ノート:第一次世界大戦

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2004年10月24日編集

従来の歩兵による突撃では大量の兵士を浪費するだけになった

浪費 ですか…

この戦争において始めて投入された兵器(飛行機・戦車・潜水艦等)も多く、それまでに行われた国家間の戦争に比べ、死傷者の数が飛躍的に増加した。また初めて毒ガス兵器が使われた戦争でもあった。

よくある間違いですが、飛行機や潜水艦は第一次世界大戦が初ではありません。それと「始めて~。初めて~」となってます。


戦争の始まりは銃を持った兵が騎馬に乗って突撃するといった戦国時代さながらの戦争であったが

「戦国時代」が日本の戦国時代のことなのであれば、そういうことはありませんでした。たしかに一般にはそういうイメージがあるので、イメージでならば間違ってはありませんが事実ではありません。

特に戦車の出現が革命的で、負けたドイツ側は戦後の再軍備前から密かに戦車の開発と運用を研究していた。それが第二次世界大戦で実行されることになる。

 なんかちょっと日本語が変な気が。それと、密かに研究されていたのは戦車だけでなく文中に挙げられている他の何れでもそうですよねぇ。まぁ、戦車の登場がエポックメイキングなのは事実ではありますが、外のよりも更に突出しているのかどうかは論を避けておきます。

オーストリア・ハンガリー帝国はハプスブルク家による君主制であったが、サラエボ事件に対しベルヒトルト外相の局地戦か開戦せずに済むとの判断を入れ、7月23日セルビア政府に対し最後通牒を実施。セルビアの条件付き承諾に対し納得せず、7月25日国交断絶に踏み切る。躊躇する皇帝と軍部の反対を押し切る形で7月28日宣戦布告。

日本語が変な気が。主語が分かりにくい。あと、軍部って反対していないのでは?参謀総長のコンラート・ヘッツェンドルフなんて実に好戦的でしたが。


ドイツ帝国 は独墺同盟の関係から相談されたオーストリア・ハンガリー帝国に対しセルビアへの強硬論を説き、オーストリア・ハンガリー帝国を支援。次いで、ロシア帝国の総動員令に対して小モルトケが暴走し「シュリーフェン・プラン」に基づき8月1日総動員を発令、プラン実行の必要からベルギーに対し無害通行権の要求を開始するなど、3大国を相手にした戦争の準備を開始。翌日には対ロシア宣戦布告し、第一次世界大戦開戦。

最初のところは日本語がちょっと変な気が。小モルトケの暴走とは?

日英同盟によりイギリスと同盟関係にあった日本(大日本帝国)は、イギリス・フランスから要請され連合国側として参戦

果して要請されたのか… まぁ、日本はそれを装ってましたが。

--Pochi 2004年10月24日 (日) 16:50 (UTC)返信[返信]

  • 要請はあったはずですが、それは山東省と南洋諸島にいるドイツ軍を代わりに叩いてくれってものです。

ですが、これを要請したイギリス外交当局は世論から非難されたはずです。--210.196.189.19 2006年1月13日 (金) 09:34 (UTC)返信[返信]

2005年11月の編集保護編集

荒らしによって編集保護になる。編集1&編集2&編集3を参照。--経済準学士 2005年12月18日 (日) 13:14 (UTC)返信[返信]


第一次世界大戦はヨーロッパの世界における優越的立場を揺るがしたか編集

221.189.85.229さんが加筆された内容に疑問を感じました。

また、この戦争でヨーロッパは戦勝国・敗戦国を問わず膨大な人的・経済的資源を消耗し、16世紀大航海時代以来続いていたヨーロッパの世界における優越的立場は大きく揺るがされることとなった。--- 本文 2006-04-09 03:11:34(UTC) の版より

例えば中東においては第一次世界大戦の敗戦国であったオスマン・トルコの領土がヨーロッパ勢力によって分割され、現在のイラク、ヨルダン、イスラエルがイギリスの、シリア、レバノンがフランスの植民地となっております。アフリカにおいては敗戦国だったドイツの植民地が戦勝国に奪われただけですね。アジアの植民地も独立はすべて第二次世界大戦後です。経済面を見ても例えばインド植民地と宗主国イギリスの貿易は第一次世界大戦が始まるとすぐに貿易額にして3/4にまで縮小しますが、第一次大戦後終了直後に大戦前の水準に戻り、1924年には1917年の1.5倍に達しています。

