ノート:庄屋

最新のコメント:17 年前 | 投稿者:Nerimaman

ウィクショナリーへの新規投稿の方法がわかりません とりあえずココに少し追加しました。(tetumusi)


  • 庄屋・大庄屋層出身の有名人は大人数すぎて書き切れないので削ります。Nerimaman 2006年6月17日 (土) 15:23 (UTC)返信
  • 庄屋・名主の家出身の有名人って日本に何千人何万人っていますよ。どんどんこの部分を増やしていくんですか?私は必要ないと思います。Nerimaman 2006年6月18日 (日) 07:02 (UTC)返信
    • 同感です。リストアップされた人々が有名人としての地位を築いたことと、庄屋階層に出自していることの関連性が今ひとつ(というか全く?)判然としません。江戸時代当時に活躍した著名な庄屋の一覧ならまだしも。また、特定階層に出自していることを無頓着に記載するのは、非常にデリケートな問題を含んでいることにも注意すべきでしょう。なので、この一覧は不要というだけでなく有害性も多分に含んでいると考えられます。百科事典項目としての品質を保つためにも、この一覧は消去しておくのが良いように思います。--shimoxx 2006年6月18日 (日) 08:45 (UTC)返信
    • 繰り返しになりますが、この出身有名人の部分の完成した姿を想像するに、何万人という人名が箇条書きで並ぶということになるので削除したいです。幕末の村の数は8万以上、複数の領主がいる村もあるので、庄屋・名主の数は20万家近くになるかと思います。明治時代になると、この家々は名望家と呼ばれ、起業したり、政治に進出したり、医者になったり、教育者になる場合が多いわけで、いろいろな人が人名を加えていくとすごいことになると思うのですが、どう思われますか?単純に、明治期から昭和戦前期の県議会議員レベルの議員を並べても、47都道府県×100人以上ですからね。政治家に限定してもそれぐらいいますよ。特に、議論がなければ6月中に削除します。Nerimaman 2006年6月18日 (日) 20:01 (UTC)返信

*もはや、本の部分がないですね。えーと、「何万人の庄屋いて、名家として何万人もの人間が出たという事実の方を加筆するか。家の歴史そのものも併せて書いていけば膨らんで行ってもいいのでは。

    • 「名家」という言葉は、もちろん一般的な意味もありますが、歴史用語として公卿の家格のひとつを意味します。したがって、庄屋という歴史用語の説明の中では使わない方がいいと思います。「名望家」という言葉がありますが、明治時代以降にしか使いません。上記の理由により、庄屋の説明文の中に「名家」という言葉を使うことに反対です。庄屋というのはあくまでも役職の名前です。Nerimaman 2006年6月19日 (月) 12:36 (UTC)返信
  • 人物を入れるなら、本人が庄屋・名主もやって別なことでも有名になった人をリスト化したらいいのでは? 国学者で農書も執筆した宮負定雄とか、藩政改革で登用された人、藩の専売制で活躍した人、地方文人(歌人・俳人・画家・学者など)、一揆を主導した人、大きな社会事業をした人など。いかがでしょうか?Nerimaman 2006年6月19日 (月) 12:50 (UTC)返信
  • おそらく庄屋ということにいろいろな意味を込めたい人がいるんだと思います。それは学問的にまったく正しくないと思います。地方三役のところで述べましたが、庄屋・名主は明治5年(1872年)に廃止されます。明治20年代とかにかつての庄屋・名主の家が何をやろうと庄屋という役職には何の関連もありません。もし、人物史に拘りがあるのであれば、名望家という項目を立ててそこにリンクを貼るべきだと思います。現時点では、名望家、豪農という項目自体が立っていないことを、百科事典としては憂うべきことだと思います。現状の議論では、予定通り庄屋という役職の説明からは削ることになります。他の方の議論を求めます。
庄屋を役職の説明のページにすることに賛成です。リストも、庄屋が何であるか理解するために必要だとも思えませんので削除に賛成です。--くにゃこ 2006年6月21日 (水) 03:20 (UTC)返信

関連項目などに個別の村のリンクを貼ることに反対します。理由はキリがないからです。幕末期で全国の村数は8万か村を超えていますので。 --Nerimaman 2006年7月11日 (火) 06:52 (UTC)返信

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