ノート:美術書に強い書店の一覧/削除

最新のコメント:18 年前 | 投稿者:しるふぃ

以下はWikipedia:削除依頼 2005年7月における議論です。

Wikipedia:削除依頼/美術書に強い書店の一覧


美術書に強い書店の一覧 - ノート 編集

単なる美術書に強い書店を宣伝するだけの記事。百科事典として発展性がありません。 --Yamabig 2005年7月2日 (土) 13:21 (UTC)返信

  • (存続)発展性がないとは思いませんが。--Ligar 2005年7月4日 (月) 04:25 (UTC)返信
  • (削除) 単なる宣伝。また、掲載基準が不明瞭。 おはぐろ蜻蛉 2005年7月4日 (月) 05:37 (UTC)返信
  • (コメント)美術書の専門書店であれば分かりますが、「強い」というだけだと「おいしいラーメン屋一覧」に近いものになってくるような気が。Hermeneus (talk) 2005年7月5日 (火) 02:59 (UTC)返信
  • (存続または項目名変更)美術書というものは図書の中でもかなり扱いにくいものなので、まともに置いている書店の数は限られます。掲載基準を明確にして存続。または項目名を「美術書」に変更して、その中で「#美術書に強い書店」という節を設けると、読者に親切なのではないでしょうか?--miya 2005年7月5日 (火) 09:29 (UTC)返信
  • (削除)このまま一覧とするのならば反対です。ただしMiyaさんが指摘しているように美術書のなかに入れて、美術書を扱っている店の節を設けるのなら存続で良いと思います。たね 2005年7月5日 (火) 09:34 (UTC)返信
  • (削除)断じて百科事典に不要な一覧です。美術書を沢山揃えているから何だと仰るのでしょうか? この一覧が許容されるのならば、[[学術書に強い書店の一覧]]等の作成も、認める必要が出て来る事でしょう。何を持って強い書店と位置付けるかの、明確な基準も示されてありません。また、単なる宣伝に過ぎません。-- 2005年7月5日 (火) 14:17 (UTC)返信
  • (存続)当該記事のノートにおける議論などをふまえると、安易に削除するのは惜しいと思います。記事の適正化は定義を明確にしたり主観的な表現を排除したりなど加筆・修正を行う事で達成するべきでしょう。Kamakura 2005年7月6日 (水) 14:12 (UTC)返信
  • (削除)強いという表現で明確かつ客観的な判断基準がありませんし、定めることも不可能です。また、冒頭の文章は「美術書」という項目に記述すべきことで、それ以外は百科事典としてふさわしくない一覧しか記事がありません。宣伝ともみなされ、項目名変更ではなく削除されてしかるべきでしょう。--JUD 2005年7月7日 (木) 04:41 (UTC)返信
  • (存続)この記事を書き始めた者です。ノート:美術書に強い書店の一覧でも1年以上前にいろいろと議論がありましたが、かなり重なっている部分がありますので、それをお読みいただくことをお願いするとともに、失礼ながら、現時点ではそれをお読みいただいていないという仮定で、かなりの重複をおそれず、書かせていただきます。
1. まず、基準が不明確というご意見がありますが、そうだとすれば、他の一覧、例えば、小説家一覧天体一覧などでも、同じ議論になるべきかと思いますが、いかがでしょうか? 基準が明確ではないから、という理由だけですべての一覧の削除はできないと思います。当方の申し上げたいことは、基準が不明確なのは、「著名」なものをリストアップしている「一覧記事」全般の問題であるということです。基準が不明確だという問題はやむをえない面があり、明確な答え(抽象的な選択基準)を短時間で得ることは困難です。現実的には、時間がたてば、落ち着くところに落ち着くと考えています。この点については、ぜひ、ノート:美術書に強い書店の一覧もご参照ください。
2. 次に、宣伝に過ぎないというご意見がありますが、そうすると、例えば、個別の小説家、歌手、企業、書店などの記事も、すべて宣伝となってしまうのではないでしょうか。そうでないとすれば、その違いを、具体的かつ網羅的にご指摘ください。個人的な考えですが、これは、要するに、記事(の存在)そのものの問題ではなく、記事の書き方の問題(宣伝になる(相手を褒めちぎる)ような内容ばかりではなく、批判すべき点は客観的にきちんと批判するなど)ではないでしょうか? この点についても、ぜひ、ノート:美術書に強い書店の一覧をご参照ください。
3.さらに、学術書一般と比較なさったご意見がありますが、miyaさんが書いておられるように、これはレベルの問題だと思います。例えば、「洋書店一覧」「物理学書に強い書店の一覧(?)」は可能かもしれませんが、「文庫に強い書店の一覧」「雑誌に強い書店の一覧」「学術書に強い書店の一覧」というより一般的な書籍についての一覧はかなり難しいでしょう。このように、連続的に、いろいろな種類の書籍があり、それらを同じレベルで、同一に論じることには無理があります。また、「美術書を沢山揃えているから何だと仰るのでしょうか?」についてですが、これもレベルの問題でしょう。
「書籍を沢山品揃えしているから何だと仰るのでしょうか?」
「文学賞を沢山取っているから何だと仰るのでしょうか?」
「金メダルを沢山取っているから何だと仰るのでしょうか?」
「ビルの背が高いから何だと仰るのでしょうか?」
「列車のスピードが速いから何だと仰るのでしょうか?」
「山が高いから何だと仰るのでしょうか?」
「橋の長さが長いから何だと仰るのでしょうか?」
「米の生産額が多いから何だと仰るのでしょうか?」
いくらでもありえますが、どれならば、賛成で、どれならば反対ですか? そして、その区別の基準は? なお、私は、美術書にかかわる仕事に携わっておりませんので、冷静にしていられますが、例えば、そういった仕事の方を目の前にして(または、聞き手の中におられることが予想される場で)、「美術書を沢山揃えているから何だと仰るのでしょうか?」とは、私はちょっと発言できません。
なお、「美術書」という項目に変更したうえで、内容を修正するというご提案がありますが、いいご提案だと思います。それで、記事がよくなるのであれば、結構なことだと思います。
さて、最後に、特に次の点について、お願いいたします。「とにかく、この記事は削除しなければならない」という結論ありきの固定した発想だけではなく、「削除を避けるためには、どういうことが考えられるか」という発想もあわせてお持ちいただきますようお願いします。それと、皆さんの挙げておられる「削除理由」は、この記事に限った問題ではなく、より一般化の危険がある、すなわち射程距離が長いということも、十分にご考慮いただいたうえで、議論をお願いします。
