ノート:山下良道/サブページ4

最新のコメント:8 年前 | 投稿者:Leonidjp

※このサブページ内のコンテンツは「ノート:山下良道#「思想」の節に関する検証」から移動されてきたものです。移動の日時は右記です→ --Leonidjp会話2015年7月3日 (金) 06:43 (UTC)返信



>特定の思想家・宗教家を狙い打ち可能にする非常に危険な発想
コメント「狙い打ち」と「危険」の意味が分からない。解説して頂けますか?(というか、どうして御自分で最後まで説明なさらないんでしょう?)。
 ああ、「危険」というのはこういうことですか、つまり、ある特定の宗教家や思想家に関する二次資料が「批判的な内容をもつもの」しか存在しない時に、「資料として使えるもの」をその二次資料だけに限定しておいたら、Wikipediaには「批判的」なことしか書けなくなるという「危険」?そして、そういう「危険」な事態を生むために故意に「批判的な内容だけ」を充満させた二次資料を公刊・公表するという「狙い打ち」行為がありうるという意味ですか?二次資料の公刊・公表の動機が何であれ、「言論・表現の自由」が保障された社会では、公刊・公表に対する規制は殆どできないことでしょうから、そういうものが世に出てくるのは止められないことですね。一方、Wikipediaには、中立的な観点を維持せよという「方針」もあるので(参照)、それに従って処理する必要があると思います。実際にそういう事態が起こった場合には。山下氏に関しては、そういうことが起こっています?それから、二次資料といっても信頼性はピンからキリまで色々なので、情報源の評価というフィルターもかけられるはずです(参照)。
 私はむしろ、関係者に「狙い打ち」の意図が無い時にも「危険」な記述が生まれる場合がありうる、ということを懸念しますね。つまり、Wikipedia執筆者は善意をもって真面目に作文しているのに、できあがった文章は内容面で不正確であり、さほど注意深くない読者がそれを読んで信用して混乱し、火消しのために他人の手を煩わせる、というような危険な展開。--Leonidjp会話2015年5月29日 (金) 04:22 (UTC)返信
>記述に異論がある者は出典と共に併記すればいいだけです
コメントあの、わかっておられると思いますが念のために申し上げるのですけど、「異論」を言うために新たな出典が必ず必要なわけではないですよね。現状の記述と現状の出典に対する「異論」を、当該の記述と当該の出典のみを根拠にして主張することは可能ですから。--Leonidjp会話2015年5月29日 (金) 04:22 (UTC)返信
コメント 「狙い打ち」と「危険」に関して言えば、あなたの言うようなネガティブな出典と記述のようなことを言っているわけではありません。既述のとおり、私は「出典を伴う加筆は何でも認める」という立場なので。繰り返し述べてますが、私が問題視するのはその逆の「削除行為」です。「二次資料がないなら削除」「一次資料と一字一句でも違っていたら独自研究で削除」みたいな話を認めてしまうと、特定の人物に悪意を持っている者がその人物の記述の多くを削除できてしまえるわけです。ですからそんな独自ルールはこの記事でも他の記事でも認めるわけにはいきません。--Themtheman会話2015年6月3日 (水) 15:02 (UTC)返信
>「二次資料がないなら削除」「一次資料と一字一句でも違っていたら独自研究で削除」みたいな話
コメントThemthemanさんへ。上記の「二次資料がないなら削除」・「一次資料と一字一句でも違っていたら独自研究で削除」と呼ばれているモノの出典にあたる記述を、当ノートページ内でピンポイントに挙げることを求めます。それが出来ないなら、上記の「~みたいな話」は、当ノートページに書き込まれた主張であるとは言えないことになる。
この件、応答拒否は慎んで下さるようお願いします。--Leonidjp会話2015年6月16日 (火) 04:26 (UTC)返信
>「一次資料と一字一句でも違っていたら独自研究で削除」みたいな話
コメント「一字一句でも違っていたらNG」というのは、私が自分の名で現実に出している「要求」ではないのです。勘違いしないで下さいね。そして、「一字一句の違いも認めない」という基準が話の中で出てきている経緯と全体の文脈をきちんと思い出してくださいね。あの「温泉」君の名前が出てきているスレッドの、「5月29日 (金) 04:40」の私の投稿を、トップから4段落目まで再度読んで下さい(全体では9段落あるはずですから、読み始め地点をお間違えのないように。最初の語句は「何か、通じてないのかも」です)。そこで私が「一字一句までの合致」という「基準」を持ちだした経緯はどのようなものか。それを、貴方のために解説しましょう。
