ノート:谷亮子

最新のコメント:9 年前 | トピック:代表選手選考を巡って | 投稿者:帯ベスト

結婚について 編集

たいへんつまらないことで恐縮ですが、「結婚した」というのは、入籍をもって「結婚した」とするのか、結婚式を挙げた、という現象をもって「結婚した」とするのか、ちょっと気になるところです。入籍していなければ、今回の場合は内縁関係すら成立していないため、たんに結婚式を挙げた、ということだけになり、「結婚した」とは厳密には言えないと思いますが。法律家の方々のご意見は?--以上の署名のないコメントは、220.220.228.41会話)さんが 2003年12月15日 (月) 04:55 (UTC) に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。返信

専門家ではないので、自身はありませんが…

入籍とは、ある戸籍から他の戸籍に入ることをいいます。具体例として、親の離婚により、子が父または母の戸籍を選ばざるを得なくなった場合、家裁の入籍許可を得て入籍届(婚姻届とは全く別のものです)を出します。また、養子縁組も入籍の一種です。入籍は意味が広いのです。世間一般の認識では、結婚することを入籍といっていますが、結婚するともともとお互いがいた戸籍を抜けて夫婦で新しい戸籍が作られるため、一概に結婚のことだけを指して入籍というのはあまり適切な表現ではない。

法的には、婚姻届を出した日が結婚した日となります。

旧民法では、相手の家の戸籍に入ったためまさしく入籍だったのです。今でも結婚のことを入籍というのは旧民法の名残です。

間違われている方もいるようですが入籍届と婚姻届は全く別のものです。 入籍届は戸籍に入るための届であり、婚姻届は結婚するための届です。--以上の署名のないコメントは、222.11.122.103会話)さんが 2005年12月19日 (月) 06:02 (UTC に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。

編集保護中のメモ 編集

12月31日にお子さんが生まれたそうです。--水野白楓 2005年12月31日 (土) 15:33 (UTC)返信

韓国語版にも谷亮子のページができましたので、解除後に[[ko:다니 료코]]を貼っておいてください。--H.L.LEE 2006年3月2日 (木) 08:37 (UTC)返信

議員と競技の両立困難で柔道家引退だそうです。朝日新聞速報産経新聞速報--113.197.141.152 2010年10月15日 (金) 06:16 (UTC)返信

一般には用いられない「通称」について 編集

谷 亮子(たに りょうこ、旧姓:田村、通称:TAWARA・・・とありますが、通称TAWARAというのは不適切では? 一般的であるとは思えないですし、侮蔑的です。 この状態で編集ロックというのはいささか公平性を欠いていると思いますが。--以上の署名のないコメントは、220.214.143.107会話)さんが 2006年2月25日 (土) 04:56 (UTC) に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。返信

YAWARAでは?--以上の署名のないコメントは、159.134.94.21会話)さんが 2006年2月27日 (月) 23:04 (UTC) に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。返信

そもそもTAWARAなどという言葉は谷選手を否定する人たち「のみ」が呼んでいる言葉。
あの方たちはTAWARAという呼び方が一番正しいと思ってるらしいですね。--以上の署名のないコメントは、60.32.55.52会話)さんが 2006年3月17日 (金) 10:02 (UTC) に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。返信

YAWARAと呼ばれることに我慢のならない人がTAWARAと呼ぶ傾向にありますね。いっそのこと「YAWARAと呼ぶ人もいる」が「賛同を得ているわけではない」程度の表記にしてしまうべきかと。誰が最初に言い出したのかは知りませんが。--Lonicera 2006年3月25日 (土) 16:35 (UTC)返信

戦績について 編集

文章が重複していて、いらないと思います。 →翌2008年の全日本選抜体重別決勝でも山岸絵美に完敗を喫した。

嫌みのある文章で、不適切だと思います。 →2008年の北京オリンピックへの出場の意欲を見せ、全日本女子柔道選抜体重別選手権大会に出場。決勝戦で山岸絵美に日本人選手相手に、1990年以来となる技で有効ポイントを奪われる完敗を喫したが、全日本柔道連盟は「外国人選手と戦う五輪本大会で確実に金メダルを期待出来る選手である」として、谷を代表に指名した。--以上の署名のないコメントは、116.64.131.54会話)さんが 2008年8月10日 (日) 15:25 (UTC) に投稿したものです(Ziman-JAPANによる付記)。返信