とりあえず以上ですが、根本的な問題は、記事の内容が乏しいという点にあると思い、反省しております。戦間期の写真家の一覧の赤リンクをある程度つぶせたので、この記事にどう手を加えるべきかについてもっと考えてみます。それはそれとして、さらなる議論をよろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 2005年7月8日 (金) 14:30 (UTC)返信
  • (削除あるいは項目名変更の上存続)Aが良いのになぜBが駄目なのか、という論調にはうんざりしています。個別の小説家、歌手、企業、書店などの記事が宣伝だと思うならその項目を削除依頼にだしてみてはいかがでしょうか。美術書において、外部リンクなどのような形で、図書の中でもかなり扱いにくい美術書をおいてある書店を取り上げるのであれば有用かもしれません。--Snow steed 2005年7月9日 (土) 02:03 (UTC)返信
    • (存続)Snow steedさん、コメントありがとうございます。皆さんに、もう少し他の記事との比較をしていただきたいな、と考えて、他の具体例をいくつか挙げてみました。ところで、「削除あるいは・・・」について、Snow steedさんの「削除」の方の理由付けは、何でしょうか? もし、「現在の記事のままでは有用ではない」という点が理由であるならば、「記事内容を有用になるように修正すべき」という結論だけになるのではないでしょうか? なお、「存続希望」の私としては、個別の小説家、歌手、企業、書店などの記事についても、この記事と同様に宣伝だとは思っておらず、削除依頼も出すつもりはありません。よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年7月9日 (土) 07:13 (UTC)返信
  • (コメント)「美術書に強い」という判断は主観的なものでしょうから、「ウィキペディアは何でないか」の「独自の調査」に当たるのではないでしょうか? また、掲載されている個々の書店も多くは社会一般に広く認知されているものではないでしょう。例えば「小説家の一覧」であれば、リストアップされるのは世界を代表する小説家に限られるでしょう。個々の小説家の名前だけでなく、そのリストの選定も広く社会に認知されたものでなければならない。例えばマイナーな同人作家などが含まれれば問題とされる。誰が「世界を代表する小説家」かについては、『世界の名著』なり『世界文学入門』といったような文献が幾らでもあります。「美術書に強い書店」も何か信頼のおける機関なりが選定したものであれば記載するに値するかも知れませんが、何も出典を明記できないのであれば難しいと思います。Hermeneus (talk) 2005年7月9日 (土) 02:32 (UTC)返信
    • (存続)Hermeneusさん、コメントありがとうございます。「基準」の議論ですね。
1.「何か信頼のおける機関なりが選定したもの」ですが、すべての一覧について、そんなものが存在するとは思えません。存在するのは、一部の幸運な一覧についてのみだと考えます。
2.「何か信頼のおける機関なりが選定したもの」(たとえば、「日本文学全集」)が存在したとして、それに含まれないもの(小説家)を一覧(小説家一覧)に絶対に入れてはならないかというと、そういうことではないはずです。現実には、「何か信頼のおける機関なりが選定したもの」は、網羅的な完全なものではありえず、結局、それだけを頼っている一覧はないはずです。要するに、周辺はあいまいなままです。なお、小説家一覧は、失礼ながら、一般的な「日本文学全集」には収録されないような作家の方々がかなり含まれていると思います(私は、それでいいと思っていますが)。
3.「何か信頼のおける機関なりが選定したもの」がないといけないということに限定すると、主として、「新しい分野(今まで注目されていなかった分野・これからの分野)」と「(本来、そういった、公的な評価を拒否するような)ロー・アート、サブカルチャー、民俗関連(都市伝説なども含む)」が道を閉ざされますが、それでは問題だと考えます。
結局、私の考える結論は、「客観的に明確な基準があるに越したことはないが、すべてについてそれを要求することは無理であり、『出典を示せるような明確な基準がない(基準の出典を示せない)、即、記事としては成立しない』ということにはならない」というものです。もちろん、この記事について、できる限り明確な基準を考える方向をとるべきである、ということは、私も含めて、たぶんどなたも反論なさらないことだと思います。その方向で存続できればと思いますが、さらなるご意見をお願いします。
なお、「強い」という言葉を使った点ですが、軽率だったとこれまた反省しています。記事を存続するとしても、記事名の変更はやはり必須でしょう。20世紀(前半)美術 2005年7月9日 (土) 07:13 (UTC)返信
  • (コメント)掲載基準は、それが社会一般に認知されているかどうか、その情報に公共性があるかどうか、でしょう。美術関連の項目の場合であれば、個々の美術作品は必ずしも世間一般に広く知られていないものも多いかも知れませんが「美術」という分野自体は広く認知されていますので、それが美術界において広く認知されているかどうかが基準になる。参考文献が存在するかどうかは、そういう認知度判定の良い指標になると思われます。だからこそ「ウィキペディアは独自の調査結果の発表の場ではありません/批評の場ではありません」というルールが重要になってくる。何もWikipediaにおける全ての記述に関して出典を明記しろというような杓子定規な話ではなくて、もしも信憑性を疑われた際にはちゃんと信頼のおける資料に裏付けられた弁明ができる用意があるかどうか、ということです。
    また小説を例にとれば、「世界的な文学作品」以外にも「主要なプロレタリア文学」であるとか「近代ドイツ文学」など様々な分野別一覧が存在するでしょう。大衆小説も含めるなら年度別ベストセラーランキングも十分参考になります。そうした様々な一覧を調べていけば一体どのような作品・作家が文学界において一定の評価を受けているかが分かります。また一覧や選集以外にも、文学界において権威のある批評家が主要な媒体で個々の作品を取り上げ評論していれば、その作品は一定の社会的評価を受けており故にそれに関する情報にもある程度の公共性があると言える。そうした情報を総合的に考慮して主要な小説家を選定し一覧を作成すれば、Wikipediaに記載するに足るものが自然と出来るでしょう。