221.189.85.229さんの加筆内容を支持するデータを教えていただけないでしょうか。---Redattore 2006年4月8日 (土) 18:40 (UTC)返信[返信]

一週間ほど経過しましたので、本文を元に戻しました。本文を戻した上で、ノートの要約を加えました。---Redattore 2006年4月14日 (金) 22:18 (UTC) ---Redattore 2006年4月14日 (金) 22:25 (UTC)返信[返信]

221.189.85.229さんへ。対立する意見がある際に、ノートで議論せずに本文を書き換えるのはあまり好ましくないと思いますが。第一次世界大戦後、シティからウォール街に中心地が移ったことを根拠として加筆されておりますが、数値の裏付けはあるのでしょうか。ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国の工業生産指数の推移を抑えた上での議論なのでしょうか。貿易額の変化はいかがですか。いずれの数値もヨーロッパ諸国が第一次世界大戦後に最大値に達しております。---Redattore 2006年4月23日 (日) 14:42 (UTC)返信[返信]

オスヴァルト・シュペングラー以外の記述を戻しました。---Redattore 2006年5月2日 (火) 06:21 (UTC)返信[返信]

7/27に編集をした者です。

>しかしながら第一次世界大戦はヨーロッパ内部の勢力構造を変化させただけだとも言える。アジア、アフリカに対する植民地支配はかえって強化されており、世界秩序自体を変えるところまでには至らなかった

世界秩序は変わったと「私は」思います。何よりアメリカの参戦無しにはヨーロッパの内戦が解決できなかった、というのがヨーロッパ中心の世界史の終焉を意味していたと思いますからね。 確かに客観的データとしてヨーロッパの復興や委任統治領の増加があったのは事実ですが、エジプトの(名目上であるにしろ)独立、アフガンの独立などもあり、一概に「植民地支配がかえって強化された」というのは違う気がします。

どちらにしろこれは事実というより意見表明ですので、どっちの立場にしろ百科事典にふさわしい記述とは言えないと思います。中間を取って

もっとも、ヨーロッパ中心の世界秩序が変わったかどうかについては、意見が分かれている。

とするのが妥当だと思われます。--60.37.155.110 2006年7月29日 (土) 01:55 (UTC)返信[返信]

書き込みありがとうございます。ノートで内容を調整できると助かります。私としては「大戦の結果(ヴェルサイユ体制)」の記述が不足していると感じます。個々の戦闘の記述も必要ですが、第一次世界大戦がその後の歴史にどのような影響を与えたかも、この項目には欠かせない内容だと考えます。したがって、間を取って「もっとも、ヨーロッパ中心の世界秩序が変わったかどうかについては、意見が分かれている。」とするよりも、他の世界との政治的、経済的な関係の変化をしっかり書き込むことが必要でしょう。影響力が大きくなった、小さくなったという結論に導くためには、どのような変化があったのかをまとめることが必要です。ノートの上の方にも書きましたが、貿易など経済関係の変化は私でも多少は記入できます。60.37.155.110さんにも書き込んでいただけると助かります。---Redattore 2006年7月29日 (土) 09:27 (UTC)返信[返信]

分割提案編集

エーとですね、Template:日本の歴史を貼っているものなんですが、もしよろしければ”第一次大戦”から日本史的見地の”第一次大戦中の日本”という記事を分割したいのですがどうでしょうか?分割するより並列した方がいいでしょうか?--Forestfarmer 2006年8月19日 (土) 11:12 (UTC)返信[返信]

質問です。編集

WAKABAYASIと申します。 ロシア革命の文中に【女帝アレクサンドラ】 とありますが、アレクサンドラはニコライ二世と共同帝位にあったのでしようか?  10月26日(木)17:56(UTC)

[1] >二次マルヌ会戦が始まった。これに対抗して行った同盟国軍の反撃は、この戦争初の同盟国の成功した攻撃を特徴づけた。

協商国の間違いでは?--60.36.194.246 2006年11月15日 (水) 13:57 (UTC)返信[返信]