そもそも貴方が、「記述を巡る検証が、思想・信条によって邪魔されないように」と言い出したわけです(5月23日 (土) 14:14)。ところが貴方は、その「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノの具体例を御自分で1つもお書きにならない。にもかかわらず貴方は、「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノが実現可能だという希望(願望?)を持っているらしいことが伺えました(5月23日 (土) 14:14参照。実際、今もそれを希望/願望しておられません?)。そこで私は、そもそも貴方が言い出した「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノの現実的かつ必然的なあり方の「例」として「出典との、一字一句までの合致」という「基準」を示したわけです。よろしいですか?「記述を巡る検証が、思想・信条によって邪魔されないように」という貴方のもともとの希望(願望?)を真面目に実現しようとしたら、私の例示したその方法しかなくなるでしょう、違いますか、という論述があそこに書いてあるのです。(勿論、今の時点で、この「一字一句」基準が私や他人に現実に採用されているわけではないことは言うまでもない)。そして、貴方がその論述に反論しようとするなら、「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノのマトモな「別例」を御自分で1つでも出しさえすれば充分なのです。貴方がそれを出せれば、「Leonidjpが言うような一字一句までの合致という基準を用いなくても、【思想・信条によって邪魔されない検証】が可能だ。その方法は○○だ」という論述が貴方によって果たされることになるのです。お分かりですか?
その同じ箇所で、私は何度も貴方に問いかけを出しています。「AならばBではないですか?」とか「分かりますか?」という類の形式で。それは貴方に反論の手がかりを示すために書いてあるのです。貴方は私のそういう問いかけに対して、「自分はそうは思わない。なぜなら~」といった形で個々に反論を論述する自由が当然あるのです。繰り返し書いてあるあの問いかけ群を読むだけでも、私が貴方の同意なしに独りで「一字一句まで合致させよ」という「要求」を現実に突きつけているのでないことは分かりそうなものですけれどね。
よろしいですか、私は、「出典と一字一句まで合致させよ」という「要求」を、現実に私の名で他人に突きつけているのではありません。「一字一句までの合致」という基準はあくまでも、貴方が言い出した「思想・信条によって邪魔されない検証」という希望/願望を現実化した場合の「ありうる具体例」として挙げてあるにすぎないのです。(他の例が挙げられないなら、あれが「唯一の例」になってしまいますが)。
そもそも、「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノを提唱したのは貴方なのです。私ではないのです。そして、【「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノを現実に実行する用意がある】という意味の意思表示を明白に述べているのは貴方だけです(5月23日 (土) 14:14参照)。私は述べていないのです。ここを混同しないで下さいね。私自身はただの1回も、「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノを実行することを自分が目指すとか希望する等とは言っておりません。私はあくまでも、貴方が言い出した貴方の希望/願望を現実化した場合の成り行きを語ってみせたにすぎないのです(上記5月29日 (金) 04:40にて)。お分かりですか?そういう成り行き描写は、本当は貴方がみずから率先してお書きにならないといけなかったことであるはずです。なぜなら貴方は、「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノの実行を提唱した御本人として、「思想・信条によって邪魔されない検証」の具体例を挙げてその功罪を描写する責任があるはずだからです。
