ノート:藤田盟児

最新のコメント:5 年前 | 投稿者:Ktmchi

2019年3月8日の変更通知により2017年7月23日に概要部分の修正があったことに気づきました。その時にも変更通知がきていたはずですが、何かに熱中していて見ていなかったんでしょう。

2017年7月23日の修正者名が「藤田盟児」とありましたが、メール登録がされていないようなのでご本人かどうかは判りません。しかし、いずれにせよ私が書いた旧稿の"「書院造」への過渡期として「主殿造」を想定し"という部分は間違いでした。私が主に読んだのは 『中世的空間と儀礼』の中の「主殿の成立過程とその意義」でしたが「主殿系建築」という言い方をされていて「主殿造」とは書かれてはいないようです。すると「主殿造」という用語は平井聖先生だけでしょうか。平井先生の「主殿造」「書院造」はちょっと特殊で、聚楽第も二条城も「主殿造」であって「書院造」ではないことになってしまいます。「書院」と呼ばれだしたのはもっと後だという点については目から鱗でした。藤田盟児先生も述べられているように「様式名として書院造が適当か」(『建築の歴史・様式・社会』p304)という点は有るのですが、しかし学術用語としての区分では、平井先生の「主殿造」論に同調する研究者は藤田盟児先生を初め殆ど居ないと思います。

旧稿は「主殿」と云う言葉が現れた頃、寝殿造から書院造への過渡期を中心に研究されている方というつもりだったのですが、「主殿造」というと「寝殿造」や「書院造」に対比出来るような独立した建築様式であるかのような印象を与えてしまうという点で旧稿の表現は不適切でした。「著書」に追加された「鎌倉前半期における上層武家住宅の実態と変遷過程」(『建築史学』第53号、2009年)と「書院造の形成過程と様式定義」(『建築の歴史・様式・社会』中央公論美術出版、2018年)を今し方読ませて頂きましたが、確かに現在の概要にある内容を論じておられます。藤田盟児先生ご本人を初め、Wikipediaの読者の方々にお詫び申し上げます。---Ktmchi会話2019年3月9日 (土) 17:33 (UTC)返信

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