ノート:皿鉢料理/過去ログ1

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志摩市の皿鉢料理と呼ばないものを皿鉢料理の記事で説明するのはおかしいのでは?--mochi 2005年6月3日 (金) 07:02 (UTC)

うーん、やっぱり呼ぶ人もいるので・・この辺りは難しいです。移住者の関係みたいです。あと、写真のいなり寿司は俵型だと思うのですが、関西では三角型ですので、東から西へ伝搬した可能性が強いです。--Miketsukunibito 2005年6月3日 (金) 07:24 (UTC)

料亭のHPなどでは土佐料理と紹介されているので、高知県の郷土料理の他に、土佐料理s行ってもいいのでは?Mishika 2005年6月3日 (金) 08:52 (UTC)

「土佐料理(高知県の郷土料理)」または「高知県の郷土料理(土佐料理)」と併記するのはよい考えですね。--Aphaia 2005年6月3日 (金) 08:57 (UTC)
某所に書かれていたことの受け売りですが、「皿鉢に類する料理」が土佐から日本全国にどのくらい伝播していて、現在はどこに分布しているか、また伝播の過程で土佐本来の「皿鉢」からどのように変化したかなど書き、その一部として志摩(市)が登場するという形であれば、別項を立てて記述する価値があるかと思います。土佐の人が移住する過程で志摩に伝わったというのは、史料価値を持つ内容だとは思いますが、日本全体での視点がほしいなあ、という感じです。ちなみに私は志摩からわずかに海を隔てた渥美半島(愛知県東南部)に住んでいますが、半島を含めた三河地方で「皿鉢」っぽい食べ物があるとは聞いたことがありませんね(そんな近くに皿鉢があるならちょっと食べに行きたいなあと独り言)。Aboshi 2005年6月3日 (金) 09:07 (UTC)
伝播の話を受けて探してみましたら、高知の人の日記サイトにこんなものがありました。[1]5:30の日記に、高知県の発明ではなく、中華や江戸風の食事の仕方が取り込まれてきて、という記述があります。料理の歴史などの本をしっかり勉強しなおしてくる必要があるかもしれませんね。Mishika 2005年6月3日 (金) 09:16 (UTC)
(Mishikaさんご紹介のサイトの内容、興味深い内容ですね。裏を取り、ふくらめれば優れた記事が作れそうです。そういえば皿鉢にこだわらず、「宴会で大皿に食べ物を乗っけてみんなで食べる」という形式は渥美半島でも普通にありますが、日本全国にもありそうな感じが・・・どうなんでしょうかね。Aboshi 2005年6月3日 (金) 10:54 (UTC)
横から済みません。「宴会で大皿に食べ物を乗っけてみんなで食べる」という点だけ捉えると、僕の祖父母が住む田舎(高知や三重以外の某地方)でもありました。そしてそのような料理を作る動機は見た目の豪華さに加え、忙しい主婦が片付けを行うときに楽なように、というのも一因だったように思われます。また、日本にとどまらず中華料理や欧米のパーティ料理でも、単なる大皿料理ということだけなら比較的一般的と思います。しかしながら、僕ですら知っている程、皿鉢料理という呼称は日本では一般的に知名度も高いと思います。調理法や食材など他の地域の大皿料理との違いや、何故高知などの大皿料理が、皿鉢と呼ばれるのかがくっきりとわかればいい記事になるな、と思います。Yukichin 2005年6月3日 (金) 12:46 (UTC)
写真の皿鉢料理を見て気が付いたのですが志摩の郷土料理が二品も入っています。秋刀魚寿司に、俵型の稲荷寿司・・伝搬を書き始めたら一大研究になってしまうかも・・・Miketsukunibito 2005年6月3日 (金) 09:27 (UTC)
あの「個人の研究発表」を書く場ではないので、刊行された資料に基づいた記述にしていただけますか。研究発表はご自身で郷土史関係の媒体にお書きになるのがプロジェクトの方針にもあうかと存じます。--Aphaia 2005年6月3日 (金) 09:30 (UTC)
研究もなにも今の記述は何もごく一般的なことですよ。書き始めたら志摩市のどの地域にどの姓の高知県からの移住者が多いかまで記述できます。--Miketsukunibito 2005年6月3日 (金) 11:25 (UTC)

鯵の姿寿司ですが・・・写真の寿司は秋刀魚の姿寿司ではないでしょうか?背開きの秋刀魚寿司に見えるのですが・・・Miketsukunibito 2005年6月3日 (金) 12:39 (UTC)

いずれにしても、土佐料理の皿鉢料理の記事ですから、高知のものに見えない恐れのある写真は外すのがいいよ。それと、志摩ではどうだこうだ、というのも記事のタイトルに似つかわしくありません。伝播うんぬんというのは、二次的なことであって、それ自体は皿鉢料理とはどんなものかの説明とは言えないと思います。Mishika 2005年6月3日 (金) 12:55 (UTC)
ちょっと待ってください。私にとっても同じ名前で郷土料理です。この料理名だけで土佐料理と限定されては困ります。Miketsukunibito 2005年6月3日 (金) 13:02 (UTC)