完敗という言い方は評価する人物による主観が入るので一本勝ち、一本負けでなければ優勢勝ち、旗勝負でなどで十分であろうと思いましたので負けたと修正しました。金メダル確実は選考会でそういった意見があったかもしれませんが各スポーツ紙の報道より、実績などから選出されたという内容に改めました。--Tiyoringo 2008年8月16日 (土) 06:04 (UTC)返信


比例区公認候補として出馬表明を示した・・・?「比例区公認候補として出馬を表明した」じゃねぇの?114.182.70.185 2010年5月11日 (火) 03:00 (UTC)返信


勝利できるのが前提と思わせるような表現を削除しました。「一蹴」やメダルを「確保」などの表現は、谷選手の強さを反映したものとして理解はしますが、やはりPOVの観点から問題であり、何よりほかの競技者に失礼です。

柔道家が勝利を目的として努力するという前提の単なる表現については、元の文章を否定しないように注意したつもりです。

過去形と現在形が混じっている部分や、逆接の接続詞の重複も直しました。--Neo chemistry 2010年11月18日 (木) 03:19 (UTC) Neo chemistry 2010年11月18日 (木) 03:21 (UTC)加筆、--Neo chemistry会話2013年10月12日 (土) 03:07 (UTC)修正返信

この文章の裏付けとなるような記事をきちんと脚注として付けてるのに、なぜここの分を消す必要があるのか 

GSに入って僅か27秒で守りに入ってたわけでもない北田に指導が与えられた点は疑問の残る裁定ではあった3年連続優勝も…三十路ヤワラを待つヤワじゃない道 Yahoo! JAPAN スポーツニュース -2005年4月11日 --阿武と書いてあんのと読むとはこれ如何に 2010年11月20日 (土) 12:39 (UTC)返信

福岡国際に関して

1991年の決勝での江崎戦では赤畳5秒ルールが見過ごされて警告が与えられず、1996年の準決勝での李愛月戦では、李の方が効果的な技を繰り出していながら2-1で辛勝、1999年12月の決勝でのサボン戦では全般的にサボンが攻め込んでいたのに3-0で勝利した点などは、福岡でなく海外だったら逆の結果になっていただろう。ただ、ボクシングでよく見られるような酷い判定よりましではあるけど--帯ベスト会話2013年7月5日 (金) 11:58 (UTC)返信

競技歴に関して 編集

谷が中学2年(1989年)の時に出場した全日本女子柔道体重別選手権大会の九州予選では、優勝した選手のみが本選に出場できたので、(九州予選から本戦に進めたのは決勝に進出した2名のみ)という文章は妥当ではない(ベースボールマガジン社発行の近代柔道1989年9月号100項を参照のこと) 九州予選から本戦に決勝に進出した2名が出れるようになったのは翌年の1990年から(近代柔道1990年9月号116項を参照のこと)--帯ベスト 2012年1月5日 (木) 12:29 (UTC)返信

代表選手選考を巡って 編集

所詮は無責任な野次馬に過ぎない単なる一般人の戯言ならまだしも、責任あるマスコミが柔道の代表選手選考への批判として谷亮子絡みの48kg級の代表選考のみに執着して、それよりもはるかに問題のある上野順恵谷本歩実の63kg級に一切言及しないのは、恥ずべき偏向であることを知るべきだ。 それに触れない選考へ疑問を呈する一切の報道は無意味かつ無効である。ここに書くべきことではないかもしれないが、マスコミがあまりにも愚かしいので言わずにはいられない--帯ベスト会話2014年1月12日 (日) 12:17 (UTC)返信

ttp://number.bunshun.jp/articles/-/821195

当時の代表選考状況をまともに精査せず、福見を悲劇のヒロイン扱いする愚劣な物語を瀰漫せんと今だに飽きもせず反復しているから救い難い。どうやらこいつは浅見の名前を出すことさえ厭らしい--帯ベスト会話2014年7月6日 (日) 12:09 (UTC)返信

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