ノート:曾子/削除
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削除依頼での議論
編集こまいこと言うな218.47.198.19 2004年7月5日 (月) 19:07 (UTC)
- (賛成)著者の方も、指摘を受けて、侵害の意図はなかったが、念のための削除に該当する可能性を認識の上削除を受け入れられています。 Kozawa 2004年7月15日 (木) 13:51 (UTC)
[2]内「吾れ日に三たび吾が身を省みる」項の冒頭と、記法やとりあげる事柄、順序が相似しています。
同一著作者である、もしくは許可を受けている、との場合は一筆願いますTopkop 11:19 2004年6月24日 (UTC)
初版を外部サイトと比べてみました。
主題について説明した一文だけの文章ですが、主題(人物)についていろいろな事実が盛り込まれているように思いました。
異同:
名前、名前についてのその他の情報、師弟関係、人柄、著作、というのが外部サイトでの記述のおおよその記述の順序です。異同関係についてはおおよそTopkopさんが指摘されている通りでしょうか。
- とりあげる事柄の取捨選択は、父親に関する部分が外部サイトの該当部分にはありませんが投稿された文章にはあります。また、ふりがなは投稿された文中と外部サイトの文章中では違う部分についています。あとはほぼ同じです。ただ、同じような話題について記述していても、その記述内容には違いがある、という面もあるように思います。
- 人物についての一般的な書き方としては、出身地や生没年などを挙げることが多いように思うのですが。両者はそれらの情報を含んでいない点で両者は共通しています。
- 記述の順序については、投稿された文中では、師弟関係についての言及が、名前についてのその他の情報よりも後に来ている点がやや異なっています。
- 表現上は、個々の点について違いがあります。これは、僕のように背景知識のない者には判断するのが難しい部分もありますが、異なる思想の表れとみられる部分もあるように思います。たとえば、著作について、この人物が特定の著作の作者として知られているけれども、必ずしもそれだけがこの人物について知られていることではない、ということが投稿された文章からは読み取れますが、外部サイトの文章からは、この人物がその特定の著作の作者であるかどうかはそれほど確かなことではないのかも知れない、という風に読み取れます。
外部サイトへの依拠の可能性:
こうしたあれこれを総合して考えると、これが偶然の一致(というか類似)ではありえないか、というとよくわかりませんでした。外部サイトとの共通点である名前、師弟関係、人柄、著作という点はかなりありふれていそうな話題の選択です。他方では、出身・生没年についての記述がない点の共通性などから、実際に外部サイトの文章に依拠して作成されたものだとしてもおかしくないような気もしましたが。
- 手がかりが乏しいのでGoogleで調べてみましたが、「曾子」で検索すると、最初の10件の中にこの外部ページが入るようです。また、ちょうど問題になっている一文がGoogleで引用されている形になっており、他に最初の10件の中には手ごろな説明文は見当たりませんでした。ここから、外部サイトを使ったのかも知れないと考える材料は少し増えたように思います。
- ただ、更に調べてみると、例えばこちらのサイトでも似たような順序での記述があります。出身地と生没年が記されてはいますが、それに続く部分は名前、師弟関係、人柄、著作、となっています。(しかも著作部分についての表現は、上記の外部サイトと同じ。^^;) [3]
- 具体的には、この人物は孔子の弟子であることが有名であり、著作はその次に顕著な事実なので、その順番になり、名前についての情報はそれに先立つ、という風に考えると、実際この順序には特に創作性はないのかも知れない、とも。
- また、こちらのサイト[4]では、著作についての記述がありませんでした。これも、著作が重要ではないとの判断に基づいているととれるように思います。
- Goo辞書の該当項目も見てみましたが、やはり同じような順序です。(出生、名前、師弟関係、人柄、著作、尊称、の順)
ここから、偶然、あるいはある種の慣行に従った結果、あるいは特定の判断に従った結果このような構成になる、というのは十分ありうるうことではないかと思いました。
仮に、投稿された文章が外部サイトの文章を利用して作成されたものだとすると、これが著作権侵害にあたるか、ということも考えてみましたが、とりあげている事柄の取捨選択や順序について類似性があるのと、それがある程度までこの人物について特記すべき点は何かについての考え方の表現になっていることから、可能性としては否定できないように思いました。と同時に、類似の選択・配列になっている外部ページは多くありますし、投稿された文章はそれらと似ていつつも同一ではありませんので、侵害になっていないのではないか、ということも思いました。
以上、非常に難しい件ですので他の方のご意見も伺いたいところです。
Tomos 2004年7月2日 (金) 04:22 (UTC)
この記事だけですと、たまたま似ていただけではないか、という同情もできます。この人物につき、説明しようとすれば、その凡そが似てくるのは止むを得ないだろうという意見もあると思います。そう思いたいのですが、投稿者の投稿記録を見ますと、ちょっと似たようなケースが多すぎます。[5] ご覧になると、中国思想、中国哲学の記事が多いのに気づかれると思いますが、自己紹介など見ますと、特に専門というわけではないようです。本人の書き込みチェックしましたが、字引的な記述で、どこからと探せば、出典は見つかりそうな気がします。とりあえず、こういう話題になっていると知らせて、引き写しであれば、削除申請して頂けるとありがたいのだが、と言ってみるのがよいと思います。Mishika 2004年7月2日 (金) 04:58 (UTC)
訪れてみれば著作権侵害にあたるとのご指摘ですので、もしそれに該当しそうな場合は管理者の方で削除していただきますよう お願いします。ただ、itouと致しましては、外部のWEBをそのまま引用したわけではなく、あくまでも自身の文章で書いたつも りであります。無論、幾つかの書物は参考にしましたが、著作権侵害に該当しないよう配慮は致しました。 ただ、結論としてこのように判断された以上、当方の配慮不足でしょう。 お騒がせしましたこと深く反省致します。 利用者:itou 2004年7月2日(金)