    美術に関しても同様です。美術はそれほどマイナーな分野でもありませんので、例えば美術界で定評のある美術作品や美術館などについては参照できる文献がちゃんと存在するでしょう。「美術書に強い書店」に関しても、何か権威のある機関なり学者、評論家が選定しているかも知れない。であれば、それを参考にして一覧を作成すれば何も問題はないわけです。もし何も参照することができる資料がなく、自分一人の主観的評価だけで一覧を作成するのであれば、「独自の調査結果の発表」にあたるのでWikipediaに記載するに値するとは思われません。
    また「美術書に強い書店」では美術書購入ガイドのように聞こえますので、「ウィキペディアは観光案内ではありません」に準じるケースになるかも知れません。そして、個々の「美術書に強い書店」が独立した項目を持てるほど一般に認知されたものであるとは言いがたい、というのも問題でしょう。「小説家の一覧」に載っている人は、どれも独自の項目を持っているか、あるいは持っていて然るべきな人ばかりです。逆に、独立した項目を作成するに値しない小説家は一覧に加えるに値しない、とも言える。美術館の一覧も同様です。「美術書に強い書店」は少し無理があります。Hermeneus (talk) 2005年7月9日 (土) 19:36 (UTC)返信
  • Hermeneusさん、さらなるコメントありがとうございます。
1.「認知されているか」、「参考文献が存在するか」についてですが、「杓子定規」でないのならば(完全である必要がないのならば)、(「権威」という言葉は気になるものの)反対はありません。要するに、私が申し上げたいのは、こういうことです。「この項目については、参考文献はあり、様々な文献を合わせて見れば、挙げられているかなりの書店については言及がある。しかし、すべての書店について参考文献があるかどうかは確認できていないし、確認する必要もない。」これであれば、Hermeneusさんのお考えとあまり変わりはないと考えますが、いかがでしょうか?
2.「主観的評価だけ」についてですが、「強い」という言葉がそういう印象を与えてしまっているようですが、私が選んだ範囲で申しあげれば、これらの書店は「主観的評価だけ」で選択しているわけではありません。逆に、(ある「権威ある文献」に掲載されていたから、個々の書店の実態をまったく確認もせず、その選択を鵜呑みにして、そのまま書店名だけを丸写しした、という意味での)「客観的評価だけ」で選んでいるわけでもありません。ここで申し上げたいのは、「どんな一覧であっても、完全に文献のみを頼りにすることはできず、自分なりの(主観的な)選択基準(たとえば、どの文献を参考とするかしないか、その文献に挙げられたもの(たとえば作家)のすべてをWikipediaにとりあげるか一部に限定するかなどの判断も含む)が入り込んでくるはず」ということです。この「自分なりの選択基準」がどこまで許容されるかは、レベルの問題であって、時間とともに、適正なものに落ち着くのではないか、というのが、先に書いた主張です(「落ち着くところに落ち着く」)。書いておられる「杓子定規な話ではなく」「それ(=文献)を参考にして」「総合的に考慮」といった部分は、「自分なりの選択基準」を当然に前提になさっていると考えています。先に書きました「周辺はあいまいなまま」というのもこの趣旨です。
3.「一覧」について、いままで、「一覧」であることを前提とした議論を延々としておきながら、いまさらひどい話ですが、まず、この記事はもともと「一覧」という名前はついていませんでした。私の知らぬ間に、いつの間にか「一覧記事」になっていました([1])。すなわち、もともと、自分では、個々の書店について独立した項目を作成することは考えていませんでした。むしろ、この記事だけである程度完結するものを想定しており、それゆえに、個々の書店についてこの記事内に解説を入れようとしていたのです(普通、索引的な意味合いの「一覧記事」にはそういうものは、入れませんよね)。したがって、記事名から「一覧」を削除することでこの点が明確になるのであれば、その言葉の削除は一向に構いません(むしろ、もともとの私の考えに戻るのですから)。なお、以上は、この記事の「一覧」性を否定して(そもそも、否定しようとしても完全には否定できないと考えています)、今までのご批判をすべてひっくり返すつもりのものではありません(今までのご意見は、引き続き、謹んでお受けいたします)ので、念のため。ただ、「一覧、即、独立した項目を作成するに値するものに限定すべし」、逆に、「独立した項目を作成するに値しないもの、即、一覧から削除すべき」というかなり徹底したご発言がでてきたので、これに対して、「もともと、そういった性格の強い『索引的一覧』とは違う項目である」、とお伝えしたかったのです。ちなみに、仮にこの点を項目名・記事名の問題と捉えることができたとしても、「一覧」という言葉を記事名から単純に削除するということだけでは解決せず、むしろ、(もちろん、内容の追加+)「美術書」への項目名変更というご提案に解消する問題ではないかと考えます。
以上ですが、さらにご意見があれば、よろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 2005年7月10日 (日) 05:28 (UTC)返信
  • (項目名変更の上存続) 「~に強い~一覧」というのは多くの人が書かれているように賛同を得にくい記事名だと思います。美術書あるいは書店の中の項目として「#美術書の流通」というような形での存続が妥当だと思います。メジャなものだけでなくマイナーなものであっても掲載することが社会的に有用であれば何らかの形で残すのがいいと思います。またボランティアで記事が執筆される観点、執筆されにくい分野であり、むやみな単なる削除だけは避けてほしいと思いますMonami 2005年7月9日 (土) 04:33 (UTC)返信
  • (削除)「美術書に強い書店」に限らず、一般に「○○に強い××」というものは、個人の主観によってしか定義を構成しえないものであり、中立的な記事たりえないものだと思います。記事の現状が広告や個人的エッセーであっても、今後の加筆によって救済可能なものは削除の対象外ですが、本記事については記事名自体に「美術書に強い」という、中立的たりえない概念が含まれており、恣意的な一覧や個人的エッセー以上の百科事典的項目に成長する見込みはないと思われます。本記事は2004年2月という早い時期に初版が投稿され、当初からノートページには批判的意見があり、それから1年半が経過しているにも関わらず、内容が全く変わっていないことも、それを裏書きしています。以上により、本記事は「異質な記事」「百科事典には不要な項目」「百科事典的記事に成長する見込みのないもの」として、削除のケースEに該当するとともに、ウィキペディアのもっとも重要なポリシーである「中立性」に反するものとして、削除が妥当と思われます。Urania 2005年7月12日 (火) 17:27 (UTC)返信
