ノート:責任

最新のコメント:1 年前 | トピック:responsibilityとliabilityの両表記について | 投稿者:2001:F77:E380:E00:B839:50E7:97AD:682F

「自由な権利には、責任を負担する義務が生じる。」を削除。
この文の日本語として厳密な意義は明らかではなく、仮にこの一文を「権利は義務を伴う」、すなわち「権利を主張するものは義務を果たさねばならない」と理解するならば、それは規範であり、その様な規範が主張されることがあるということを説明するならば別段、「責任」という語に対する客観的記述ではないと考えられるため。Falcosapiens 2004年9月1日 (水) 14:47 (UTC)返信


「自己責任の原則」 編集

(少なくとも法学の世界では)聞きなれない原則なので、出典があるのならご教授ください。 (「自己決定権」や「私的自治の原則」という言葉ならありますが)倫敦橋 2006年2月9日 (木) 16:36 (UTC)返信

  • お返事が遅くなりすみません。「自己責任の原則」で検索すればいくつか出てくると思います。とりあえず目に付いたものを挙げておきます。

松山大学法学部 田村教授のHP http://www.cc.matsuyamau.ac.jp/~tamura/kasitsusekinin.htm

『法学セミナー』2001年9月号, pp. 32-35.(日本評論社、2001年)「自己決定と自己責任の間―法哲学的考察」瀧川 裕英 http://philolaw.hp.infoseek.co.jp/achievement/articles2001a.html

  • 追記します。本文に私が書いた時に参考にしたものは、有斐閣双書の『民法(7)事務管理・不当利得・不法行為〔第三版〕』です。(山本進一教授・前田達明教授執筆部分)。
  • 自己責任論についての「したがって、国家の過失とみなすべきでは…」との下りは、地震などでの被災者救助のように国家は保護に過失があった場合に国民を保護する義務が生じるわけではなく、一般的に国民の生命・身体・財産等を保護する義務があるため削除して書き換えました。福知山脱線事故については、被害者とJR西日本という私人間の問題であり、私人対国家で問題になる自己責任論にはあてはまらないため削除しました。自己責任論が唱えられた背景については、ソースがなく、内容も中立的ではないと判断したため削除しました。


「小林よしのり」の発言について 編集

以下の文章は、論拠の希薄な漫画家の発言など、本項には記載の必要がないと考えられるためコメントアウト。

漫画家小林よしのりは、『新ゴーマニズム宣言』の中で、「自己責任という言葉は、本来なら存在しない言葉である。責任と言う単語には自己の意味が含まれている。それにもかかわらず、無理に強調して作った造語であり、これでは頭痛を頭部頭痛と言い換える様な物だ。」と、「自己責任」という語句の存在自体を否定した。さらに、小林はアメリカが他国への侵略戦争の責任回避のために、「自己責任」という単語を作った、とした。但し、連帯責任との対比から、あくまで個人に帰結する責任という意味で自己責任という言葉が存在すると主張する者もいる。

必要ならば、むしろ小林よしのり新ゴーマニズム宣言などの項目に記載するべきであり、これを本項に記載する必要はないと考える。(なお、もともと「責任」という言葉は、文字通り「責めに任ず(責められる役を任じられる)」という意味であるから、むしろ「他人」の意味が含まれる語であり、小林の主張は根本から誤っている)--122.25.18.43 2007年8月9日 (木) 18:53 (UTC)返信

一般の用法 編集

「自由には責任が伴う」という表現は、一般にその自由が制限されるかのような意味に使われることが多いようです。それが妥当なのかどうかについて、どなたか論じてくださいませんでしょうか。 --Waterhouse 2008年6月6日 (金) 03:13 (UTC)


日本における「責任」の様々な用法 編集

「従来より、日本社会においては「責任」という概念・語がよく理解されておらず、本来のresponsibilityという意味とはかなり離れてしまって、義務という語・概念と混同してしまったり、義務に違反した場合に罰を負う、という意味で誤用してしまう人も多い。」とあり、冒頭にもresponsibilityの意味が説明してありますが、これは日本語のwikipediaなのだから、まず、日本語での意味を概要した上で、法律用語など分野を示した説明を加えるべきではないでしょうか? 文字通り責任は「責を任される」という意味の漢語で日本でも室町時代から多数の用例があり、それが主に法律分野の用語としてのresposibilityの訳語として扱われるようになったのは明治以降のことです。「本来のresponsibilityという意味とはかなり離れてしまって」という説明も、多くの日本人はresposibilityの訳語であるなどと意識しないで昔からある言葉を使っているのだから猜疑ない所でしょう。これは「重責」や「職責」といった派生語にもいえる事です。--220.8.222.14 2013年6月28日 (金) 14:41 (UTC)返信

responsibilityとliabilityの両表記について 編集

responsibilityが適訳なのかliabilityが適訳なのか分かりずらい。どちらか一つに統一すべきだと思うが。それから、記事中の「従来より、日本社会においては「責任」という概念・語がよく理解されておらず、」というのは完全な投稿者の私見であり、日本社会に対する理解が足りない未熟者なだけだろう。--2001:F77:E380:E00:B839:50E7:97AD:682F 2022年9月24日 (土) 09:47 (UTC)返信

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