ノート:比企能員の変/削除
削除依頼よりお引越し
編集Wikipedia:削除依頼/比企能員の変よりお引越し。--Nekosuki600 2006年1月10日 (火) 15:48 (UTC)
<ここから>
削除依頼の理由 --事件の真相の部分が『日本の歴史7 鎌倉幕府』(石井進著 中央公論社)292頁以降を多少改変しただけのようです。非常に論旨・記述の運びが似通っているためこのままでは著作権侵害に当たるのではないかと思うのですが、みなさんはどう思われますか?
- (コメント)この項目を書いた本人です。執筆に当たっては『日本の歴史7 鎌倉幕府』と『鎌倉合戦物語』(笹間良彦、雄山閣出版)、「鎌倉擾乱」(高橋直樹、文春文庫)と吾妻鏡を参照しました。大分前のことなので記憶が定かではないのですが「事件の真相」の部分は『日本の歴史7 鎌倉幕府』の論旨を参考にしていますが断じて転載ではありません(双方の記述量がまるで違います)。事件の北条氏による捏造説はよく言われることであり、わたしは著作権侵害ではないと思いますが。裁定には従います。--味っ子 2006年1月9日 (月) 23:11 (UTC)
- (コメント・追加)そんなに似ているものかと『日本の歴史7 鎌倉幕府』と本項目を読み返してみたのですが、わたしは『吾妻鏡』と京都の公家の日記の記述に食い違いがあるということを基に事件の北条氏捏造説を記述しました。確かにわたしはこの本を読むまでは『吾妻鏡』と京都の公家の日記の記述の食い違いについては知りませんでした。『吾妻鏡』に密謀を北条政子が障子越しに聞いていたことと書かれていることについておかしいということは本にも書いています、しかし、わたしは自然と思いましたし誰でも思うでしょう。その他に書かれていることは明らかにわたしのオリジナルの文章です。わたしの文章は『吾妻鏡』と京都の公家の日記の記述の食い違い(重ねて言いますが、この事実を知ったのは『日本の歴史7 鎌倉幕府』からであることは認めます)のみで(半ば強引に)北条氏による事件捏造説を断じています。これに対して、はっきり言って『日本の歴史7 鎌倉幕府』はわたしの短い文章なんかよりもはるかに詳細に(5頁にわたって)北条氏による捏造説を検証しています。参考にしたにしてもわたしの文章は稚拙で検証が不十分であり、「多少改変」だのといわれるのはおこがましい限りで十分な検証をされた石井進に失礼だと思います。これが著作権の侵害と言われるならば、「『吾妻鏡』と京都の公家の日記の記述の食い違い」という事実を使って論述をしてはいけないということなります。そういう裁定ならばそれに従いますが、本文章は断じて転載ではなく、『日本の歴史7 鎌倉幕府』292頁以降の要約にすらなっていないことは主張させていただきます。以上、自己弁護させていただきました。--味っ子 2006年1月10日 (火) 00:20 (UTC)
- (コメント)削除依頼者の署名も無く、比企能員の変の項目の方にも削除依頼のテンプレが貼られていない。現状では削除依頼自体が無効では?--163.139.28.49 2006年1月10日 (火) 03:13 (UTC)
- (コメント・追加)しつこいようで申し訳ない。自分の文章が削除依頼を受けたのは初めての経験なので。削除依頼者が問題にしているのは『日本の歴史7 鎌倉幕府』292頁の12行から293頁の1行が「事件の真相」の章の冒頭の部分が似ていると考えられていると思います。この部分は『吾妻鏡』の記述と京都の公家の日記に矛盾がある事実を説明しており、わたしは北条氏による事件の捏造の論拠とするのに、このことを証拠とて提示したく事実を説明しており、これ以外にわたしには書きようがありません。文章自体は違うものになっていると信じます。わたしには論旨や記述の運びも違えようがありません(本とは異なっていると信じます)。『吾妻鏡』の記述と京都の公家の日記の矛盾自体は中世史の研究者なら誰でも指摘しうるもので石井氏の独自の説ではないと考えます。あの文章は、わたしは著作権の侵害にはあたらないと思って(そんなことを意識もせずに)書きました。ここで著作権侵害の恐れがあるとして削除されるなら、その裁定には従います。くだくだと弁解して申し訳ありませんでした。--味っ子 2006年1月10日 (火) 03:23 (UTC)
