ノート:武家の身延に公家の富士

最新のコメント:13 年前 | トピック:他人の文面の改竄 を復帰 | 投稿者:Dalaibaatur

統合の是非、統合先の妥当性 編集

一項立てるような内容なのか? --忠太 2005年5月18日 (水) 12:16 (UTC)返信

記事の統合を考えた方が適切かもしれません。Ribbon 2005年5月18日 (水) 13:09 (UTC)返信
整理依頼に議論が引き継がれています。項目統合提案中。--Kstigarbha 2005年8月12日 (金) 21:45 (UTC)返信
この「歌」は、いつ、誰が詠んだものですか?日蓮系諸宗派の信者のあいだで広く人口に膾炙していたのであれば、統合先は日蓮宗で問題ないが、そうでない(富士門流系の人々の間だけに流布していた、もしくは日蓮宗とは関係ない人者が作った歌である、など)ならば、日蓮正宗なり、まだ記事はたてられていないが富士門流内の一挿話とするのが妥当。いつ、誰が詠んだうたであるのか。またどのような人々の間に流布していたのかが明らかにされないかぎり、日蓮宗への統合は次期尚早と思います。--Dalaibaatur 2005年8月14日 (日) 01:58 (UTC)返信

項目統合提案中には反対です。

理由その1
実際の富士派で例えば大石寺のその建立から現在まで勅使門が一度も開いたことがない。山例えば日蓮宗各山では紫衣や御朱印を恩賜され、勅使が来山し勅使門は開いている。
理由その2
大石寺はこれをよく強調するが、天皇陛下のご近親の誰それが御本尊をお受け取りになり、富士派の信仰を受け入れたとの話がよく流布されるが、日蓮系各派は天皇陛下、およびそのご近親に御本尊を奏上することは歴史上よくあり、特別な話ではない。
理由その3
実際、日蓮正宗に皇族およびその御親近、はたまた旧皇族、霞会等々に日蓮正宗帰依者がいるかといえばさにあらず。
理由その4
日蓮宗および日蓮正宗の現実の実態と会わない。
例:身延山の大旦那波木井六郎実長公のお父上は南部公であり、この南部氏族は旧華族となり関東軍陸軍参謀石原莞爾の才能を見抜き、育てた。南部氏族は一部の人が富士派に属すると主張するが、富士派に帰依した形跡はない。--利用者:波木井坊竜尊@日蓮宗 2005年8月15日 (月) 02:18
かつて、日蓮正宗の記事内には、2005年3月4日 (金) 12:48の版より、2005年7月31日 (日) 14:06の版までの諸般に「なお、古来より「武家の身延に公家の富士、石山禁裏の御用達」とうたわれており、禁裏(天皇家)及び公家との関連性が多いとされている。」という一文があった。
武家の身延に公家の富士の記事をたてた利用者:60.237.39.122氏は、記事立てと同時に、この記事と日蓮正宗の関連語句とをリンクさせており、日蓮正宗の記事に上記の一文を記入した人物と思われる。
以上の経緯より、
  1. この記事の統合先として妥当なのは、日蓮正宗である。
  2. この記事や、日連正宗で関連文章を投稿したIP氏と、2005年8月3日 (水) 21:40の版で関連文章を削除した利用者:波木井坊竜尊@日蓮宗氏は、この文章を独立した記事や、記事中の1文面として存在させる意味と意義について合意を形成すべきである。
  3. 日蓮宗への統合は問題とならない。
と考える。--Dalaibaatur 2005年8月16日 (火) 13:32 (UTC)返信
本文には「総門が黒木の御所造で、三門は朱塗りであり、二天門には菊紋が施されており」とあるが、これについての論議が無いと思われる。本来「黒木の御所造の門」は勅を頂かねば建てられないのは常識である。すなわち一度は勅許が出た証拠では無いだろうか。(UTC)

 

波木井分家の芳賀氏は、大石寺に墓が存するので、帰依した事は事実である。(UTC)

 

また、霞会については、霞会には富士嫌いが多い事は事実であろうが、その霞会の中から、昨今黒門山崎家が冨士に帰依している事実もあり、その黒門一族が元々富士派の信徒であったことも書かれている。なおこの山崎家は四条金吾の末裔である。そのことについて、ハンドルネームしぶけん氏が活動報告で語っている。(UTC)
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/ETC/TAIKEN/taiken04.htm
抜粋します。
「黒門の一族はもともと富士派の信徒でしたが、徳川幕府の公家弾圧により強制的に輪王寺の衛士とされてしまい、以来一族の男子は天台宗の信徒として出入りし、女子は密かに常泉寺に参詣して富士派の御授戒をうけ、影で御本尊様を御護りし、富士詣でと称して妙蓮寺に参詣していたとのことでした。」

また、この山崎家が存する妙縁寺に日野大納言が帰依していた記録がある。日野家は公家の名門である。 慶長年間の歌集「美楊君歌集」に"うたよみ知らず"で「武家の身延に公家の冨士石山禁裏の御用達」とある。 これが、歌の初出であろう。--60.237.39.402005年10月27日 (木) 18:23

