ノート:拍手

最新のコメント:16 年前 | 投稿者:Memosa

日本の江戸時代までは、音を立てるのが失礼に当たるので拍手の習慣は、なかったと思われますが、明治期になると西洋人が芝居や、音楽会に同席するようになり定着したのでは、と思われます。明治39年に発表された漱石の、(坊っちゃん)には「(坊っちゃんが)教場へ出ると生徒は拍手をもって迎えた」とあります。また私の祖母も映画場で(愛染桂だと思う)拍手喝采したと言ってます。少なくとも拍手が一般化したのは、「戦後からと思われる」というのはいかなる根拠だったのでしょうか。私は、明治後半に習慣として定着したと信じてます。papamaruchan22 2006年10月1日 (日) 11:10 (UTC)返信

他人に対する拍手は、確かに戦前ずっと、さらに遡る時代からすでに一般化していたとおもう。ついでに、戦後゜一般化したとすれば演説者が自ら拍手をしながら登壇し拍手を観衆に求めた事で、共産圏の指導者(毛沢東やスターリン・フルシチョフあたり)が最初だろうと思います。それ(主催者が求めること)が日本に一般化したのは戦後です。202.53.209.136 2006年10月2日 (月) 06:30 (UTC)返信
早速の対応痛み入ります。さて、運動会や参観日のVTRのせいで拍手少ない。とのIP氏の投稿ですが、予想現象としては面白いかもしれませんがウィキペディアとしては、確かな根拠が如何かと思います。私事で恐縮ですが、かく言う私は幼稚園にも小学校にも教育関係でよく出かけます。運動会でビデオの撮影で手がふさがり拍手が少ないとか、まして参観日(授業参観のどんなとき拍手するのでしょうねぇ)に拍手の場面があってそれが少なくて現場の教員が嘆いているなんて考えられないのです。papamaruchan22 2006年10月4日 (水) 13:54 (UTC)返信
  • 拍手{はくしゅ}と{かしわで}

今回のMemosaさんの加筆改稿はよく調査され、また構成も工夫された記事ですね。ところでここの拍手は、 ただ両手を叩く行為の拍手について記述しています。日本の神道で神に参拝する際に行う行為(かしわで)については拍手 (神道)をご覧ください。とありますので、Memosaさんの以下での斜線の部分は{拍手=かしわで}のことを記述してるのですよねぇ。--「そして、後世になって「拍手」などの礼が<神前>だけに限られるようになった [2]とされている。」--従がって神前の拍手はもう一つの別のほうで述べたらどうかとご提案いたします(高取正男氏の神道の注記をふくめて)。よろしくご検討ください。papamaruchan22 2007年11月18日 (日) 07:19 (UTC)返信

いろいろと調べてみましたが、本文に書いてあるようなことであるなら、どこかに反証を挙げて論文が書けるかも知れません。本文に書いてあることに疑問がありますので、「出典」の提示をお願いいたします。--Memosa 2007年11月19日 (月) 12:19 (UTC)別項目を立てましたので上記の「要出典」を取り消します。--Memosa 2007年11月19日 (月) 13:35 (UTC)返信

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