ノート:大谷家

最新のコメント:3 年前 | トピック:略系図についての疑問 | 投稿者:Nao Costas

冒頭部の変更について 編集

変更前
大谷家(おおたにけ)は、浄土真宗の一派である本願寺の門主(法主・門首)を世襲した覚信尼(親鸞の娘)と日野広綱(京都の下級公家)の息子覚恵の子孫の家号。
明治時代に名字必称となると、本願寺派(通称西本願寺)と、1602年に分かれた大谷派(通称東本願寺)の管長、及びその一族が姓とした。
主な変更点
  • 法主(宗主/門首)と変更し、脚注を付加する。
  • 法主の継承について述べるのであれば、「覚信尼(親鸞の娘)と日野広綱(京都の下級公家)の息子覚恵の子孫」ではなく、本願寺三世の「覚如(親鸞の曾孫)の子孫」と記述するのが妥当。
  • 1602年に分かれた大谷派」という記述は、WP:NPOVに沿っていないため、「本願寺は慶長7年(1602年)に分立したため、「西本願寺」と「東本願寺」と通称される。」と変更。
  • 本願寺派と大谷派の管長」を「大谷光尊(明如)以降の浄土真宗本願寺派の門主と、大谷光勝(嚴如)以降の真宗大谷派の門首」と変更。管長職は明治初頭からで、大谷派は昭和56年に廃止しているため不適当な語。

略系図についての提案 編集

本願寺東西分裂までの部分が西本願寺系と東本願寺系では重複しているので、この略系図は「東西分裂まで」「東西分裂後・西本願寺系」「東西分裂後・東本願寺系」の3つに再編した方がよいのではないでしょうか。
また、略系図の出発点として藤原鎌足までさかのぼっていることには何か意味があるのでしょうか。日野家との関わりを示すだけなら、日野家嫡流との最も近い共通の先祖である「藤原(日野)有信」からの記載にすれば十分と思いますが、いかがでしょう。
--Nao Costas会話2020年2月3日 (月) 00:05 (UTC)返信

上記の通り修正しました。--Nao Costas会話2021年1月29日 (金) 05:26 (UTC)返信

略系図についての疑問 編集

東本願寺系と西本願寺系で、使う漢字の字体(東本願寺系が旧字体、西本願寺系が新字体)や「第○代」の表記(東本願寺系が漢数字、西本願寺系が算用数字)が異なるのには何か意味があるのでしょうか。
系図の根拠となる文書の違いのためということであれば「表記は○○に従う」のような注記が必要でしょうし、特に意味がないのであればどちらかに統一すべき(多分「新字体+算用数字」がよいと思いますが)ではないでしょうか。
--Nao Costas会話2020年8月1日 (土) 14:16 (UTC)返信

レイアウト変更の際に修正しました。--Nao Costas会話2021年1月29日 (金) 05:27 (UTC)返信
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