さて結局、貴方が提唱する「思想・信条によって邪魔されない検証」の、貴方なりの具体例は言語化できるのでしょうか?言語化できないなら、他人に「こうせよ」と言葉で示すことができませんから、客観的なルールとしては成立不可能だろうと私は思います。まあ、そうなることは初めから分かりきったことではあります。なぜなら、「思想・信条によって邪魔されないとは、どのようなことか」を決める過程そのものに当人の「思想・信条」が関与するに違いないからです。そういうのを「血で血を洗う」と言うのでしょう。貴方がいったい何をイメージして「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノを口に出したのか、未だに私、分かりません。--Leonidjp会話2015年6月6日 (土) 04:48 (UTC)返信
>「二次資料がないなら削除」「一次資料と一字一句でも違っていたら独自研究で削除」
コメント貴方、誤解(曲解?)してますね。私は、〈信頼できる二次資料が現れないかぎりは山下氏の「思想」および「活動・実践」をWikipediaのページ上で解説しようと試みないという執筆態度(=不執筆)は合理的〉・〈「独自研究」性をぬぐえない記述はWikipediaに掲載しないことが適切〉と書いたのであって(上記5月17日 (日) 00:36参照)、「既に在る記述を、私が削除します」なんて宣言してませんから。こういう一般論的論述を、勝手に「具体的かつ現実の削除宣言」へと読み替えるのはいただけません。「書かれていないことは書かれていないのだ」という節制を守って下さい、くれぐれも。このノートページにおいても、です。
>「二次資料がないなら削除」「一次資料と一字一句でも違っていたら独自研究で削除」
コメント私が4/22に行なった例の「大量削除」の理由は「本文に出典情報が無いから」です。「二次資料がない」ということと混同しないようにお願いします。「一字一句」基準に関しては、上述のとおり、私が自分の名で独断で他人に突きつけている「要求」ではないのです。貴方が言い出した希望(願望?)を現実化した場合の「例」を私が貴方に披露してみせたに過ぎません。--Leonidjp会話2015年6月6日 (土) 04:48 (UTC)返信
コメント うーん、ちょっと話がとっちらかっちゃってるんで、1つ1つ整理していきましょうね。まず、あなたは「私が「一字一句までの合致」という「基準」を持ちだした経緯は・・・」と書いてるわけですが、資料との「一字一句までの合致」という基準はウィキペディアの方針ではなく、あなたが持ちだした独自のものであることを認めるんですね?ここをまずははっきりさせましょう。--Themtheman会話2015年6月8日 (月) 15:03 (UTC)返信
>あなたが持ちだした独自のものであることを認めるんですね?
コメントその話しに行く前に、貴方の言う「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノの具体的な意味を聞いておきたい。貴方は未だにその説明を書いていない。--Leonidjp会話2015年6月9日 (火) 06:44 (UTC)返信
(視認性のため、以下の一節のインデントを一つ上げさせてもらいます。--Themtheman会話2015年6月14日 (日) 00:35 (UTC)返信
コメントなぜその説明を先に求めるかというと、貴方が言う「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノの具体的な意味が不明であるという事態から「とっちらかり」がスタートしているから。--Leonidjp会話2015年6月9日 (火) 06:47 (UTC)返信
コメントそれに加えて、現実に誰が何をどうすれば、貴方が言う意味での「思想・信条によって邪魔されない検証」というモノが現実に実現可能であるのか、という問題にも一定の答えを書いてほしい。「整理」というならそこから「整理」してほしい。--Leonidjp会話2015年6月9日 (火) 07:05 (UTC)返信

コメント 話をそらさずに端的にちゃんと答えてください。あなたは「私が「一字一句までの合致」という「基準」を持ちだした経緯は・・・」と書いてるわけですが、資料との「一字一句までの合致」という基準はウィキペディアの方針ではなく、A:あなたが持ちだした独自のものであることを認めますか?それともB:ウィキペディアの方針だと考えているのですか?AかB、二者択一で簡単でしょう。端的にお答えください。--Themtheman会話2015年6月14日 (日) 00:35 (UTC)返信
>(引用者注:6月8日のThemthemanさんの発言):資料との「一字一句までの合致」という基準はウィキペディアの方針ではなく、あなたが持ちだした独自のものであることを認めるんですね?