こんばんわMiya.mです。写真の皿は四万十川河口の親戚の家で出された皿鉢です。魚は鯵の姿寿司と鮎の塩焼きでした。高知の皿鉢に鯵や鯖はよく見ますが秋刀魚が提供されることはあまり無いようです。しかし田舎の皿鉢料理はその土地で入手できる『おいしいもの』をもれなく飾り付けるもののようで、各地各時代でいろいろ違った料理が盛られています。ちなみに『なま』の赤い切り身は紅鮭でした。このような状況の現代料理について、正当・伝播・流布の厳密な書き分けは困難ですね。おいしそうなもの・楽しそうなものはどんどん伝播しているように思います。冬に三河湾日間賀島で食べる河豚は下関のフクと同じ魚と言う話を聞きました。郷土料理の話は厳密な考察を少し控えて、おおらかに進めたいと考えますがいかがでしょうか。Miya.m 2005年6月3日 (金) 13:38 (UTC)

多分、和歌山でも有ると思います。単純に「そこにある。」というだけに留めましょう。下関のフグは、日本全国のフグの寄せ集めです。三河湾日間賀島のフグと安乗フグが同じ海域で捕れ、そのうちの安乗ふぐを下関に出荷し、下関フグとして販売していたそうです。ところが・・漁獲高が日本一多いのに下関の名前はおかしいという話になって、安乗ふぐをブランド化してしまったそうです。Miketsukunibito 2005年6月3日 (金) 14:00 (UTC)
ノート:三重県のところにも三重県産米のことで疑問を書かせてもらったんですが、Miketsukunibitoさんの「ブランド」という言葉は定義が通常より広いんですかね? 「登録商標」的に軽く考えておけばいいのかな。--210.149.213.148 2005年7月20日 (水) 07:17 (UTC)
「登録商標」的に考えて下さい。というか、商標登録した物しかブランドと呼んでいないのですが・・--Miketsukunibito 2005年7月20日 (水) 08:15 (UTC)

現在の記述では、志摩の皿鉢料理が、土佐のそれと同等に有名であるかのような印象をもたらしてしまうと思います。また「志摩皿鉢料理」という表現も、およそ過去に聞いたことがありません。項目に記述された情報のバランスが志摩に偏っているように感じられますので、もう少し全体のバランスを考慮してみてはいかがでしょうか?にせあかしや 2005年7月20日 (水) 07:10 (UTC)

料理に上下の区別はないと思います。「志摩皿鉢料理」は検索すれば数は少ないですがヒットしますよ。土佐の皿鉢料理との違いという形に内容を端折ってみます。--Miketsukunibito 2005年7月20日 (水) 08:15 (UTC)
御指摘いただいた通り「志摩皿鉢料理」をgoogle検索してみたところ、わずか11件のみヒット、しかもその半分はほぼ同一の内容という結果でした。この呼称を用いている店舗は、志摩でもわずかな数に限られているのでしょうか? また驚いたのは「伊勢志摩の隠れた地元料理」「志摩地方で祝い料理として食べられていた、志摩皿鉢(さわち)料理」という記述です。本当に志摩の皿鉢料理は、現在でも有名な郷土料理なのですか?にせあかしや 2005年7月20日 (水) 14:47 (UTC)

有名というよりもノーマルすぎる料理と言った方が適切ではないかと思います。皿鉢料理と言う人もいれば言わない人もいると考えて下さい。「祝い料理」といえばこれを指すと思って頂いて結構です。この様な例は幾らでもあり、例えば讃岐地方では讃岐うどんをわざわざ讃岐うどんと呼ばす、うどんと呼んでいる事に近い事象だと思います。「伊勢志摩の隠れた地元料理」という記述は概ね的を得ていると思います。この料理を作ると結構、人員がいります。殆どの旅館では家族にて運営されている所が多く、常時出すことは困難です。有名、無名はマーケティングを行っているかどうかの問題だと思います。この料理よりもイセエビずくしとか、牡蠣ずくしなどの方が人数も要らず人気もあるので採算面から出すところは少ないと思います。--Miketsukunibito 2005年7月20日 (水) 22:58 (UTC)

他事ながら南海道に関する資料を集めており、その関係で四国の食や風俗に関する資料も若干手元にあった事から加筆を試みさせていただきます。ただ、こちらの調べた範囲では、志摩の郷土料理としての「皿鉢料理」の歴史を見いだす事ができず、土佐の郷土料理としての記述が多くを占めるかと思います。志摩に関連した歴史資料等ございましたらご教授ください。--Tukasa ryo 2005年7月24日 (日) 12:39 (UTC)

これは受け売りなんですが、長崎県の卓袱料理の原型の一つが皿鉢料理という考え方もあるようです。もともと長崎周辺では祭りなどのさいに屋外で雨戸などを外して机代わりにして、その上に大皿や大鉢に料理を盛り付けて、小皿などに各自めいめいに取り分ける方式だったのではないか、とされているようです(この説だと、中国料理(普茶料理)や西洋料理の導入、さらには料理自体の洗練が行われて現在の卓袱料理になったとされる)。これは要するに配膳などの繁雑さを避けるためと考えられていて、ここで論じられてる「祝い料理」に近い気がします。(出典が思い出せないので、ここに記しました)--61.112.173.84 2006年5月2日 (火) 12:09 (UTC)

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