  • (コメント)この「削除依頼」のページは、削除の方針等についての一般的な問題について議論する場ではなく、ウィキペディアの既定の方針に基づき、特定の記事の削除についての賛否を表明する場です(と、ページの冒頭に書いてあります)。したがって、この場が初版執筆者VS削除派ユーザーの討論の場のようになっていることには非常に違和感を覚えます。「最初に『削除』ありきの固定した議論」はもちろんよくありませんが、同様に「最初に『存続』ありきの議論」も避けるべきでしょう。どうやってこの記事を存続させるかという視点だけではなく、ウィキペディアの方針に基づいて存続・削除のいずれが妥当なのか、という視点から考えるべきではないかと思います。他の方も述べておられましたが、「AはいいのになぜBはだめなのか」という形で話題を飛躍・敷衍させるべきではないと思います。「○○はよくて、××はなぜだめか」という場合、「○○」と「××」が同じ尺度で比較できるものでなければ比較の意味がないと思います。たとえば、「小説家の一覧」と「書店の一覧」の比較には意味があると思いますが、「小説家の一覧」と「美術書に強い書店の一覧」を同列に比較するのはいかがなものでしょうか。また、「○○に強い小説家の一覧」「○○に強いコンビニ(政治家、病院、予備校、etc)の一覧」等はやはり百科事典の項目としてはふさわしくないと思います。「小説家の一覧」「天体の一覧」その他の一覧記事について「同じ議論になる」とか「基準が不明確なのは一覧記事全般の問題である」としているのは、それらの記事に関わっているユーザーさんたちに対して失礼ではないかと思います。小説家一覧クラシック音楽の作曲家一覧美術家の一覧など、「著名なものの一覧」については、たしかに「完璧に網羅したリスト」ではないし、客観的かつ絶対的な「基準」があるわけでもないでしょう。「基準がないことをもってすべての一覧記事を削除することはできない」あるいは「客観的基準がないことが、即、記事として不要ということにはならない」という命題もそれ自体としては真かもしれません。しかし、仮にそれらの命題が真だとしても、そのことと「美術書に強い書店(の一覧)」の存否は別問題です。たとえば「作曲家」については、CDが出ている、楽譜が出版されている、コンサートやテレビの音楽番組で取り上げられている等々、「美術家」ならば、美術全集に取り上げられている、回顧展が開かれている、作品が美術館に収蔵されている、研究書が出ている等々、よりどころとすべき資料や情報がいくらでもあります。ウィキペディアが求めているのは「絶対的な基準」ではなく「中立性」です。ページ名が当初は「美術書に強い書店の一覧」ではなく「美術書に強い書店」であったということは本質的問題ではありません。なぜなら、「美術書に強い書店は以下のとおり」という文言は初版からあり、本記事が一覧的なものを指向していることは明らかだからです。最後に、同一ユーザーによる2回目以降の発言の冒頭は(存続)ではなく(コメント)としないとアンフェアだと思います。Urania 2005年7月12日 (火) 17:27 (UTC)返信
    • (コメント)項目名が問題なら変更すればいいだけです。「異質な記事」でも「百科事典には不要な項目」でも「百科事典的記事に成長する見込みのないもの」でもなんでもありません。--Ligar 2005年7月13日 (水) 01:07 (UTC)返信
    • (コメント)Uraniaさん、ご意見ありがとうございます(「同一ユーザーによる2回目以降の発言の冒頭は(存続)ではなく(コメント)としないと」という点は、「数をかぞえる」というルールがあることを知らず、失礼いたしました)。まず、Uraniaさんの削除希望理由がいろいろまざっていて、よくわからないのですが、「強い」という「タイトル」の問題ですか、それとも「基準」の問題ですか? 「タイトル」(記事名・項目名)の問題であれば、(Ligarさんと同じコメントですが)変更していただければ結構ですし、「基準」(中立性)の問題であれば、上記のとおり、「参考文献はある(完全ではないが)」ということで、いいのではないかと思います。それから、「異質な記事」「百科事典には不要な項目」の2点については、十分なご説明がないと考えます。可能であれば、補足していただければ幸いです。「百科事典的記事に成長する見込みのないもの」については、中立性の問題が理由であれば、先に書いたとおりかと。また、「1年半が経過しているにも関わらず、内容が全く変わっていないこと」に関して、私か記事の発展にかかわっていなかったという点については弁解の余地はありません(ただ、細かいことですが、「全く」というのは事実に反する、誤解を生む書き方ではないかと思います)。以上ですが、さらなるコメントをよろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年7月17日 (日) 07:13 (UTC)返信
    • (コメント)Uraniaさんの2点目のコメントに対して、以下、私の考えを述べさせていただきます。
1. まず肝心の「基準」について。「よりどころとすべき資料や情報がいくらでもあります」と、この一覧に関しては、資料や情報がないかのような書き方をなさっておられますが、先に書いている通りで繰り返しになりますが、(Uraniaさんの表現にそろえて書きかえますと)この一覧については、「よりどころとすべき資料や情報がありますが、『いくらでも』はありません」ということです(そして、では、どの程度の数や量の資料や情報があれば、いいのか、という点については、答えはないこと、お分かりかと思います)。ぜひとも、私のコメント以前の位置での主張を単に繰り返すのではなく、私のコメントが存在することを前提とした位置からの議論をお願いします。そうでないと、議論が深まらず、先に進みません。すなわち、議論の一般化を非難しておられるようですので、この一覧に即して具体的に考えますと、「この書店が含まれていることはおかしい、または、この書店が含まれていないことがおかしい。だから、この一覧の選択は恣意的であり、中立性が疑われ、よって記事全体を削除すべき」というこの記事内容に沿った議論をお願いします。