コメント「私ことLeonidjpは、『出典にある記述とWikipediaページの記述とを一字一句まで合致させよ』という要求を現実に出してはいない」旨の宣言を既に6月6日 (土) 04:48に明記してありますし、そのことは元々、5月29日 (金) 04:40の文意にも明らかです。(これに反論する場合は、必ず反論対象を引用で明示しつつ反論して下さい)。
ですから今後、私以外のWikipedia利用者が「Leonidjpは、『出典にある記述とWikipediaページの記述とを一字一句まで合致させよ』という要求を現実に出している」という趣旨の論述をする際には、その論述の根拠となる出典(=Leonidjpの発言を改変せずに引用すること)が必要です。
今後、的確な出典の無いままに「Leonidjpは、『出典にある記述とWikipediaページの記述とを一字一句まで合致させよ』という要求を現実に出している」という趣旨の論述を行う利用者は、そのような要求を「現実に出していない」というLeonidjp自身による明言を忘却したか、或いは意図的に無視しているということを意味します。忘却/無視は、いずれにしても議論態度として称賛されるものではありません。
議論相手が署名付きで明言した内容に対する忘却や意図的な無視と見なされる発言は、将来、Wikipedia管理者を含む他の利用者に参照される可能性があります。ご注意下さい。--Leonidjp会話2015年6月14日 (日) 01:46 (UTC)返信
(視認性のため、以下の一連の文のインデントを一致させます。--Themtheman会話2015年6月20日 (土) 01:27 (UTC)返信
コメントThemthemanさんのこの発言(=“はい、やっぱりこれも結局「一字一句問題」ですね”)は、「Leonidjpは、『出典にある記述とWikipediaページの記述とを一字一句まで合致させよ』という要求を現実に出している」という趣旨の論述を貴方が書いているように見えますが、いかがでしょうか?そういう趣旨ですか?違いますか?いずれにしましても、その直下の「6月9日 (火) 06:44」の私の問いかけにお応えくださるよう求めます。
さらに加えて、「思想・信条によって邪魔されない検証」の具体的な意味、早く書いてください。--Leonidjp会話2015年6月14日 (日) 01:46 (UTC)返信
コメント「話をそらさずに端的にちゃんと答えてください」ね。お忘れなきよう。忘却(あるいは意図的な無視)が繰り返されるのは、いただけません。--Leonidjp会話2015年6月14日 (日) 02:10 (UTC)返信
>(引用者注:Themthemanさんの6月14日の発言):資料との「一字一句までの合致」という基準はウィキペディアの方針ではなく、A:あなたが持ちだした独自のものであることを認めますか?それともB:ウィキペディアの方針だと考えているのですか?