- (コメント)削除依頼者です。何度も丁寧に手直しをしてくださってる投稿者の努力にはいつも感謝しています。削除依頼のテンプレについては該当サブページを削除してだしたのですが、ページ全体を削除するんだったのですね。慣れてなくてご迷惑をおかけしました。削除依頼箇所についてですが、厳密には事件の真相の前半部分に当たります。『日本の歴史7 鎌倉幕府』(石井進著 中央公論社)292頁以降とこの部分を比べていただきますと納得していただけると思うのですが、この部分は全く同書の書き写しに手を加えただけという感がします。具体的に指摘いたしますと、まず九月七日に頼家死去を伝える幕府の使者が京都に着いたことをあげ、北条政子が障子の影から聞いていたとする『吾妻鏡』の記述をあげてありえないことだとすると記述の進み方は全く同書の該当箇所といっしょです。詳細に言えば、ここで貴族の日記とあるのはおそらく藤原定家の日記『明月記』のことだと思われますが、同書でも貴族の日記とあるため投稿者も貴族の日記としか書いていません。また石井氏は当時の鎌倉と京都との移動時間を他の例から推測し、使者の出発時期をだいたい九月一日、二日と割り出しているのに対して、この項目ではそれが唐突にあらわれており、投稿者が論旨を全く同書に頼っていると思われます。さらに石井氏は北条政子の立ち聞きについては、同書でこのあとにつづくスパイが頼家近臣にいたという説につなげるために提示している感があります。投稿者はその部分をばっさり切り落としていますが、そうすると逆にこの位置で『吾妻鏡』を出してくる必然性が特にないことになります。これまでをふまえれば偶然このような記述になったということはないでしょうし、同書に大きく拠っているという証拠だと思われます。最後に手許にある鎌倉通史を二つほど流し読みしてみましたが、小学館ライブラリー『大系日本の歴史5 鎌倉と京』(五味文彦 小学館)では単なる北条氏陰謀説ではなく、北条政子の主体的役割(とくに調停者として)について一つの見方を示しています。もしここでの五味氏の提示をうけるならば、ここからは私見ですが『吾妻鏡』においての政子の立ち聞きのくだりもこの事件に政子が北条氏とは別の立場で積極的に関わっているということの暗示でもあるということにもならないでしょうか。つまり立ち聞きをありえないこととして簡単に片づけていることも石井氏の見方に大きく拠っていることを示していると思われます。石井氏においては政子の立ち聞きをありえないこととすることによりスパイ説に結びつけているからです。以上同書の記述・論旨をほぼそのまま採用していると思われる点を列挙してみました。私としてもこれが著作権違反に当たるかどうかというのは難しい判断とは思いましたが、少なくとも一度は議論した方がよいのではないのかと思い依頼を出させていただきました。みなさんはどう思われますでしょうか。--Kanbun 2006年1月10日 (火) 05:08 (UTC)
- (コメント)削除依頼サブページは議論の場所ではありません。議論はノートページでどうぞ。--BitBucket 2006年1月10日 (火) 07:57 (UTC)
- (コメント)最初にも書きましたが「事件の真相」の部分は『日本の歴史7 鎌倉幕府』を参考にして、これに依拠して書いたことを認めます。この事件の北条氏捏造説について、わたしは他の資料は持っていません。ただ、わたしなりの文章にしたと信じます。それが転載ないし盗用にあたるかどうか、できるだけ早いみなさまのご裁定を願います。ここは存続/削除の採否の場で、議論の場ではないようですので以後の発言は控えさせて頂きます。--味っ子 2006年1月10日 (火) 15:31 (UTC)
<お引越しここまで。では続きをどうぞ>
で、えーと。
まず第一。著作権は原則として表現の上に成立するものであり、論旨・論理の上に成立するものではないため、論旨・論理が類似していることは著作権侵害とはなりません。
それから第二。もともとWikipediaは「独自の研究発表の場ではない」と位置づけられているため、独自の論旨・論理のテキストの投稿は歓迎されません。定評ある研究者の論旨・論理を使えないとなると百科事典は成立しなくなるのではないか。
という2点より、問題はないものと考えます。ただ、テキストを対照していないので、「完璧に問題なし」と断言するのはやめておきます。上記説明を読んだ上で問題があるかどうかは両方をご覧になった方にご判断いただきたい。
なお、こういったケースでは、参考文献という章を設けてそこに参考にした書籍などを羅列しておいておくことで、「だんまりを決め込んでの剽窃」といったそしりを免れることができる場合がありますので、味っ子さんにおかれましては、心配なときにはそういう手も援用するとよろしいかと思います。--Nekosuki600 2006年1月10日 (火) 17:35 (UTC)
- 削除依頼者です。参照してもらえばすぐにわかると思いますが、事件の真相の前半部分は文章表現が『日本の歴史7 鎌倉幕府』の該当部分にそっくりです。論理をあげたのはこの部分は他の文献をとくに参照していないことを示すためです。そのために長くなって申し訳ありませんでした。--Kanbun 2006年1月11日 (水) 06:48 (UTC)
