ノート:李白

最新のコメント:15 年前 | トピック:静夜思について | 投稿者:OSY

唐代最高とかかれていますが、実際杜甫の方が評価が高く設定されているのが一般的ではなかったでしょうか?元稹や蘇軾の批評でも彼の方が上といってたとかなんとか。まぁ、当時の知名度からすれば李白とは比べようもなかったことですからねぇ…しかもこういうのは人によって様々ですからねぇ。かしこ。来 国俊 15:31 2004年2月20日 (UTC)

とりあえず「並び称される」に変えておきます。らりた 03:11 2004年2月21日 (UTC)

韓国では「ithaepaek(綴りあってるかな?)」として有名。大学生は長期休暇中に「クル房(gulpang)」なる同好会で李白の詩を熱心に鑑賞しているそうな。ちなみに「クル(gul)」は「ハン=グル」の「グル」と同じで「文、字」の意味。そういえば漢字知ってんのかなあ?
韓国ではどうも漢人の名は二文字で有名らしい。関羽が「関雲長」で有名だもんな(『壬辰記』、ちなみに「関雲長」は豊臣秀吉をやっつける英雄として登場)。

静(せい) 夜(や) 詩(し 前月光(しょうぜんげつ)を看(み)る 疑(うたご)うらくは是(これ)地(ち)上(じょう)の霜(しも)かと 頭(こうべ)を挙(あ)げて山月(さんげつ)を望(のぞ)み 頭(こうべ)を低(たれ) れて故(こ)郷(きょう)を思(おも)う

静かな夜、寝台の前のしき石に、月に光が明るく白くさし込んでいる。 この光は戸外一面に霜が降りたのではないかと思われるほど白く明るく光っている。 頭を挙げてみれば、山上に明るい月が皎々と輝いている。異郷でこのような美しい月を見ると、故郷のことがい ろいろと思い出され、その思いに沈んでしまうのである。


実は許圉師が許敬宗の子孫だと初めは思いました。なにしろ資料が少ないもので…
ところが、資治通鑑を見ると、許圉師は許敬宗の子でも直系でもないと判明しました。
いろいろ考えたんですが、許圉師は許敬宗の甥でもなさそうだし、結論としては遠縁かなと判断しました。
許敬宗を新規作成したのは自分ですが、許圉師の部分は訂正しときました。悪しからず…
許圉師が許敬宗のどのような血縁関係にあるかを記録している文献が見つかればいいんですが…

許敬宗に関する記述をコメントアウトしたものです。もしかしたら↑の発言は私の編集に対するものかな、と思うので、少し書いておきます。
私が当該部分をコメントアウトしたのは、許圉師と許敬宗との関係が疑わしかったからではなく、主に、許敬宗に関する「あの悪評改竄家として有名な」という形容に引っ掛かるところがあったからです。
第1に、「悪評改竄家」という表現は非常にネガティブな表現です。不用意に使用できる言葉ではないと感ぜられました。実際にそのような評価が後世に確立されているのでなければ、軽々しく使用することは不適切であると考えます。
不勉強を告白することになるのでお恥ずかしい限りなのですが、私には、彼についての情報源は、あなたが新規作成したという許敬宗しかありません。それを読む限りでも、改竄を行った事実や、後の悪評について、具体的な事柄は一つとしてありません(むしろ、「悪評」そのものともいえる記事自体が、ひどく偏った観点によるもののように感ぜられます。もっとも、この辺りのことはノート:許敬宗で議論するべきでしょうね)。
第2に、「悪評改竄家」という表現が適切なものであっても、それを李白の項目で記述することには、彼に対する悪意に近いものが感ぜられました。李白の妻についての言及することも、妻の実家について言及することも構わないでしょう。しかし、妻の実家の祖先にまで言及する必要があるでしょうか。許敬宗がよっぽどの有名人であれば別でしょう。またそれほど有名でなくとも、歴史上、知るべき価値がある人物であれば、ここで言及しておくことも有用かもしれません。その場合であっても、「あの悪評改竄家として有名な」とまで書く必要はなかったのではないでしょか。Tnm 2006年6月20日 (火) 14:37 (UTC)返信


そうですか…それは大変誤解してしまいました。
自分が許敬宗を初めて知ったのは、陳舜臣氏の中国の歴史④ですね。
多分、陳氏の影響が大きいと思いますが、確かにやり過ぎましたね。
では、李白の項では許敬宗の悪態は差し止めしときます。
李白の妻の実家の立場を考えて…あとは許敬宗ノート:許敬宗で許敬宗の評価を議論することで、
済みますね。今のところは陳氏がソースですが、他の文献からの許敬宗の事項をも調べます。--以上の署名のないコメントは、124.144.47.149会話/Whois)さんが 2006年6月20日 (火) 15:26 (UTC) に投稿したものです(Hansa 2010年1月3日 (日) 14:59 (UTC)による付記)。返信

文字訂正 編集

「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」のなかで、唯長江天際流の「県」は「見」の誤りと思います。

--伊佐次 2008年4月17日 (木) 02:24 (UTC)返信


静夜思について 編集

[1]で報道されているのと見ると
第一句は「床前明月光」、第三句は「挙頭望明月」となっていますが
第一句は「牀前看月光」、第三句は「挙頭望山月」が正しいようです。
第一句は「床前看月光」でもいいのかな?自分にはよくわからないので 訳も含めてうまく編集できる方、訂正よろしくお願いします。--OSY 2009年1月27日 (火) 09:25 (UTC)返信

『唐詩三百首』などの通行本による「明月光」「望明月」は、明清以降の改変であり、本来の姿は宋蜀本『李太白文集』(静嘉堂文庫所蔵)にある「看月光」「望山月」だと言われてます(ちなみに清の王琦注『李太白全集』も宋本と同じ)。この異同はかなり以前から指摘されていましたが、森瀬壽三という方が詳細な論文を書いているようです。--Melckebeke 2009年1月27日 (火) 11:53 (UTC)返信
すばやい編集ありがとうございました!--OSY 2009年1月28日 (水) 13:55 (UTC)返信
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