さらに、先回りで書かせていただくならば、単に「この書店が含まれていることはおかしい」という場合には、通常は、その書店を一覧から削除するか、「削除するべきではないか」という議論をノートでする、ということになるでしょう。そして、「この書店が含まれていないことがおかしい」という場合には、通常は、その書店を一覧に追加することになるでしょう。「小説家一覧」で想像していただければお分かりいただけると思いますが、この流れでは、単純に「削除依頼」には進まないはずではないでしょうか?(「削除依頼」に進むのは、たとえば、選択の7割とか8割とかがおかしい、というような極端な場合でしょう) そして、不思議なのは、削除を希望なさる方から、そのような具体的な個別の書店についてのご指摘(選択がおかしいというご指摘)が、今までなされていないことです。そのことから懸念しているのは、削除を希望なさっている方々は、「強い」という記事名から、その記事内容(挙げられている書店)の具体的な吟味なしに、基準が不明確、中立性に疑問、という一般論に飛躍しているのではないか、ということです。
2. 「本記事が一覧的なものを指向していることは明らか」と書いておられる点ですが、これは、私の7月10日に書いた部分の第3点へのご意見かと思います。その部分に、先にも書きましたが、この点については、否定もしませんし、議論(反論)をするつもりもありません。書きたかったことは、よりはっきり表現すれば、「(Hermeneusさんの言っておられる、「一覧、即、独立した項目を作成するに値するものに限定すべし」、逆に、「独立した項目を作成するに値しないもの、即、一覧から削除すべき」という基準に従うという前提で)独立した記事が書けないような書店であっても、記事中に残せないか」ということだけです。これについては、Uraniaさんはどのようにお考えですか? これは、基準の観点とはやや異なる削除希望理由(かつ一覧一般の問題になるもの)ですので、議論を深めるために、ぜひコメントをお願いします。
3. 残りは、私の議論の進め方に対するコメントかと思いますので、以下まとめて、ご回答します。
1) 「削除の方針等についての一般的な問題」についてですが、これは、私のコメントの書き方が、明確に具体論を求める方向をとっていなかったことにも問題があったと思いますが(今回のコメントでは改善したつもりです)、誤解のないように書かせていただくならば、ここでは、はじめから「削除の方針」そのものについて議論はしておらず、それよりも一般性についていえば数段レベルが下がった議論をしています。たとえば、「基準」についてであれば、「基準の問題を削除理由にすることはおかしい」というより一般的・抽象的な議論は全くなくて、「基準を理由としてはこの記事は削除できないのではないか。他の一覧と比べてこの一覧において具体的にどう基準が問題なのか(結局は、他の一覧と違う問題点を指摘できないのではないですか?)」、という議論をしているのです。このレベルの一般論であれば、具体的な削除理由に直結しています(というか、比較を通して、削除理由の具体化を促すことにもなる)ので、当然この場で議論があってしかるべきでしょう。さらに、逆にコメントさせていただくと、一般論という意味では、実は私が参加する前のはじめから一般論がなされていて、一覧の具体的な項目(それぞれの書店を挙げていることの是非)についてのご指摘がないこと、上記のとおりです。具体的な議論をお願いします。ただし、個別の書店の評価に終始するようなレベルでの具体論ではなく、一覧全体としてどうかというレベルでお願いします。
2) 「『小説家の一覧』と『美術書に強い書店の一覧』を同列に比較するのはいかがなものでしょうか」ですが、これは、あまり一般化できない議論なので、注意が必要です。もし、「『小説家の一覧』が記事として存在するのだから、『美術書に強い書店の一覧』も存在すべきだ」というタイプの比較をしているであれば、私も首をかしげますが、ここでは、むしろ逆で、「『小説家の一覧』という世の中に『権威的文献』が確実に存在するような重要な一覧においても、基準に不明確な点がある(客観的かつ絶対的な「基準」があるわけでもない)のだから、『美術書に強い書店の一覧』の基準にも不明確な点があるのは、ある程度はやむをえない(不明確であっても許容可能の範囲内ではないか)」という議論のためですから、おかしくはないと考えています。
3) 「最初に『存続』ありきの議論」ですが、私はそこまでのつもりはなかったのですが、そのような誤解を与ええいるようで、申し訳ありません。ただ、「削除理由が具体的に示されていない(「基準」については、上記第1点をご参照ください)」、「タイトルだけの問題ではないか?」と、何が何でも削除という雰囲気に強く違和感を感じてコメントを書いていることが、そのような誤解の原因かもしれません。
4) 「『基準が不明確なのは一覧記事全般の問題である』としているのは、それらの記事に関わっているユーザーさんたちに対して失礼ではないか」についてですが、これは逆に考えています。というのは、ここでの私の取り上げ方が、「基準が不明確なのは一覧記事全般の問題である。だから、すべての一覧記事が問題である」という文脈ではなく、そのような一覧全体について問題にしたり、削除依頼をすることを、そもそも考えていないからです(せいぜい、削除や追加という、修正で対応可能でしょう)。すなわち、「執筆者個々人が、それぞれの(選択)基準を持っている。だから、全体として、基準が不明確になるのは当然である。そして、その個々人の選択基準を(ある程度は)尊重すべきである」と考えています。
なお、最後に、「初版執筆者VS削除派ユーザー」という書き方をなさっておられますが、これは、正確ではなく、実態は、私に対して明確に反論をいただいているのは、Hermeneusさんだけですし(Hermeneusさん、反論ありがとうございます。他の方は、沈黙しておられるので、私のコメント対して、賛成なのか、反対なのか、様子見または「馬鹿は無視」といった保留的立場なのか、不明です)、私以外にも削除に反対する方もおられますので、正しくは、「初版執筆者VS Hermeneusさん」ですね。なお、Uraniaさんのコメントは、上に書きましたように、肝心な「基準」についても(上記第1点)、「一覧に挙げることとと独立した項目を作成できるかどうかの関係」についても(上記第2点)、私のコメントを踏まえておられませんので、「反論」をしていただいているとはいえず、現時点では「VS」の向こうには入ってこないと考えます。今回の私のコメント(第1点および第2点)に対してさらにUraniaさんからコメントいただければ、「初版執筆者VS Hermeneusさん+Uraniaさん」になる可能性があります。いずれにしても、不正確な表現で「初版執筆者だけが記事存続に固執している」という印象を皆さんに与えるようなことは避けていただきますようよろしくお願いいたします。