- 削除依頼者です。Nekosuki600さんは誤解されているかもしれませんが、定評ある研究者とすれば、石井氏も五味氏もともに定評ある研究者であると思われます。前半部分の『明月記』のことは一般的に頼家謀殺説の根拠として知られていますが、『吾妻鏡』の政子の記述の正当性については石井氏が近臣にスパイがいたという氏自身の見方を紹介するために出しています。『吾妻鏡』の信頼性にはいろいろ疑問符がつくことは確かでしょうが、細かい記事ごとの信頼性には意見が分かれることも多いかと思われます。専門家でないので何とも言えませんが、文献に多少当たってみたところ頼家謀殺説に結びつくような材料は他にもたくさんあるようです。北条氏捏造という部分ですが、中心にいたのは北条時政や北条政子であるのは確実と思われますが、これを陰謀と見るか政争と見るか等々によって当然主体が変わってくるものと思われます。北条氏、あるいは東国有力御家人、もしくは鎌倉幕府の主導勢力による頼家謀殺説というのがいいのではないでしょうか。みなさんはどう思われますでしょうか。--Kanbun 2006年1月11日 (水) 06:58 (UTC)
- 内容のことはちょっとおいておきます。
- すみませんが、あなたのおっしゃる「そっくり」というのはどういう意味であるのかをご説明いただけませんでしょうか。「ざっと読んだときに感じが似ていた」という意味なんでしょうか、それとも「照合をしたところ単語の選択・その並びが同じである」「文章の語尾を変えた程度の違いしかない」という意味なんでしょうか。後者であるならば「そっくり」という表現を用いても良いと思いますし削除相当、前者であるならばそれは中傷に近い批判であり削除不相当となります。
- 率直なところ、本件内容については興味範囲ではないので、労力をかけて直接調べようとは思っていません。ただ、著作権関連のもめごとであり、なんか微妙な議論になっていたようなので、そちら方面にもいちおう知識がある者としてお手伝いができればということで介入しました(「論旨が似ている→著作権侵害」という論理構成が非常に気になったためです)。
- --Nekosuki600 2006年1月11日 (水) 13:59 (UTC)
- 繰り返しになりますが、論旨の一致をあげたのはこの部分を執筆するに当たって『日本の歴史7 鎌倉幕府』以外の文献を参照していないということを示すためです。そのうえでさらに文章表現が似通っているので問題ではないかといっただけです。「論旨が似ている→著作権侵害」という意味で論旨の一致をもってきているのではありません。文章表現で問題がないのであれば全く私も問題に思わないので、現状でよろしいのだと思います。ただ個人的な意見としては、ここの部分が結果的に石井氏の見解をまるっきり採用しているかたちになっているのに疑問は覚えています。--Kanbun 2006年1月11日 (水) 21:35 (UTC)
- どの程度「そっくり」かについていえば、私は一目見て『日本の歴史7 鎌倉幕府』の該当箇所の模倣であると確信しました。ただこれで著作権侵害にあたるのかといえば、私には判断しかねます。是非一度『日本の歴史7 鎌倉幕府』の該当箇所をご確認ください。そのうえで著作権について問題ないようでしたら、私もとくに問題になるとは思いません。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 07:22 (UTC)
- 模倣というのはちょっと表現が微妙かもしれません。著作権法の定義に従えば、翻案あるいは要約にあたっているように思えると言っておきます。この部分が単なる事実関係の記事でないことは明白なのはみなさんご理解いただけると思いますし、事件の真相の推理に石井氏の視点以外の根拠が盛り込まれていないというのも納得されるかと思います。たしかに『明月記』の条は一般的に広く知られていますし、客観的な事実関係であるといわれて遜色ありません。が、『吾妻鏡』への言及箇所については石井氏の推理を含む物であり、この見方については石井氏独自の見解を含むと思われます。北条氏の陰謀という見方に結果的にこだわっているかのように見えるのも本項目が石井氏の著作の該当部分の翻案あるいは要約でしかないということを証明しているように思われました。なぜなら石井氏は本項目にはありませんが、該当著作のこのあとに続く部分で、頼家近臣にスパイがおり、北条氏とつながっていたという見方をしめすことで、より北条氏の陰謀という見方を強めているからです。百聞は一見に如かずですので、私の以上の主張は該当著作を確認していただければすぐわかるものと思われます。そのうえで著作権などで問題に当たらないのであれば、私はとくに問題にはいたしません。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 10:52 (UTC)
