ノート:現実界・象徴界・想像界

最新のコメント:7 年前 | 投稿者:202.122.191.159

想像界の例として「たとえば「日常」「平和」「不幸」といった、人であれば誰しも漠然とイメージできるけれども、その正確な描写となると大変な労力を要するような対象と世界」が挙がってますが、こういう言語的な解釈を要するものは象徴界に入ると思うのですが。想像界というのは、まさに目に見えるイメージのことでしょう。

また、母親がいないときに「母親が微笑んでくれたりおっぱいを差し出してくれるような光景を思い浮かべる」のは、一般語としての「想像」であって、ラカン用語の「想像(界)」とは別物ではないでしょうか。むしろ、現前していない母親を言語的に構築しているのですから、象徴的な営みに思えます。

修正する文章が思いつかないので(修正してもどうせwikipedianたちにケチをつけられるので)修正しませんが、疑問を投げかけるコメントだけしておきます。--202.122.191.159 2016年10月29日 (土) 08:58 (UTC)返信

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