夏王朝は南方から移動した東南アジア系の民族だと主張しているが、二里頭遺跡の存在を無視して夏王朝について論じる研究者はいない(『だれが中国をつくったか』が刊行された時点で二里頭遺跡は発掘されています)
  • 『逆転の大中国史』で「黄巾の乱で漢人は虐殺された」という主張が見られるが、こうした主張は「中国史の専門家が書いた歴史の本」には見られず、この手の本に同様の記述が多くみられる
  • 岡田、楊の主張は西周以前の時代の中国史、考古学の専門家からスルーされている

畑違いの専門家が学術分野以外で展開している「学説」と見なされていない主張を夏 (三代)の項目に記述する必要性は無く、どうしてもそれらの主張をウィキペディアに記載したいのであれば、岡田英弘楊海英の項目に当人の主張として記載すればいいと思います。(所謂「この辺の人たち」の本は「専門家」から「学問的」だと評価されている著作や論文以外、信頼できる情報源としないほうが良いのではないかと)--Usaminian会話2022年4月24日 (日) 12:12 (UTC)返信

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