- 日本の著作権法における翻案について、とりあえず[1]を読んでみたところ、判例では依拠性と類似性が翻案かどうかを判断するメルクマールとなっているように解されました。依拠性については、味っ子さんの言われるとおり、石井先生の論旨は特に目新しくはない(誰でも思いつく)もののようですので、微妙ではないかという気もしますが、実際にKanbunさんは『日本の歴史7 鎌倉幕府』の292ページを想起なさってますので、自分には判断がつきかねます。次に類似性についてですが、該当箇所を読み返してみても「既存の著作物の,著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分」についての表現が共通しているようには思われませんでした。別物の表現になっているというのが私の見解です。ゆえに、翻案と言える可能性はかなり低いのではなかろうか、というのが私の判断です。Kanbunさんの表現の類似性についてのご見解はいかがでしょうか。
- 私の判断が必ずしも判例の趣旨を踏まえているとは限りませんので、できたらKanbunさんと私以外のどなたかのご見解もお伺いしたいところです。--shimoxx 2006年1月12日 (木) 13:01 (UTC)
- 上記の判例についてですが、これは依拠性が証明できないため特定の著作物に依拠しているといえない。ゆえに偶然類似したものと思われ、著作権侵害には当たらないであろうということです。今回のケースは投稿者は明白に『日本の歴史7 鎌倉幕府』に依拠してこの箇所を書いたことを認めています。私が論理構成をややくどく問題にしたのも、投稿者が同書に依拠していることを証明するためです。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 13:22 (UTC)
- くどいようですが、たとえ誰でも思いつく学説の紹介でもあっても、投稿者は明らかに『日本の歴史7 鎌倉幕府』に依拠しており、当該箇所の翻案あるいは要約に当たる可能性があると指摘しているのです。誰でも思いつくような学説であるからというのも非常に疑わしい主張ですが、もしそうだとしてもここでは著作権侵害かどうかの問題に対して説得力がないことは明白です。偶然類似性が発生したのでないことは投稿者本人が認めているように思われます。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 13:28 (UTC)
- うわー、しまった。スゲー勘違いしてました。Kanbunさんの言うとおりで、依拠性は十分認められますね。誠に恥ずかしながら前言を撤回し改めます。どうも申し訳ない。
- でも、依拠性だけでは翻案あるいは著作権侵害になりません。判例では、原著作物に依拠しつつ、表現も類似していないと著作権侵害には当たらないとされています。表現の類似性、すなわち「既存の著作物の、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分」に共通性があるかどうかが次のポイントになってきます。今一度石井先生の文章と味っ子さんの文章を照合しましたが、若かりし石井先生の躍動的な文体と味っ子さんの抑制的な文体には明確な差異が認められます。文章表現の一致はなく、動詞などを類義語で置き換えている例も語尾・文末だけを書き換えている例も見られず、味っ子さんの文章には十分に独自の創作性が認められると言って良いと思います。似たような内容を全く別の表現で明確に説明しています。確かに依拠性もアイディアの類似性も認められますけれども、最も肝心な表現の類似性はありません。なので、やはり著作権侵害には該当しないと結論付けられるだろうと思料いたします。--shimoxx 2006年1月12日 (木) 14:59 (UTC)
- 依拠性と類似性についてのより興味深い判例は[2]などみつかりました。参考になるかと思います。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 15:12 (UTC)
- くどいようですが、たとえ誰でも思いつく学説の紹介でもあっても、投稿者は明らかに『日本の歴史7 鎌倉幕府』に依拠しており、当該箇所の翻案あるいは要約に当たる可能性があると指摘しているのです。誰でも思いつくような学説であるからというのも非常に疑わしい主張ですが、もしそうだとしてもここでは著作権侵害かどうかの問題に対して説得力がないことは明白です。偶然類似性が発生したのでないことは投稿者本人が認めているように思われます。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 13:28 (UTC)