参考書の節編集

参考書の節のところに小説はどうなんでしょうか。参考書ではないと思いますが。--Kuty 2007年1月17日 (水) 11:48 (UTC)返信[返信]

一部転記提案編集

ユトランド沖海戦通商破壊に関する記述がないわりには、終盤戦の節の記述が他と比べて多すぎますので、この部分を西部戦線 (第一次世界大戦)へ転記・一体化し、簡素化したいと思います。--Cave cattum 2007年9月3日 (月) 13:35 (UTC)返信[返信]

一部転記を実施しました。続いて、第一次世界大戦#日本の関与の部分の第一次世界大戦下の日本への転記・一体化を提案します。この部分は重複となっているためです。--Cave cattum 2007年9月11日 (火) 17:40 (UTC)返信[返信]
一部転記を実施しました。--Cave cattum 2007年9月15日 (土) 10:38 (UTC)返信[返信]

要出典に関して編集

IP氏はなぜカフカース戦線のところの要出典タグを外したのですか。あれIFの話ですよ。ウィキペディアは自説を述べる場所ではないようですから、出典がないのなら削除した方が良いのではありませんか。確かに1916年後半のカフカースのオスマン軍第2軍、第3軍はかなり戦力をすり減らしてます。しかし史実では翌年にヨーロッパに派遣されていた兵を撤収して新しく創設された第7軍(とドイツ・オスマン混合編成の電撃軍集団)がパレスチナに投入されましたが、これの撤収が早められてカフカースに投入されていたかもしれませんし、もっと他方面から増援を得たかもしれません(第7軍司令官には最初ムスタファ・ケマルが任命されています)。あるいは東部戦線で同盟軍が攻勢に出て、カフカースのロシア軍の兵の一部が転出されていたかもしれません。ロシア軍の1917年カフカース攻勢によって、パレスチナ、メソポタミアから兵力が引き抜かれ、これらの方面が優勢な英軍に圧迫された結果による中東戦線崩壊なんかも考えられるでしょう。また史実では、オスマン軍は敗戦時でもなお25個歩兵師団を擁し、指揮命令系統は健全なままです。これらを考えてみるのは面白いかもしれませんが、ウィキペディアは自説を述べる場所ではないでしょう。しかし、カフカース攻勢による中東戦線崩壊を唱える有力な説があったとしても不思議ではないと思ったので要出典を貼ったのです。出典がないならその一文は消すべきです。Hikasuke 2009年10月3日 (土) 12:24 (UTC)返信[返信]

なんか反応がないし、要出典を貼ってから一か月以上もたっているので、出典が確認できなかったものは削除しました。Hikasuke 2009年10月6日 (火) 11:11 (UTC)返信[返信]