以上で、コメントにすべてお答えできているか心配ですが、不足点はご遠慮なくご指摘ください。また、ご納得いただけない点は、再反論してただければ幸いです。お願いします。20世紀(前半)美術 2005年7月17日 (日) 07:13 (UTC)返信
  • (存続)記事内の美術書系書店は、いづれも美術書愛好者から一定以上の評価を得ている信頼のおけるものしか載っていないので、宣伝でないことは明らか(もし私が書いたとしても、同じ店をリストすることになるかと)。また、日本における美術書系書店は、経営が厳しいながらも、Nadiff、オンサンデーズのように店舗のスペースを利用したセッションやイベントを仕掛けるなど、日本の美術愛好者の中で果たしている役割は大きいと思います。しかし、たしかに「強い」というのは微妙なところなので、1.美術書に節を設ける 2.新規で美術書店を立てて、日本の美術書店の歴史(アール・ヴィヴァン以前/以降の流れ等)の概説とともに記す のを提案いたします。__Okc 2005年7月13日 (水) 21:28 (UTC)返信
  • (コメント) 2005年7月13日 (水) 05:02(UTC)に「美術書」への移動を前提として編集してみました。Okcさんご提案の「美術書店」でもよいと思いますが、とりあえず書店については説明のあるものと項目がある(あるいはあって当然)のものだけ残し、残りはコメントアウトしました。削除意見をつけられた皆様に今一度ご覧いただければと思います。--miya 2005年7月13日 (水) 23:53 (UTC)返信
  • (存続・項目名趣旨変更が必要)美術書というような項目のなかで、美術書は専門的なものは入手が困難であるが、以下の書店等では常備されている……などの付加情報として残すべきだと思います。百科事典と情報誌の違いは何かと云えば、「歴史性・文化性」の蓄積的意味の差だと思います。本来は、十年ほど時間を経過して、社会的・歴史的に意味や影響のあったものを、載せるのが百科事典で、いま流行中のものは、その価値がまだ決まっていません。TVの過去放映番組記事などがかなり多いですが、これらも本来、選択しなければならないのですが、何が基準かという点で、難しいので量産傾向にあります。「美術書を常備している便利な書店」では百科事典の記事になりません。それでは「情報誌」になります。しかし、別の項目、例えば、美術書などの付加記事で、上に述べたような形で、「付加情報」として付け加える分にはよいと思います。(由緒ある書店、例えば「丸善」などだと、これ単独で日本の文化史や学問の歴史に意味があるので、記事としても成立すると思いますが、「強い書店」は、現在の内容での「独立項目」としての存続は困難と考えます)。Maris stella 2005年7月14日 (木) 19:15 (UTC)返信
  • (削除)基本的には上氏、Urania氏に同意。加えてA.地域性に偏りが出ること、B.記事内容に批判ないし議論が起こったとき、あるいは何らかの苦情が寄せられたときに収拾がつかなくなることが懸念される。どうしても残すなら複数の選定スタッフ(店の選択について責任の取れる人)をつけるべきと考える。たらこ 2005年7月15日 (金) 14:41 (UTC)返信
    • (コメント)「A.地域性に偏りが出ること」編集で対応することです。「B.記事内容に批判ないし議論が起こったとき、あるいは何らかの苦情が寄せられたときに収拾がつかなくなること」なぜ収拾がつかなくなるかの説明がありません。いずれも削除理由として不適切です。--Ligar 2005年7月16日 (土) 04:22 (UTC)返信
      • (コメント)ここで議論してよいのかわかりませんが、一応コメントをつけておきます。なお両理由ともにご指摘のとおり直接削除理由に当てはまるものではなく、百科事典的な記事として存続することが困難である理由の補強に過ぎません。Aについて:初版から既に一年半近くが経過しているにもかかわらず、なお現状で東京のみにとどまっていることをとりあえず指摘しておきます。Bについて:現在関わっている執筆者による議論、および書店の介入(宣伝への利用など)があげられる(もっとも後者についてはWikipediaが信用できる百科事典として一般社会から認知されなければ心配する必要は無いが)。基準に該当していない、あるいは該当しているか疑わしい書店が掲載されたとき、それらを適切に排除できるかという点を最も懸念する。特に当事者による投稿の場合、対応は難しいのでは。たらこ 2005年7月17日 (日) 04:40 (UTC)返信
  • (削除)宣伝に過ぎない。強く削除を希望。 --忠太 2005年7月16日 (土) 17:30 (UTC)返信
ナディッフがどうのこうのと書いている時点で百科事典的な記事になりえない。閉店したらどうするのか。永続的な内容に限るべきである。「美術書」という項目にするなら、書店の記事部分は削除すべき。(追記 --忠太 2005年7月17日 (日) 02:56 (UTC)返信
    • (コメント)忠太さん、ご意見および追記、ありがとうございます。削除理由は「宣伝」ですね。ただ、結論だけで、削除理由の説明がまったくありませんので、「ナディッフ」について具体的にどの部分がどのように宣伝なのか、書いていただけませんか? ちなみに、「ナディッフの記載の『存在』そのものが宣伝だ」というご回答は、お願いですから、避けてください。そのような回答があった場合には、残念ながら、「もしかして、ナディッフの重要性をご理解いただいていないのに、削除を希望しておられるのですか? そんなことで、よく削除希望が出せますね?」と申し上げざるを得なくなるからです。恥ずかしながら私の手元には十分な情報がないので、自分で書くことはできませんが、「ナディッフ」に関してはその重要性と歴史から考えて、独立した記事があってもいいくらいだと思っています(もしかすると、Okcさんなら、その点はご賛同いただけるかもしれません)。
