ノート:小田原征伐

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宇都宮攻めが秀吉の惣無事に違反しているという記述について編集

「名胡桃城事件」の項目において、「同時期に北条氏邦が下野の宇都宮国綱を攻めており、これも秀吉の施策に反する行為である」及び、その注釈として小田原籠城後も先制攻撃や野戦での決戦を主張した、とあるのですが、「戦国大名・北条氏直」(黒田基樹著・角川選書)によると、秀吉が北条氏を含む関東諸大名に「関東惣無事」を伝達してからは、それまで敵対していた北条氏と佐竹氏勢力との間で交戦は行われておらず、むしろ(後に主戦派とされる)北条氏邦や北条氏照は配下の国人衆らに「敵対勢力から攻められても反撃しないように」などの命令を伝達した書状が残っており、氏邦・氏照らが強硬に主戦論を主張したという根拠はなく、最後の最後まで交渉で合戦を避けられないかと苦心していた様子が窺える、とあります。なので、時期的な話を言えば、秀吉が「関東惣無事」を伝えるまでは北条・佐竹勢力とも小競り合いを繰り返しており、宇都宮攻めはその前の話かと思います。(「惣無事」伝達後に佐竹勢力から離反した小田氏治にそれまで連携関係にあった北条が援軍を出していない事でもそれが窺える)また氏照・氏邦が「主戦論者」だった、という話もおそらく信頼性のある一次資料には無いはずで、一概に彼らが秀吉の惣無事令を無視して、小競り合いや先制攻撃を主張していたというのは誤りである、と同書では述べられています。この辺(秀吉の施策に反して宇都宮を攻めた、氏邦及びその傘下の国人は秀吉の施策を軽んじていた等々)の記述は要検証の余地があるのではないでしょうか ポテンシャル0会話) 2021年5月17日 (月) 08:47 (UTC)

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