コメントそんなものを貴方が自前で解決できないのが不思議だな。私が例示したにすぎないものが直ちに「ウィキペディアの方針」という地位を占めることなどあり得まいに。「あれは私の例示ですよ」という旨、何度も繰り返し念を押して説明したはずなのだが。それとも何かね、このノートページでは、何かを「例示」するとそれは直ちに「ウィキペディアの方針を宣言したもの」と見なされるという錬金術のようなルールでも有るのか?そんなルールは無い?ならば、「例示です」と説明されたものはとりあえず「例示」として受け取るほかあるまい。それを「例示を超えたものだ」と見なすためには、受け取り手の施す解釈が必要になる。
私が当ノートページの各所で繰り返し何度も「あれは例示ですよ」と説明したモノを、貴方は「これはウィキペディアの方針を宣言しているのかもしれない」と思ったというわけですか?なぜそんな解釈が可能なのか、出典(=私の発言)をダイレクトに引用して説明してほしいところです。「例示」から「方針」への飛躍がブッ飛びすぎていて仰天ものですので、私は貴方の「解釈」の奔り方にますます危うさを感じざるを得ませんでした。
※貴方の作った上述の[A] or [B]という二者択一なら、採りうるのは[A]しかありません。私が手ずから書いた「例示」なのだから当たり前のことです。--Leonidjp会話2015年6月15日 (月) 00:59 (UTC)返信
コメント 質問にはちゃんと答えますんで、1つ1つ話を整理していきましょうね。このページは我々二人だけのものではなく第三者の参照・議論参加を前提としているわけで、あまりゴミゴミした見づらい記述にしたくありませんし、簡潔・明瞭な議論をしていきたいので。わたしが「長文・複数質問」をぶつけ合うのが好ましくないと思っているのもそのためです。
えーとまず、あなたLeonidjpは、「資料との一字一句まで合致」を主張してもいないし、それを今後の議論の根拠にするつもりもない、ということでいいですか?これを合意事項としてしまっていいですね?--Themtheman会話2015年6月20日 (土) 01:27 (UTC)返信
>「長文・複数質問」をぶつけ合うのが好ましくないと思っているのもそのためです。
コメント手間暇をかけて読む人には何の問題もない。
>あなたLeonidjpは、「資料との一字一句まで合致」を主張してもいないし、それを今後の議論の根拠にするつもりもない、ということでいいですか?
コメント「今後」に縛りをかけるな。「一字一句」に関しては、「今後」のことなど私は言及していない。題材しだいでは「一字一句の合致」が必要な局面はありうる。
「今後」ではなく「今日以前」に関しては、【「資料との一字一句まで合致」を主張してもいない】という理解は正しい(ただし比丘名の問題は一部例外)。--Leonidjp会話2015年6月20日 (土) 04:32 (UTC)返信
コメント追記。【「題材しだいでは「一字一句の合致」が必要な局面はありうる】。当ノートページ内に既にその事例がみられる。
貴方が資料の記述に勝手に等号(イコール)を付けてしまったこの例がまさにそれ。覚えておいでか?
等号の有無は「1文字の違い」だが、ただそれだけで文全体の意味は全然違うものになる。
そういう事例は他にも幾らでもありうるのだから、「一字一句までの合致」というモノサシを一律に捨てることなどできるわけはない。
資料に存在しない等号を勝手に付けてしまい、それを指摘されても明示的な撤回はしていない(6月23日現在=約20日間)という貴方の読書態度・議論態度の実例を見てしまった後では、尚のこと捨てられない。失礼ながら。
というわけで、題材しだいでは「ココの一字or一句を変えてはいけない」旨の指摘を行うことは今後ありえるので、そのつもりでいてほしい。それは、題材しだいでは必要なことなので。(まさに等号の例のように)。--Leonidjp会話2015年6月23日 (火) 01:21 (UTC)返信
>簡潔・明瞭な議論をしていきたい
コメントこんどは「簡潔・明瞭」と仰る。具体的に何をすることが「簡潔・明瞭」なのか貴方が仰らないと、何を求められているのか誰にもわからない。--Leonidjp会話2015年6月20日 (土) 04:55 (UTC)返信
>質問にはちゃんと答えますんで、1つ1つ話を整理していきましょうね。
コメント一般論でいえば、既に整理できている人は「整理しましょう」とか言わない。自分が整理した「結果」を作文して披露する。
整理の「結果」を書いた文章を突き合わせて相違点を潰していったほうが遥かに早い。「1つ1つ」のステップに何日もかけるのは時間が勿体無い。
貴方が自前で「整理」した結果を作文して披露したらいかがですか。-Leonidjp会話2015年6月21日 (日) 03:33 (UTC)返信
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