ノート:渤海人

最新のコメント:6 年前 | 投稿者:TEN

東北工程以前にも1980年代から『中国東北史』などで「高句麗は朝鮮に非ず」という論調が出されています。東北工程により初めて学説転換があった記載方法には問題があるように感じますYonoemon 2007年8月29日 (水) 07:55 (UTC)返信

全体的に歴史学の論文や書籍ではなく評論家のコメントなどが多くて正確性や中立性の観点から疑問があること、引用文が多すぎてまとまりに欠けること、歴史書などについて引用元としたエディションやページ数の表記がないことなど、かなり記事に問題があると考えられますので、テンプレートを貼付しました。評論家の長い引用文はすべて除去してもいいのではないかと思います。--さえぼー会話2018年2月3日 (土) 03:09 (UTC)返信

やや極論気味なのを承知で書くのですが、本記事は渤海 (国)へのリダイレクトとするのが良いのではないかと思います。本記事の問題として、参考文献の品質以前に、そもそもネイション以前の種族集団について説明する際に「民族」という用語を多分あまり深く考えずに使用している点と、中国の言い分、韓国の言い分、北朝鮮の言い分、と言った具合に各国の公式見解(のようなもの)の説明になっていて、主題であるはずの渤海人についての説明がおざなりになっている点だと思います。
一応3冊ほど渤海史の概説書(古畑徹『渤海国とは何か』、濱田耕策『渤海国興亡史』、上田雄『渤海国』)を持っているのですが、これらの書籍では渤海については高句麗人と靺鞨人やその他の集団による複合的な国家、靺鞨人は更に様々な集団からなる、という類の説明で共通しており、「渤海人」という用語も、「渤海の領域の住民」「渤海国に仕える人」「渤海国から来た人」という以上の意味合いで使用されてはいません。よく言われる「ツングース系」というのもあまり明確なことではないようであり、上田氏の著作で中国人学者の意見を引いて述べられている以外はほぼ言及もありません。言語系統は全然わからないが、探し回ればツングース系と言う推測をしているような断片的な記述がそれなりにある、という程度の状態でしかないように見えます。
要するに「渤海人」について記事を書こうとすると、その概念自体を説明できるような出典が期待できず、様々な人の見解の羅列というような形態にしかならないのではないかと思います。現在使用されている黄文雄氏や倉山満氏はそもそも渤海史の専門家ではなく、渤海人についての説明での引用は全く不適切であると思いますが、これを研究者のそれに替えたとしても正直なところ記事としての出来は大差ないのではないかと思います。--TEN会話2018年2月7日 (水) 13:39 (UTC)返信
  • リダイレクト化には私は当然異論無いです。とりあえず、明らかに問題のある部分のうち、出典が無いものと出典の寄せ集めによるものだけ整理削除しました。黄氏、倉山氏の引用文も削除で構わないという最初の意見に賛成です。リダイレクトではなく記事を残すという方向になった場合には削除すべきと思います。--TEN会話2018年2月8日 (木) 12:40 (UTC)返信
ページ「渤海人」に戻る。