- 上記の判例についてですが、これは依拠性が証明できないため特定の著作物に依拠しているといえない。ゆえに偶然類似したものと思われ、著作権侵害には当たらないであろうということです。今回のケースは投稿者は明白に『日本の歴史7 鎌倉幕府』に依拠してこの箇所を書いたことを認めています。私が論理構成をややくどく問題にしたのも、投稿者が同書に依拠していることを証明するためです。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 13:22 (UTC)
- 模倣というのはちょっと表現が微妙かもしれません。著作権法の定義に従えば、翻案あるいは要約にあたっているように思えると言っておきます。この部分が単なる事実関係の記事でないことは明白なのはみなさんご理解いただけると思いますし、事件の真相の推理に石井氏の視点以外の根拠が盛り込まれていないというのも納得されるかと思います。たしかに『明月記』の条は一般的に広く知られていますし、客観的な事実関係であるといわれて遜色ありません。が、『吾妻鏡』への言及箇所については石井氏の推理を含む物であり、この見方については石井氏独自の見解を含むと思われます。北条氏の陰謀という見方に結果的にこだわっているかのように見えるのも本項目が石井氏の著作の該当部分の翻案あるいは要約でしかないということを証明しているように思われました。なぜなら石井氏は本項目にはありませんが、該当著作のこのあとに続く部分で、頼家近臣にスパイがおり、北条氏とつながっていたという見方をしめすことで、より北条氏の陰謀という見方を強めているからです。百聞は一見に如かずですので、私の以上の主張は該当著作を確認していただければすぐわかるものと思われます。そのうえで著作権などで問題に当たらないのであれば、私はとくに問題にはいたしません。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 10:52 (UTC)
- どの程度「そっくり」かについていえば、私は一目見て『日本の歴史7 鎌倉幕府』の該当箇所の模倣であると確信しました。ただこれで著作権侵害にあたるのかといえば、私には判断しかねます。是非一度『日本の歴史7 鎌倉幕府』の該当箇所をご確認ください。そのうえで著作権について問題ないようでしたら、私もとくに問題になるとは思いません。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 07:22 (UTC)
- 繰り返しになりますが、論旨の一致をあげたのはこの部分を執筆するに当たって『日本の歴史7 鎌倉幕府』以外の文献を参照していないということを示すためです。そのうえでさらに文章表現が似通っているので問題ではないかといっただけです。「論旨が似ている→著作権侵害」という意味で論旨の一致をもってきているのではありません。文章表現で問題がないのであれば全く私も問題に思わないので、現状でよろしいのだと思います。ただ個人的な意見としては、ここの部分が結果的に石井氏の見解をまるっきり採用しているかたちになっているのに疑問は覚えています。--Kanbun 2006年1月11日 (水) 21:35 (UTC)
- 執筆者です。「そっくり」と書かれていささか驚きました。再度『日本の歴史7 鎌倉幕府』292頁の12行から293頁の1行と「事件の真相」の章の冒頭の部分を読み返しました。両者の言わんとしていることは「京都の公家の日記によると幕府から今日へ9月7日に使者が来て、1日に頼家死去したので実朝の将軍就任を要請した。」「しかし、1日には頼家は存命であった」「使者の出立は1日ないし2日であろう」「この時点で比企氏の滅亡は予定されていたのではないか」という吾妻鏡との矛盾を説明しています。確かに「事件の真相」を書くのには『日本の歴史7 鎌倉幕府』を参考にしましたこれは認めます(なぜなら、この本を読む以前はこのわたしは事実を知らなかったからです)。また、ご指摘の通り、「京都の公家の日記」が具体的になんだったのかわたしには分かりませんでした。なぜならこの本には書かれていなかったからです。使者の出立を1日ないし2日と書いたのも本に拠りました。なぜなら、わたしは鎌倉から京都までの当時の日数を知りません。しかし、事実関係の説明は同じでも、文章の表現自体は異なっているとわたしは信じます。これをもって「そっくり」とされてしまうと吾妻鏡と京都の公家の日記の矛盾を説明してはならないということになります。削除依頼者はそういうことを主張なされているのですか?確かに削除依頼者はわたしが記事を書く際に参照した書籍を見つけました。それが直接、著作権の侵害に結びつくのでしょうか?それとも記事の執筆にあたって書籍類を参照してはならないということでしょうか?--味っ子 2006年1月11日 (水) 21:31 (UTC)