なお、「閉店したらどうするのか」ですが、「宣伝」という削除理由との関係がよくわかりませんが、他の記事(その人物が死んだらどうするのか、企業が消滅したらどうするのか等)と同じで、個別に検討して、その部分(記事・項目)を、修正のうえ残すか、削除するかを決定するということになるはずです。その時点でその書店についての記載を削除することになるかもしれませんが、そのことは、この記事特有の問題でもなく、削除理由には該当しないと考えます(ノート:美術書に強い書店の一覧もご参照下さい)。同様に、「永続的な内容に限るべきである。」という点も、削除理由になっていないと考えます。
以上、よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年7月17日 (日) 14:44 (UTC)返信
「一覧」といいながら、実際の内容はナディッフのことが中心であり、偏っています。(ただし、他の書店も充実させればいい、という訳ではありません。私は項目自体反対ですので) --忠太 2005年7月20日 (水) 15:48 (UTC)返信

日本時間2005年7月18日(月)以降のもの 編集

  • (整理)記事が長くなりすぎているようですので、試しに分節しました。なお、以下は、議論の整理のために、私が勝手につけた分類ですので、修正していただいたり、全体をなくしていただいてもかまいません。(また、この分節自体をやめたり、分節を他のアイデアに修正していただいてもかまいません。)よろしくお願いします。20世紀(前半)美術 2005年7月17日 (日) 15:15 (UTC)返信
「基準の不明確性、中立性」に関するもの 編集

*(コメント)忠太さんの「永続的な内容に限るべき」というご意見に対してですが、「永続的な内容」をたとえば20世紀後半から21世紀前半の美術シーン、とみなすならば、 Nadiffに関する記載はあってしかるべきでしょう。現在の美術シーンや現在進行中の美術シーンであちらの店が果たしている役割は大きいからです。美術書店は1.ただとりあえずメインストリームのものを置いている 2.スタッフの選書の質が高く、店舗内での「思いがけない発見」がある 3.選書の質も高く、連動したイベントを行っておりそのイベント目当ての来客もある の3つに分けることができると思いますが、Nadiffはまごうことなき3だと考えます。その意味では、アール・ヴィヴァンとともに、Nadiffの独立記事もあってもいいかと(現在地の利がないので書けませんが)。他の皆様からも宣伝とお考えの根拠をお聞かせいただければ幸いです。__Okc 2005年7月17日 (日) 16:39 (UTC)返信

    • 「永続的」というのは例えば「狩野永徳の絵はどこそこに収蔵されている」といったもので、これは情報として集積されるべき内容です(もちろん他所に移る場合もありえますが)。一方、美術書に強い書店などは日々移ろいゆくもので(アール・ヴィヴァン、ジュンク堂の例を見ても)、集積するような内容ではないと考えます。このような記事を書くより、本論(作家、作品)について充実を図ってもらいたいものです。 --忠太 2005年7月17日 (日) 17:14 (UTC)返信
  • (コメント)忠太 さん、こんにちは。しかし、何か勘違いされているような気もします。わたしは、百科事典の記事は、十年ぐらいが経過して、一般的な評価ができたものという基準を述べていますが、無論、これは原則です。しかし、どうでもよい対象の記事があまりにも濫造され過ぎているという事態も事実です。「永続的」という基準をあげておられますが、これは、情報誌と百科事典の違いというところで、私見を述べています。しかし、永続的という基準を入れると、Wikipedia の現在の記事の半数かそれ以上か、ともかく膨大な記事が「削除相応」になるということは考えていますか? わたしは、「粗製乱造」という限りは、濫造された記事は削除相応で、本来削除すべきだという意見です。(ただし、Wiki は人間の共同体なので、削除依頼の濫発は事実上できないシステムであるので、削除依頼しないだけです)。この覚悟というか認識があるなら、「永続性」の基準を主張されても別に構いません。ただし、その場合、例えば、和歌山ラーメン の記事などは当然、削除対象になります。90年代後半に言われ出した和歌山ラーメンなど、十年の歴史もなく、あと5年後に果たしてまだ残っているかどうか不明です。ラーメン店の名のリストもありますが、こういうリストも即削除でないとおかしいでしょう(まさに、永続性がないからです)。しかし、百科事典であろうと、何の辞典・事典であろうと、「編纂時点での評価」というものは、それはそれで認めるしかないという事実もあります。広辞苑にしても、岩波の各種大事典にしても、一定年月で、改訂版を出します。これは編纂当時は妥当であった内容が、時間の経過と共に、手を入れて直す必要が出てくるためです。百年後、千年後にも有意味な情報だけとなると、百科事典も国語辞典も各種事典も成立しません。永続性の例として挙げている、「狩野永徳の絵はどこそこに収蔵されている」……こういうこと、十年、二十年、あるいは世紀単位で考えれば、何の永続性もありません。百科事典の記事内容の資格は、永続性ではなく、「歴史的評価」と「情報の重要性」にあります。先端科学や技術を扱う項目では、数年後、あるいは半年後には、崩れている、または乗り越えられてしまう理論や技術でも記載します。それは「永続性」ではなく「情報の重要性」に基づくものです。事典は、古典的な項目と、改訂によって更新して行く、二つの部分から成り立っているのだということを理解してください。現在、削除依頼対象となっているものは、あと5年、10年は永続性のある情報である、何より「情報の価値性が高い」と考えられるのです。価値がないと判断されるなら、削除のままでも構いませんが、永続性という観点からの判断は片手落ちだとは思われないでしょうか。Maris stella 2005年7月18日 (月) 12:32 (UTC)返信
  • 芸術は永遠を目指すものであり、美術関連の項目くらいは、永続性を目指すべきではないでしょうか。なお、反対理由は永続性のみではありません。情報が主観的、恣意的になることなど、他の方も挙げられている理由も当然あります。
  • まさか「和歌山ラーメンが削除されない限り、この項目にも意義がある」という理屈にはならないと思いますが。個人的には「和歌山ラーメン」は削除すべきと思いますが、一々削除依頼をする時間は残念ながらありません。
  • 「狩野永徳の絵はどこそこに収蔵されている……こういうこと、十年、二十年、あるいは世紀単位で考えれば、何の永続性もありません」という点について。ある作品がどの所有者からどこに移ったか、ということはそれ自体、美術史上の研究テーマになりえます。(蛇足) --忠太 2005年7月20日 (水) 15:48 (UTC)返信
