ノート:衣笠 (京都市)

最新のコメント:3 年前 | トピック:「歴史」節について | 投稿者:Straysheep

「衣笠地区」とは? 編集

首記、当記事は大まかな概念としての「衣笠」と、明確な線引きがなされた「住所表記としての衣笠」をきちんと峻別して書かれていたはずなのですが、何ら議論も出典提示も無いまま記述が曖昧になってきています

そもそも、「衣笠地区」という言葉の指す範囲は行政などによって明確に区分された区域なのでしょうか?また、この名称は公的あるいはそれに準じた統一された定義として存在するのでしょうか? 試しにgoogle検索してみましたが、この限りでは明確な概念・線引きは無い(いずれも、呼称主体者による便宜的なもの)ように思えます。(当方の印象ですが現状は、現在の衣笠小学校(および金閣小学校)の校区と旧衣笠村にあたる地域付近を大まかに示した便宜的な名称・概念ではなかろうか?) Wikipediaは『「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』という大前提に立った記述を行う必要があります。独自研究を排除する(現状の「地域住民が利用する施設」などといった記述も排除すべき)意味でも、例えば地域内に所在する施設の一覧を記述するのであればその定義を明確にする必要がありますから、これについて検証可能性たりうる出典をご提示くださいませ。--Si-take. 2011年10月21日 (金) 04:25 (UTC)返信

  •   コメント 冒頭に「この項目では、京都府京都市北区にある地区名について記述しています。」と記されています。したがって、この項目は「衣笠地区」に関する事柄が記されるページです。衣笠地区内の等持院中町・等持院西町・等持院東町内を京福電鉄北野線の軌道が通っている事は、わざわざ書籍で調べなくても、行政機関に教えてもらわなくても、その周辺に子供の頃から居住する地元民なら、小学生から大人まで誰でも知ってる事実です。--Tensyou 2011年10月21日 (金) 10:57 (UTC)返信
    • Tensyouさんにお尋ねしたいのですが、上記でSi-take.さんがお尋ねになっているのは、京福電鉄北野線の軌道云々ではなく、「衣笠地区」の具体的な範囲についてではないでしょうか。実は、「衣笠地区」とひとくくりで説明するのは非常に難しいのです。
# 明治22年の市制・町村制施行に伴って生まれた衣笠村の範囲を指すのか(大北山村、小北山村、松原村、北野村、等持院村、大将軍村の旧村全域を含む)
  1. 現在の衣笠学区を指すのか(金閣学区および大将軍学区の全域を含まない)
  2. 地名による「衣笠○○町」を指すのか(金閣学区の一部を含む、ただし金閣寺町および大北山○○町を含まない)
このあたりの説明が、現時点では不明瞭だと考えます。また、「その周辺に子供の頃から居住する地元民なら、小学生から大人まで誰でも知ってる事実」というお言葉が上記にありましたが、百科事典を編集するに当たっては、用いるべきではない表現だと私は考えます。なるほど「等持院中町・等持院西町・等持院東町内を京福電鉄北野線の軌道が通っている事」は、地図で見れば分かるでしょう。大切なのは「等持院中町・等持院西町・等持院東町」が「衣笠地区」に含まれる根拠を当記事にて説明することにあると考えます。--もかめーる 2011年10月21日 (金) 13:34 (UTC)返信

「歴史」節について 編集

本項目の「歴史」節には、廃止自治体である(葛野郡)「衣笠村」についての記事が含まれており、現状では独立記事を作成するほどの分量がないのでこのままで良いと思います。ただ、上での議論とも若干の関連がありますが、「衣笠村」の境域には、(本項目が扱っている)京都市北区の広域地名である「衣笠」以外の地区(等持院・北野・小松原・大将軍など)も含まれているため、(本記事の加筆方針との兼ね合いもありますが)将来的には当該節の記事分割の可能性も考慮すべきかと思います。--Straysheep会話2021年1月14日 (木) 17:39 (UTC)返信

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