- 記事の執筆にあたって書籍類を参照してはならないと述べているつもりは全くございません。私の主張のどこを見て味っこさんはそう思われたのか非常に疑問です。該当箇所が書籍の引き写しのように思われたので指摘しただけです。著作権その他とくに問題なければ私としてもとくに問題にするつもりはありません。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 07:22 (UTC)
- 執筆者です。「そっくり」と書かれていささか驚きました。再度『日本の歴史7 鎌倉幕府』292頁の12行から293頁の1行と「事件の真相」の章の冒頭の部分を読み返しました。両者の言わんとしていることは「京都の公家の日記によると幕府から今日へ9月7日に使者が来て、1日に頼家死去したので実朝の将軍就任を要請した。」「しかし、1日には頼家は存命であった」「使者の出立は1日ないし2日であろう」「この時点で比企氏の滅亡は予定されていたのではないか」という吾妻鏡との矛盾を説明しています。確かに「事件の真相」を書くのには『日本の歴史7 鎌倉幕府』を参考にしましたこれは認めます(なぜなら、この本を読む以前はこのわたしは事実を知らなかったからです)。また、ご指摘の通り、「京都の公家の日記」が具体的になんだったのかわたしには分かりませんでした。なぜならこの本には書かれていなかったからです。使者の出立を1日ないし2日と書いたのも本に拠りました。なぜなら、わたしは鎌倉から京都までの当時の日数を知りません。しかし、事実関係の説明は同じでも、文章の表現自体は異なっているとわたしは信じます。これをもって「そっくり」とされてしまうと吾妻鏡と京都の公家の日記の矛盾を説明してはならないということになります。削除依頼者はそういうことを主張なされているのですか?確かに削除依頼者はわたしが記事を書く際に参照した書籍を見つけました。それが直接、著作権の侵害に結びつくのでしょうか?それとも記事の執筆にあたって書籍類を参照してはならないということでしょうか?--味っ子 2006年1月11日 (水) 21:31 (UTC)
図書館で『日本の歴史7 鎌倉幕府』(石井進、中央公論社、S49.4.30発行、52版)を借りてきました。比企能員の変については、290ページから295ページまでに書かれています。一読二読してみたところ、著作権侵害に当たるような箇所は見受けられませんでした。確かに、全体的に同書の論理展開をかなり模倣しているようにも感じられましたが、著作権侵害と呼べる程の表現の同一性・酷似性はないと思いました。著作権侵害とならないよう、かなり慎重に言葉を選んで独自の表現とされた様子が読みとれます。余談ですが、同書を書いた石井先生は中世史研究の第一人者ですので、そうした方の文献を根拠として本項目が書かれたことは、非常に望ましいことだと思います。もし宜しければ、他の方にも検証して頂くべく、同書の該当箇所をどこかにupしてみますけど(←それが著作権侵害だろ)。--shimoxx 2006年1月11日 (水) 11:36 (UTC) 書籍情報を加筆--shimoxx 2006年1月11日 (水) 11:42 (UTC)
著作権侵害に当たらないようなら問題ないかと思われます。私自身も明確に著作権侵害だと思っているわけではないので。該当部分もそれほど長いセンテンスではありませんし。ただ私は一目で『日本の歴史7 鎌倉幕府』の当該箇所が浮かんだので、非常に気になったというだけです。個人的にはもうすこし手直しした方がいい気もしますが、みなさんが問題ないというのでしたらたぶん問題ないことなのでしょう。--Kanbun 2006年1月11日 (水) 21:05 (UTC)
- なお五味氏については少なくとも当時の日記類や『吾妻鏡』などのいわゆる文学的要素の高い史料の研究にはかなりの成果を上げている方だと思われます。この部分で石井氏が第一人者であるから但し書きもなしにその説を全面的に採用するというのは、これも個人的な意見になるのかもですが、Wikiペディアの趣旨とは違っているようにも思われます(もしShimoxxさんがそういう意味でおっしゃっているならば)。--Kanbun 2006年1月11日 (水) 21:35 (UTC)
- 私なりに論点を整理してみました。
- まず、著作権侵害であるかどうかという点について。著作権はアイディアではなく表現に認められる権利とされていますので、表現の一致・酷似がない限り著作権の侵害には当たらないと言えるでしょう。自分の見解は既に述べたとおりです。
