ノート:舒城

最新のコメント:15 年前 | トピック:舒城の記述について | 投稿者:Сорасоуё

舒城の記述について

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現在の全ての記述は、小説である『三国志演義』を基にした記述のみであり、信憑性に疑問があります。なお、『三国志』(いわゆる「正史」。以下、私が『三国志』と書いた場合は全て正史の三国志を差します)の「舒」は、周瑜の出身地であり、揚州に属します。つまり、「荊州争奪」には関係のない場所にあります。『三国志』の曹仁伝及び関羽伝においても、曹仁の駐屯地は樊とされています。フィクションであれば、私はそれでもいいのですが、Wikipedia:フィクションを明確に区別をご参照の上、そう明記されたほうがよいと思います。--Crystaltear 2007年2月3日 (土) 12:09 (UTC)返信

舒城は『三国演義』では第15回・第57回で「廬江舒城の人、姓は周、名は瑜、字は公瑾」(第15回)などど記されるのみであり、本項目は『三国演義』の情報としても正しい部分が存在しません。本項目は「非常に短いもの、定義になっていないもの」(Wikipedia:即時削除の方針#記事・第1項)に該当すると考えます。
本項目を救済する手段は皆無ではなく、上古から清代に至るまでの当該地域の地誌たる『舒城県志』などを参照することにより本項目を修正・加筆する余地はあるでしょう。
しかし、有意な加筆をすれば記事の規模が肥大化し、省・州などといったより高次の行政区分の記事との均衡を失することとなります。また、そもそも県城レベルの記事を逐一立てていては切りが無いと考えられます(たとえば、本邦の特定の大字・小字について、特記に値する事項が存在しないにもかかわらず都道府県の記事と同等以上の分量の記事を立てたり、全ての字について個別に記事を立てるようなもの)。
よって、本項目の存在意義はないと考えます。--Сорасоуё 2008年7月12日 (土) 05:14 (UTC)返信
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