シベリア出兵編集

  • この記事タイトルは「第一次世界大戦」です。北伐や排日移民法まで、「シベリア出兵」節内で書くのは蛇足です。--Los688 2011年11月30日 (水) 14:50 (UTC)返信[返信]
  • それはあなたの独自研究です。北伐・中ソ紛争・ハバロフスク議定書は白軍が関わっており各国語版の「シベリア出兵」で扱っています。
IP氏、あくまで「第一次世界大戦」記事のなかでの“シベリア出兵”ですから、長く詳しく書きすぎるのはよくないということだと思います。あるいは全体的に書き足さないと記事のバランスが悪くなってしまいませんか。--Hikasuke 2011年12月1日 (木) 13:16 (UTC)返信[返信]
Hikasuke氏、「第一次世界大戦」記事のロシア出兵の項とは連合軍の立場の記事であって、“シベリア出兵”はあくまで日本の立場でし、“ロシア内戦”ならロシアの立場です。そして、“シベリア出兵”も“ロシア内戦”もそれぞれ独立したページが用意されているので、ここで白軍を含む連合軍の立場で書かれることに何ら問題は無いと考えます。履歴をご覧になられれば確認頂けると思いますが、Los688氏は当初は北伐は関係ないと云う立場でした。それをここでは「蛇足」という表現で書かれている為、Hikasuke氏は長く詳しく書きすぎるという点にポイントを置かれていますが、2つの問題は別です。歴史認識の問題と表現の仕方をリンクして議論するのは問題をこじれさせると思われます。
  • 「第一次世界大戦」の「東部戦線」中の一項目としてなのですから、本ページにおける記述としてはパリ講和会議の前後あたりまでとした方がよいのではないでしょうか。同講和会議の範囲外の部分として例外的に広げて扱うにしても「『シベリア出兵』とは」という括りなのですから、「1925年の日本軍の北樺太撤収をもって『シベリア出兵』終了」まででよいのではと考えます。詳細すぎる記述や関連範囲については「シベリア出兵」や「東部戦線」のページなど、必要に応じ別ページや別項を活用して述べた方がよいのではないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、Kashichan会話投稿記録)さんが 2013年7月10日 (水) 13:23 に投稿したものです。
他の項目が活発に編集されている一方でこちらには特に異論もないように思いましたので、一旦「シベリア出兵」のページ内に「経過の詳細」として詳細内容を移記し、こちら側は全体の概略を中心とした記述に整理し他の項目との記述量と記述範囲のバランス調整をはかりました。--以上の署名のないコメントは、Kashichan会話投稿記録)さんが 2013年7月14日 (日) 02:38 に投稿したものです。
十分な議論時間も設けずに一方的な主観に基づいて(客観的な資料の提示すら無しに)「サイズの大幅な増減」を伴う改竄は到底認められません。直ちに現状回復することと、議論を十分尽くすことを求めると共に、Kashichan氏による改竄再発の防止を求めます。--119.83.111.72 2013年7月14日 (日) 14:09 (UTC)返信[返信]
Kashichan氏は署名をしないでノートに書き込んでいるため、名前を補足しました。ここは議論の場なので、必ず署名をするルールを守って下さい。--119.83.111.72 2013年7月15日 (月) 11:11 (UTC)返信[返信]
Kashichan氏はWP:MMの手順を踏まず、転記の告知を行なわずに「特に異論もない」と編集を独断強行されました。よって、Kashichan氏のこの編集[2]をrvしました。きちんとルールを守って下さい。--119.83.111.72 2013年7月15日 (月) 11:26 (UTC)返信[返信]

交戦勢力についての記述。編集

大英帝国に属する国々を交戦勢力に記載しないのは何故でしょうか。高校世界史レベルの知識しかありませんが、大英帝国が第1次世界大戦で重要な役割を果たしたことは知っています。英語版には記載されていて日本語版では記載されていないのは、やはり、この記事が日本版で、日本から見た世界大戦であるからでしょうか。--カフェイン丸太会話) 2013年6月8日 (土) 04:27 (UTC)返信[返信]


あからさまな陰謀史観ってどうなの?編集

今かかれている影響とか、あからさまな陰謀史観としかおもえないんだけど、ウィキペディアとしてどうなの?0null0会話) 2015年11月5日 (木) 08:36 (UTC)返信[返信]

" 一方、ボリシェビキ、それを支援するジョン・モルガン、そこから関係をたどることのできるロスチャイルド・ハプスブルク・ロマノフ家がいる。ずっと後になってから中国がデタントによる米ソ共存を「世界支配の神聖同盟」だと批判したのは無理からぬことである。細かい事実を指摘するまでもなく、血筋と金で刻まれた歴史は双頭の鷲が教えてくれる。 "

こんな説明が百科事典でゆるされるのかな。0null0会話) 2015年11月5日 (木) 08:40 (UTC)返信[返信]

ロシア出兵の記述編集

再選考に基づき、ロシア出兵の記述は本記事でカバーすべき範囲を超えていると判断してノート:ロシア出兵に転記いたしました。当該記事の執筆にあたり、参考になれば幸いです。--ネイ会話) 2018年2月4日 (日) 15:12 (UTC)返信[返信]

時機・時期編集

「積極的に行動する時機が来たと考えた。」を「積極的に行動する時期が来たと考えた。」に書き換えられました。 「時機」は誤字ではありません。 また,文脈から言って「時機」のほうが良いのではないかと思います。 --Omitugi会話) 2019年8月11日 (日) 04:15 (UTC)返信[返信]

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