ノート:村瀬信一

最新のコメント:16 年前 | トピック:著述目録について | 投稿者:Mattamatta

著述目録について 編集

論文の類まで掲載することについて。そのようなものまで採っていたら切りがないし、そうでない場合は事典として取り上げる意味もない。さらに、繁多となって極めて見づらい。加えて、いかにも業績が乏しいことを露呈しているようで、みっともない。著書のみとして論文は削除しても良いのではないでしょうか? --Mattamatta 2006年11月14日 (火) 12:02 (UTC)返信

他の研究者の項目でそういった議論を御貴殿が提起していますが、残念ながら容れられていない様子ですね。そういうことです。--前図書頭 2007年7月26日 (木) 14:32 (UTC)返信

では一般に辞典に載る人、論文が何百何千ある人の目録を載せたとして、誰かが削除したら貴方はそれは間違えでないからといって復活させるのですね?その人は論文が多いから、といいわけするなら、貴方が論文目録を復活させた人物伝は、論文の少ない人、つまり業績の無い人=辞典として載せるに価しないことを認めたことになりますよ。--Mattamatta

  • 仰っている意味が迂遠に過ぎて理解出来たか甚だ心許無いですが。一般に何らかの功績あるいは知名度の有る人物が事典あるいは辞典に掲載される場合を想定してお話しますと、その人の論文目録が仮令幾百となったとして、それはそのままその人物の功績と言えましょうし、その目録に錯誤あるいは作為の存在が認められないと仮定した上でのこととお断りをした上での判断ですが、削除をするのはおかしいと思いますので、復活させるべきかと考えます。次に、御貴殿は「論文の少ない人、つまり業績の無い人=辞典として載せるに価しない」という仮定をなさっておいでですが、極めて不見識な仮定と拝察します。議論のアヤと申すべきもので、まさか本気で御貴殿はそんなことを書いたのではないでしょう。「論文の数」と「功績」が比例するという御貴殿の仮定は噴飯ものですから。御貴殿は研究者の論文目録を目の敵にされていますが、甚だ不可解ですし、既に清水潔教授の項目でしたか?でも御貴殿は似た発言をなさってたしなめられていたかと思います。熟慮をなさいますように。また、清水教授のノートでも申上げていますが、誰かを貶める為の投稿を御貴殿がなさるのは遺憾です。--前図書頭 2007年7月27日 (金) 12:27 (UTC)返信

著書がなくても、社会的に功績のある人物なら、評伝が成り立つのは今さら言うまでもないでしょう。私もそのくらい理解してます。学者さんについても別じゃありません。 「誰かを貶める為の投稿」と誤解されたのなら、それは私に文章力が足りないから。その点は反省します。 見る限り、やたらめったら執筆文章の一覧を掲げている人物項目は、評伝(文章)がなく、著書を出していない人物、という傾向があるようなので注意を喚起しているまでです。--Mattamatta 2007年7月28日 (土) 04:09 (UTC)返信

  • 注意の喚起については承りました。著書が少ないが論文は多い人物もいます。逆の人も現実に存在しますね。そして、論文の中身を評価するのは、その分野分野で実際に研究している人々でしょう。著書の数とか論文の数とか、そんな量的なもので功績を計るのはナンセンスですし、それは御理解いただけているようですね。評伝については、存命中の研究者のを書くのは中立性の観点からも難しいでしょうし、研究者という職業の性質上も難しいと思いますよ。学校経営者とかならともかく。よって、論文の一覧を掲載することで、その研究者の研究分野を明示し、その業績の一端を示すことが出来ますし、本来目録とはそういう機能を有しています。それゆえ、削除なさるのは考えもの。字数に厳しい制限があるならば、割愛対象になるでしょうが。--前図書頭 2007年7月28日 (土) 13:38 (UTC)返信
    • 書評・学界動向が削除されたようです。ずいぶん整理され見やすくなったと思いますが、これまでの経過からすると「事実」なのだからと、またこれを復活させる人があらわれることでしょう。--Mattamatta 2007年8月22日 (水) 11:13 (UTC)返信
      • おや、「削除をするのはおかしいと思いますので、復活させるべきかと考えます」という御仁はなかなか登場しませんね。ついにわかっていただけたのでしょうか。他の記事でもとりあえずは、書評や学界動向の類は削除してよし、ということで理解していいのでしょうか。ちなみに、私の意見には賛同者がおり現に他者により論文が削除された記事もあります。さらにいえば、知人の学識者によれば、「量的なもので功績を計る」そんな「ナンセンス」なことが、研究者の世界では常識なんだそうです。なお、前図書頭さんが私の書評削除を復活され、Wassermanさんの書評削除をそのままにする、ということをすれば、あなたこそ私怨で動いていることになりますので注意してください。Wassermanさんも私と同じ意見を持たれ、多くの記事で修正されています。--Mattamatta 2007年8月24日 (金) 06:38 (UTC)返信
      • 同じ意見の方が多数おられるということはありがたいことです。なお、上の意見は前図書頭さんのノート:平泉澄における「Kogane様は厳密な記事をお好みのようなので、重ねて多項目においても「出典明記」の運動を展開してくださいませ。でないと、平泉に特定の感情があるからといらぬ勘繰りをされるかもしれませんから。」という意見をふまえておりますことを追記いたします。あなたの記事復活は私の削除記事に限定されているので、他の方が煩雑であるとして削除したものについても「運動」を起こさぬ限り、この件についても自己矛盾である、ということです。--Mattamatta 2007年8月24日 (金) 08:28 (UTC)返信


  • ええと。何だか、論点がずれた批判をしてくれていますね。私はずっと「論文目録を削除するのに反対」しているのです。どこかで「書評を残せ」と発言していたら指摘してほしいですね。私は何も議論せず、いきなり論文を削除したから、それを復元したのです。もし、Mattamatta氏が議論のうえで論文を残して書評のみ消したというなら、また違った展開もあったかも知れない。私の復元作業後に、書評だけ消したらどうかと議論を提起していれば、当然それにも対応したところでしょう。私の主張は「論文の削除反対」であって、「書評の削除反対」ではありませんよ。Mattamatta氏は「論文の削除」を一貫して主張していました。ここのノートでもそうです。むしろ、書評・学界動向のみを削除している人物はMattamatta氏に反対していると言ふべきです。論文削除を行わず、書評を削除したということは、客観的にはそう判断せざるを得ないものでしょう。また、上記においては私の発言として、別項にて別人が行った発言を引用されている。私への批判を書き散らかす余裕はあるが、私の発言内容については気にしていないとみえる。そうやって、私の発言と他者の発言を取り違えて批判したり、私が「書評を残せ」と言ったと幻想を抱いたりするのは勝手だが、そういった想像のうえに私を批判したりしてウィキを汚すのはやめて欲しいものですね。--前図書頭 2007年8月28日 (火) 10:55 (UTC)返信
  • 六甲颪さんより私のミスを指摘されました。謹んでお詫び申し上げますとともに、前図書頭さんの意見には誤解もありますが反省の意味を込めてわたくし当分謹慎いたします。--Mattamatta 2007年8月28日 (火) 11:56 (UTC)返信
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