この記事について、中立的な観点の面から議論中です。詳しくはこの記事のノートを参照してください。

という囲みの見出しを本文のトップに出すのをいい加減やめて欲しい。

理由1. ノートを見ても、無意味。

理由2. おまけに、ノートの内容が本末転倒で間違っている。事情を知らないとはいえ、・・・。

理由3. 木戸家は、明治45年以降、寄贈した木戸がらみのモノに関して山口県に公的に紹介するための使用権(使用責任)と管理責任とをごそっと負託している。そして、 松菊庵の画像を含めて(山口県の関係公務員たちによるゲリラ活動か?)、山口県も木戸家も問題視していない。むしろ、貢献してくれていると思っているのではないだろうか。

理由4. 上記の変な囲みの見出しは、木戸ファンとは程遠い、松菊木戸孝允に無理解なレベルの人たちに、本文を無責任に削除したり歪曲したりするのをわざわざ応援しているような感がある。これこそ、Wikipediaの趣旨に真っ向から反していると思われる。それは、ここ二ヵ月間の削除・改悪で明々白々だと思われる。

いくら「中立的な観点」と言っても、幕末・明治に関しては、薩摩と長州とでさえ、モノの見方は必ずしも一致しないであろう。 だから、反「薩長」の立場の者たちは、薩長離間策を幕末から今日に至るまで延々行い続けているのである。

加えて、元々、長州や木戸孝允の立場で考える以外、木戸孝允にとっての「中立公正な観点」はあり得ない。

そういう基本的なことを全部吹っ飛ばすために、意味不明な「中立的な観点」云々の囲みを出し続けているとしか思えない。 でなければ、「中立的な観点」とは一体どういう意味なのか? 「木戸ファンでも長州ファンでもない『中立的な者(?)』が自己満足できるような観点」では、残念ながら、松菊木戸孝允も幕末も明治維新も到底理解し得ないであろう。

薩摩ファン(特に西郷ファン)や新選組ファンをも満足させる長州の木戸孝允像などというものを目指しているとすれば、それは最初の最初っから、(自動的に)長州や松菊木戸孝允を何とかして貶めようということにしかならない。

つまり、「中立的な観点」云々の囲みを本文のトップに出すよりは、編集しようとしたときに、「編集理由を具体的に明示した上での改変でない限り、また編集理由が適切なものと認められるものでない限り、元に戻します」と明示するほうが遙かに有意義であり、合理的であると思われる。

以上の趣旨で、(おそらく)管理人さんたちの、管理の仕方を根本的に改善していただきたいと思います。

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