吉田東俉著『大日本地名辞書』に、豊後・佐伯藩毛利家に伝わる以下の話が載っている---「我が国で使われている算盤(ソロバン)は中国より、伝わったものであるが、この算盤を伝えたのが、豊臣秀吉の家臣であった森勘八郎高政であり、高政は秀吉の妾・森氏の出で、秀吉の庶子であった。秀吉の命により、中国(明)に渡り、その用法を伝習した。この高政の屋敷が大長寺の在った場所(網島)にあった縁で、大長寺に高政の没後、位牌を安置した。 森高政は後に毛利と改名し、豊後・日田に封ぜられていたが、豊臣家の没後、徳川家康により、禄高を削られ、豊後・佐伯に移封された。江戸時代を通じ、佐伯藩の参勤交代の途次、大坂を通る時には必ず家老を大長寺に遣わし、位牌を拝んだ」とある。藩祖の毛利(森)高政は我国の算盤の始祖として同藩に伝わっていたが、算盤の伝来については諸説ある---とのこと。[1]。メモとして。

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