ノート:恭愍王

最新のコメント:2 か月前 | トピック:辛旽 | 投稿者:Yumoriy

辛旽 編集

テレビドラマでの話ですけど、、(><) --Lulusuke 2006年6月24日 (土) 13:08 (UTC)返信

辛旽は史実の人物ですが。恭愍王の後2代の王が実は辛旽の子孫であるといういいがかりに近い理由で李成桂に殺害されたというのは、朝鮮及び東アジアの歴史を扱った日本語の事典や歴史書に普通に出ていますよ。まさか日本の出版社が揃って間違えているとでも? --210.196.189.19 2006年6月26日 (月) 06:38 (UTC)返信
こんばんは。
失礼しました。説明が不足していましたね。脚色部分があるという意味です。--Lulusuke 2006年6月26日 (月) 14:47 (UTC)返信

辛旽の件は、東國僧尼錄より

 逆僧

 辛旽 (初名遍照。本玉川寺婢之子以母賤。不齒於其徒)

 恭愍王。嘗夢人拔劍刺己。有僧救得免。王志之。
 會金元命以遍照。見其貌。惟肖。王大異之。與語頗辯給。
自謂得道。王大悅。屢召入內。李承慶見之曰。
亂國家者。必此髡也。鄭之雲亦以為妖人。欲殺之。
王密令避之。二人既死。乃長髮為頭陀。名辛旽。復來謁。
始入內用事。稱為師傅。咨訪國政。言無不從。
人多附之。士大夫之妻妾。以為神僧。聽法求法而至。

右正言李存吾曰。妖物誤國。不可不去。遂上疏曰。
辛旽常騎馬出入紅門。與殿下並據胡床。

其在家寄相拜庭下。旽皆坐待之。雖崔元金仁俊。

こんな感じで好ましくないのですが、、、--Lulusuke 2006年6月26日 (月) 15:09 (UTC)返信

辛旽は日本ではあまり研究されていまんが、--Lulusuke 2006年6月26日 (月) 15:23 (UTC)返信
辛旽は寺の奴婢の子で、性格怪僻で中国に送られ、中国(明)文化を学びその文化を伝え、王とともに明の模倣をすすめた。遷都の提案でとおうように歴史上決定的な活動をしたわけではないのが定説だとおもいますが、、--Lulusuke 2006年6月27日 (火) 00:22 (UTC)返信
  情報 人物 辛旽(しんどん、신돈)については記事名「辛ドン」でウィキペディアの項目があります。記事名に使用できる漢字の問題で2006-06-27に「辛旽」⇒「辛ドン」の表記に改名されました(特別:差分/6371082)。参考までに。--Yumoriy会話2024年2月22日 (木) 06:12 (UTC)返信
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