波木井坊竜尊氏は勘違いされている。
そもそも、波木井六郎実長は南部家の嫡男では無い。三男又は六男の説があるが、どちらとは特定できない。
南部家嫡男の系統を受け継いだのが、江戸時代の南部盛岡藩主であるが、この南部家は明治期に伯爵に列している。
なお、日蓮正宗(富士派)感恩寺の開基は相馬大作の子息であり、開基檀那は南部伯爵である。
南部家は氏族である波木井家の系列は日蓮宗にいるであろうが、本家である南部伯爵は富士に帰依しているのである。もっとも南部家は、武家であって公家では無いので、本項目には直接関係無いであろうが、波木井坊竜尊氏が持ち出されたのであえて返答した。--kaneichi 60.237.39.236 (会話)2006年8月14日 (月) 13:25


削除、消去の妥当性 編集

日蓮正宗の記事中において、富士門流が、中世から近世にかけて公家禁裏と深い関係をもっていたと主張したいのであるならば、「武家の身延に公家の富士、石山禁裏の御用達」という歌1句によってではなく、個別的、具体的な史実の提示によっておこなうべきである。
ただしこの歌が、IP氏の主張するごとく「古来より・・・とうたわれ」ていることが事実であるならば、たとえ波木井坊竜尊氏の主張するごとく、歌の文言そのものが史実に反していたとしても、富士門流内の自己認識を反映した史料として、記事中で取り上げたり、言及したりすることそのものを否定すべきではない(逆に、昭和とか、平成になってから言い出されたにすぎないのなら、記事で取り上げる価値はないと考える)。
よってIP氏には「武家の身延に公家の富士、石山禁裏の御用達」という歌の初出史料や流布状況について紹介、提示されるよう希望する。--Dalaibaatur 2005年8月16日 (火) 13:32 (UTC)返信

]]日蓮正宗への統合、及び、初筆者の出典明示待ち、ということでよろしいでしょうか?--Kstigarbha 2005年8月21日 (日) 09:11 (UTC)返信

そうなります。現状ではIP氏による書き捨て状態なので、尊竜さんに反証をあげるか、もしくは尊竜さんの指摘にもかかわらずこの歌を紹介する意義について、なんらんかの増補がほしいですね。--Dalaibaatur 2005年8月23日 (火) 06:49 (UTC)返信
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/ETC/TAIKEN/taiken04.htm 抜粋します。
左記の項目にある文章の内容は、現存し実社会生活を営む方のことを取り上げていると解釈する。
私は記載されている文章の中に登場する人物の講に所属しているので、実名記載の文書は事態の状況を容易に想像できるために、この文章の引用は個人の情報を侵害すると判断する。
もし、貴方が記載されている情報の引用を継続したいのならばその内容が確かにその通りか、また登場人物に了解を取っているかを明記して欲しい。また貴方の所属講名も取り上げて語って欲しい。
この2点を貴方が了解し私の意見を聞き入れてくださって掲載を継続するのなら理解できなくも無いが、文章や内容の専門性を見るとどのようなものかと思う。単なる歴史的な検討材料として記載する事はテーマの本質から逸脱する可能性が生じると考えるがいかがなものか。
私の浅識であればご容赦いただけるようお願い致します。
八王子市在住の妙観講員より--221.113.172.57 2006年5月31日 (水) 06:43
八王子市在住の妙観講員様
私も概ね賛同します。
しかしながら、個人情報でいうなら、そもそも、出典元(http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/ETC/TAIKEN/taiken04.htm)
を出している方自体が本人の許可を得ているとは考えにくいのでそもそも“しぶけん”と称するこの方がまずは自粛して頁を削除するべきでありましょう。また、元々これ(特定人物の標記)を挙げた方は「法華講員」とは名乗っておられないのに、所属寺院を聞くのは、何故でしょうか?法華講員で無ければ、所属寺院も何もそもそも持っておられないと考えます。--kaneichi@東京第2布教区法華講員より Kaneichi (会話 | 投稿記録) 2006年8月4日 (金) 16:38

総括 編集

上記、各項目からも、反対派の見解はほとんど反論され尽くしており、それに対する反対派からの再反論は存在しない。 以上の経緯から、そろそろ「統合」しても言いように思いますが如何でしょうか?古今無双


他人の文面の改竄 を復帰 編集

  • 古今無双 氏の2006年9月14日 (木) 18:35の編集
  • Urakusai 氏の2006年9月20日 (水) 13:00の編集

上記の編集は、他人の文章を勝手に削除したり、他人の文面の中に自分の文章を紛れ込ますなどがおこなわれていたので、初出の文面で復帰し、投稿の日時にもとづく順番によって配置しなおしました。 古今無双・Urakusai両氏は議論のために有為な情報発信もなさっていますが、60.237.39.40・kaneici両氏の文章に加工するかたちで行っておられたので、最新の文面には表示されていません。すでに終わった議論ですが、資料としてなど、もし必要でしたら、ご自身の投稿として、既存の文章に続ける形で、あらためてご投稿いただければとおもいます。--Dalaibaatur 2010年8月16日 (月) 14:57 (UTC)返信

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