遠藤安太郎『日本山林史保護林篇 上』(1934)の752ページに、この洪水の後、被害地域の村人が、洪水を森林のせいにして「藩に請ひて城南なる西條山(埴科郡)」を乱伐し禿山とした。その結果秣場となり、農業用水の不足をきたしたため、藩は再度植林を図ったが村人は応じず、結局、恩田頼母が現地調査をして村人を説得し、各戸に割り当て植林させたという記載があります。旧藩時代、全国的にはむしろ「森林がないと洪水が起こる」という言説が一般的だったので、きわめて珍しいケースであると遠藤は評しています。今ばたばたしていますので、取り急ぎご参考までに(書きっぱなしになるかもしれません。ごめんなさい)133.11.40.92hfuru

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