  • (コメント)芭蕉の「不易流行」という芸術思想をご存じないのでしょうか? 知らなくとも構いませんが、芸術についてもう少し考えてください。情報の主観性・恣意性は、POVの問題で、削除にはなりません。他の人の意見も加えて、中立性・客観性を目指せば済むことです。
  • (コメント)和歌山ラーメンなどの話は、わたしが述べていることです。現在の項目の半分以上は削除相応というのも、わたしが述べています。その上で、この記事の情報は存続の価値があると判断し、根拠を述べています。
  • (コメント)20世紀-21世紀初頭の書籍流通や書店の変遷の歴史で、横並びのコンビニ型書店の横行に対し、独自の品揃えで、美術書を専門に扱った書店の存在は、また文化史的研究の対象に将来なりえるでしょう。「既存の権威」に依存し過ぎているとは思われませんか。(蛇足ですが)。Maris stella 2005年7月20日 (水) 23:50 (UTC)返信
  • (削除)例えば、「市町村」の定義なら市町村の項を見ればすぐ分かるが、「美術書に強い」の定義が不明確である(さらに著者が故意に基準をあいまいにしている)ため。これでは、「○○書店は美術書に強いか」を厳密に定めることができず、○○書店を一覧に入れるか否かで編集合戦を誘発してしまう。また、このとき、両方の主張が正しいと判断できるにもかかわらずどちらかを切り捨てなければならない。Wikipediaの記事は一人で書いているわけではない。--6144 2005年7月20日 (水) 10:56 (UTC)返信
    • (コメント)厳密に区別ができないものは一律削除とは官僚主義というものです。いつからウィキペディアは事務文書作成の場所になったのでしょうか。あと履歴をみればわかりますが、編集合戦など起こっていませんよ。将来の可能性でもって記事全体の削除を主張されてはたまったものではありません。--Ligar 2005年7月20日 (水) 11:58 (UTC)返信
「宣伝」に関するもの 編集
その他の削除理由に関するもの 編集
その他 編集

(全体にわたるもの、上記の分類になじまないもの等を含む)

  • (コメント)20世紀前半美術様~、はじめまして!Uraniaでございます。先日は、長々とコメント書いてしまってごめんなさい。私のような者のつたない意見に丁寧にご返事くださり感謝感謝でございます。ただ、この「削除依頼」のページは、議論の場ではなく、ウィキペディアの現在の方針に沿って賛否を表明する場だと思いますので、申しわけないですけど「コメント」に対する「コメント」の応酬はできれば避けたいと思っております。前回のコメントは私なりに一所懸命真剣に考えたもので、言いたかったことはそこに全部書きましたので、再反論はせず、あとはコミュニティの皆さんのご判断にお任せしたいと思いますが、それでよろしいでしょうか?話は変わりますが、ウィキペディア日本語版の中でも「美術」はもっとも弱い分野の1つだと思います。某有名掲示板サイトのウィキペディア関連スレッドで、「日本語版でいちばんダメダメな分野は、美術かな」とか「美術もヲタだし」とか書き込みがされたこともあります。そんなのくやしいじゃないですか!?怠け者ユーザーの私も美術関係の記事だけは常時チェックしておりますし、20世紀前半美術様が、近代写真関係の良記事を多数投稿していらっしゃることは、よく存じております。だからこそ、1年半経っても、何も変わってない、何も動いてないこの記事を何とかしていただければ、と思うわけです。現状の記事に加筆修正して「中立的」「百科事典的」記事に成長させることができるのであれば、それがベストです。ここに反論コメントをお寄せになる時間がおありでしたら、「美術書に強い書店(の一覧)」の記事に加筆していただき、誰もが納得できる記事にしていただければそれがベストの解決策じゃないかなあと思います。末筆ながら、20世紀前半美術様におかれては、今回の件にこりず、今後も引き続き良記事を投稿してくださることを祈念します。Urania 2005年7月17日 (日) 16:18 (UTC)返信
    • (コメント)Urania さん、こんにちは。言っていることがどうもおかしいようにも思います。「20世紀前半美術」さんは、ちょっとコメントの書きすぎだとも思いますが、それとは別に、この削除依頼では、色々な人が色々な意見を述べています。それを読んでみて、自分の判断は正しかったのかと、もう一度考えることも必要ではないかとも思います。(別の削除依頼で、存続の意見が多いので、どうもわたしの判断が違っていたのかとも思い、「保留」に変えた例もあります)。はっきりと、削除か存続かが綺麗な形で決まる問題は、それでよいですが、色々な意見が出ている場合は、再度、賛否判断を考え直す必要があるとも思惟します。Urania さんの書かれ方だと、何故、削除を「保留」か「存続」に変えないのか、些か不思議にも思います。Maris stella 2005年7月18日 (月) 12:32 (UTC)返信

(コメント)「この記事を中立的・百科事典的記事に成長させることができるのか」という本来の議題からどんどんずれていってるような気がするのですが・・。本件についてはこれ以上コメントしないつもりでしたが、「削除意見を保留または存続に変更しないのはなぜか」と問うていらっしゃるようにお見受けしましたので、ひと言だけコメントを。本件については、少なくとも「ページ名の変更は必要」という線ではほぼ合意ができていると思われます。そうすると、「現状のまま存続」という選択肢はほぼ消え、残りは「ページ名変更のうえ存続」か「削除」のどちらかになると思います。私としては、「ページ名変更のうえ存続」に何が何でも絶対反対するわけではありませんが、いくつかの理由から、どちらかと言えば、今ある記事はいったん削除して、「美術書」ないし「美術書店」という項目を新たに立ち上げた方がよいと思いますので、現時点では「削除意見を保留または存続に変更」する必要はないと思っています。前述の「いくつかの理由」とは何なのか、詳細に述べよ、というご指示があれば述べてもいいのですが、またまた長いコメントになりそうですし、本来の議論からどんどん離れていきそうなので、それは控えることにします。私の意見は(もちろん自分なりに真面目に考えたものではありますが)1つの意見にすぎないのであって、それを「おかしい」「間違っている」と考える人がいてもそれは当然のことだと思います。Urania 2005年7月18日 (月) 14:43 (UTC)返信

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