- 次に、項目本文の論理展開や構成が、ある文献と類似している場合について。学生のレポートでこれをやれば単位はもらえないでしょうし、学者がこれをやると信頼を失うことになるでしょう。それは、レポートや論文が自分のアイディアを世に問う性格をもっているからです。ここウィキペディアは、世に問われ試練を乗り越えたアイディア(叡智、って言うんですかね)を集積する場ですので、論旨や構成が似るのは決して望ましいことではないでしょうが、著作権侵害に当たらない限りは、受容しうる範囲にあると思います。本来ならば資料にあるアイディアを自分の中で咀嚼し、自分なりの構成と表現で記述するのが理想的なウィキペディアンなのでしょうが。
- そして、複数の見解が存在するのに、特定の見解だけを記述するという点について。複数説を知っていながら特定説だけを記述することは著しく中立性を欠きますので、ウィキペディアではすべきでない行為とされています。ただ、なるべく多方面の見解を探したけれども、結果的に特定説だけが記述された場合、これはやむを得ないことと斟酌する余地もあるのではないでしょうか。今回のケースで、味っ子さんは複数の文献に当たり、結果として石井説に依拠した記述をされました。そこへ五味説をご存知のKanbunさんが現れました。味っ子さんは五味説を否定していませんし、五味説を加筆することに特に反対はされていませんので、wikiの特性を活かしてKanbunさんが五味説を加筆されれば、より充実した内容になることでしょう。ですので、お二方に議論の対立は本質的にはないように思われるのです。私もよくやらかしてしまうのですが、多方面から資料を集めて中立性の高い記述をしようと努めても、個人の能力には限界がありますので、捕捉できなかった説・見解というのがどうしてもでてきます。そうした不足に気付いた方が適宜不足を補うことのできるのがwikiシステムの良き特性ですし、私はそう理解しています。
- 弁解をいたしますが、「同書を書いた石井先生は・・・云々」と書きましたのは、得てして、単一の資料のみに依っていると思しき項目、多分何も見ずに適当に書いたと思しき項目、信頼性の低い資料を参考にしていると思しき項目が割と見られる中で、一定以上の信頼性を持った資料に依拠されたこと自体はそう悪いことではないと思ったからです。
- 最後に一点だけ述べさせてもらいますと、今回、著作権侵害か微妙なケースでしたけど、削除依頼よりも先にノートで疑問が提示されていれば、あるいは良かったのかも知れないなあ、と感じました。ただ、著作権侵害はウィキペディアに強い影響を及ぼす事項ですから、やむを得なかった面も理解しております。--shimoxx 2006年1月12日 (木) 11:16 (UTC)
- Shinoxxさんは微妙に誤解しておられるようなので申し上げます。たとえば学説はいわゆるアイディアにあたり、著作権が発生しませんが、文化庁のホームページによれば学説が書かれた「学術論文自体は著作物であり、例えば論文の無断コピーが一般に著作権侵害になるのは言うまでもありません。」ということだそうです。投稿者は『日本の歴史7 鎌倉幕府』の当該部分を翻案あるいは要約しただけなのではないかということを私が言っているのです。ある著作物の翻案や要約には当然著作権が関わってくるものと私は認識しておりました。また以上のようなことをふまえてそれでもなお著作権に関わりがないということであれば、それは問題ないことと思われます。その点についてはいかがお思いでしょうか。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 12:21 (UTC)
- 翻案に当たるかどうかにつきましては、議論が分散してもいけないので、上に書きました。--shimoxx 2006年1月12日 (木) 13:01 (UTC)
- Shinoxxさんは微妙に誤解しておられるようなので申し上げます。たとえば学説はいわゆるアイディアにあたり、著作権が発生しませんが、文化庁のホームページによれば学説が書かれた「学術論文自体は著作物であり、例えば論文の無断コピーが一般に著作権侵害になるのは言うまでもありません。」ということだそうです。投稿者は『日本の歴史7 鎌倉幕府』の当該部分を翻案あるいは要約しただけなのではないかということを私が言っているのです。ある著作物の翻案や要約には当然著作権が関わってくるものと私は認識しておりました。また以上のようなことをふまえてそれでもなお著作権に関わりがないということであれば、それは問題ないことと思われます。その点についてはいかがお思いでしょうか。--Kanbun 2006年1月12日 (木) 12:21 (UTC)