ノート:林崎新夢想流

最新のコメント:6 年前 | トピック:153.232.5.61さんの編集について | 投稿者:Hakusai

153.232.5.61さんの編集について 編集

  • 序文について

序文に徳5年(1715)に浅利伊兵衞が門人今弥五郎宛てに記した『指南許状』に「抑居合は、剣術の儀たりと言えども、かつは数年稽古を遂げられ、かつは深き志浅からずに依り、相伝の目録授与せしめおわんぬ。此の上は望みの仁有るに於いては御指南もっともに候。仍って許状件の如し。」とあり、剣術を修めた特定の者のみに教授されていた事がわかる。」とありましたが、最初の「抑居合は、剣術の儀たりと言えども」は「そもそも居合は剣術であるが」、という意味と取るのが普通だと思いますが、「剣術を修めた特定の者のみに教授されていた事がわかる」と解釈する出典はどちらでしょうか。おそらく出典と思われる太田尚充先生の書籍等を確認しましたが、発見できませんでした。

  • 特徴の編集について

他の武芸と比べ形の変革が激しいと言われる居合流派の中で、300年以上前の伝書(例:津軽藩 元禄4年(1691年))に記された形と現在伝承されている形が殆ど変化していない流派は非常に貴重である。」とありましたが、1)「他の武芸と比べて形の変革が激しい」と言っている資料は何でしょうか。2)「津軽藩に記された形と減殺伝承されている形が殆ど変化していない」という記述の出典はどちらでしょうか。

上記二点ともに出典もないのであれば、独自研究あつかいになると思います。wikipediaの方針に則って編集された方が良いのではないでしょうか。出典が無い153.232.5.61さんの考え、研究成果であればブログ等で発表されるのがよろしいかと思います。--Hakusai会話2018年1月13日 (土) 17:02 (UTC)返信

  • 編集方法について

153.232.5.61さん、ウィキペディアは何ではないかの「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません」を一度ご覧ください。wikipediaは一次史料を編集者が解釈した考えを発表する場所ではないので、『300年以上前の伝書(『居合向之次第 一』〜『居合外物之次第 五』五巻[11]、常井喜兵衛尉直則から浅利伊兵衛宛て。日付は記されていないが宛名から1600年代と推察する)に描かれた形と、現在伝わっている形を比較すると、(略)当たり前で、貴重な存在であってはならないのだが)。』という部分についは、この文章や考え方が載っている出典が必要です。伝書を見た解釈では駄目だと思われます。(以下余談、そもそも常井喜兵衛の目録は絵目録で名称と形の一瞬の絵しかなく、当時の形の内容は不明です。その伝書だけで「ほとんど形が変化していない事が分かる。」と断言はできないと思われます。それに常井が与えた伝書や浅井伊兵衛から学んだ者が作った全体系を示した目録にある内容をよく見ていただければわかりますが、特に印可の部分は現在の神夢想林崎流や林崎夢想流(新庄藩系)の体系は違っていますよ。)--Hakusai会話2018年1月14日 (日) 01:57 (UTC)返信

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