ノート:松平広忠
--Funahi(会話) 2023年7月2日 (日) 00:35 (UTC)
- 削除の是非を検討中の方へお願い
この記事・画像は過去に削除が検討されました。もし削除依頼などをされる方は過去の検討の結果を一度ご覧くださるようにお願い致します。(参考:検討月の案件(2005年5月))
家康のきょうだいに矢田姫が登場しましたが、検証可能な資料を提示してください。異母妹として市場姫がいることは史料として残っています。ただ血縁関係が不確かな状態です。その他の説として矢田姫は、家康の祖父 (松平清康) のきょうだいであるというのもあります。それらしき検証可能な史料が必要です。ご協力をお願いします。--Funahi(会話) 2021年10月4日 (月) 10:10 (UTC)
その後の調べで分かったこととして、次のことがあります。 矢田姫の名をとってつけられたと言われる愛知県西尾市矢田町の町民の言い伝えとして、矢田姫は徳川家康のお祖父さんのきょうだいであるというのが一般的な通説としてあります。この地名の矢田町は、もともと岡崎城 松平家の領地であり、徳川家康が度々訪れているところでもあります。言い伝えでは、家康が鷹狩に当地を訪れていたとか、生き別れをした実母 (於大の方)が再婚した知多郡阿古居城へ、会いに行くために、ここを通って浜の港から船で行ったことなどが伝承されています。浜は、一色町の味浜のことか、碧南市にある大浜のことか未だに謎になっています。また当地では、松平家の信仰する浄土宗西山深草派の寺院がたくさんあり、その中でも不退院や養寿寺や桂岩寺などに、そのことが言い伝わっています。ちなみに岡崎松平家の菩提所は岡崎の本宿にある同宗派の法蔵寺です。家康は後に大樹寺を一宇して、先祖の霊をそこへ移しています。前述寺院の不退院の寺記の中に、家康の異母妹に市場姫がいることはご承知のことと思います。1593年に市場姫が亡くなると葬儀が不退院で行われました。その時の導師が本翁意伯(家康の譜代家臣 鳥居元忠の兄)です。その葬儀に家康が会葬したという言い伝えがあります。家康本人なのか特使なのか不明です。また、ここには矢田姫のことが一言もありません。もし、市場姫と異母姉妹であったなら、何らかの記銘があって然りと思うわけですが、ないということは、前述したように矢田姫は、家康の祖父(松平清康)のきょうだいである可能性が高いのです。--Funahi(会話) 2021年10月6日 (水) 01:01 (UTC)
広忠自身も早世で、その後の跡継ぎ問題で不確かな情報が飛び交っています。広忠の最初の妻である於大の方との間に家康が誕生し、その後再婚した真喜姫との間に市場姫が誕生しています。二人とも広忠の正室の子供として正式に名を残していますが、その他広忠の側室の子供として数名が不確かな情報として名が出てきます。矢田姫もその一例です。家康の特出した功績に乗じて名乗り出た感が強いのです。当時の記録の中にもそれが見られるのです。いろいろな情報を照らし合わをし、検証するとその矛盾点がはっきりしてきます。一つの情報源で記事を書くとこのようなことがよくありますので、できる限り情報網を開拓して、広い見地で記事を書いていただくようお願いします。--Funahi(会話) 2021年10月9日 (土) 06:30 (UTC)
矢田姫の存在は確かなことは、分かっていますが、どんな係累なのか謎につつまれています。創作物で登場する矢田姫と純粋な歴史書に書かれている矢田姫がごっちゃになっています。当時の男尊女卑の世相の中で女性の扱いが誠に粗末で、真贋が不明です。矢田姫に関する逸話やエピソードがありましたら記載ください。--Funahi(会話) 2023年7月2日 (日) 00:24 (UTC)