ノート:軍国主義/過去ログ1
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>あらゆる組織や国民が軍事的な目標達成のために動員される体制 この説明で表されるものって単に戦時体制、準戦時体制じゃないだろうか。
そもそも「軍国主義」という言葉そのものがかなりアヤシイ。 軍事はどこまで行っても何か(安全保障なり経済的利益なり)を為すための手段であり、それを目的として国家を成立させようという事例が今まで一度でもあったのか疑問に思う。--219.183.0.110 2005年9月6日 (火) 21:49
これは政治用語ではなく「平和主義」を標榜あるいは自称する者が使用する「政治的用語」として紹介されるべきものではないだろうか。--219.183.0.110 2005年9月8日 (木) 09:08
正論や諸君のどこが軍国主義的なのかがわからない。削除することを批判するのなら、具体例をあげて説明して頂きたい。これらの雑誌 が軍国主義だと断定的に紹介するのは全くアンフェアであり、上の方が書かれたように政治的発言でしかない。--60.40.196.27 2005年11月14日 (月) 01:19
- ノートへ書き込む際には最後にチルダ4つ(~~~~)を入力して署名してください。レスを付ける場合には段落の頭に半角コンマ(:)を挿入してインデントを一つ下げてください。Hermeneus (talk) 2005年11月13日 (日) 16:31 (UTC)
軍国主義国
軍国主義国としてアメリカと北朝鮮が挙げられていたので、中国も追加しました。中国はアメリカ以上に軍国主義的だと思いますから。--mochi 2005年11月22日 (火) 15:18 (UTC)
- それでは記事が余計におかしくなるだけです。大体、問題の部分は、アメリカが軍産複合体に支配されているとか、北朝鮮が軍事国家だとか、事実に反しています。そんな記述に合わせても仕方ありません。 -- NiKe 2005年11月22日 (火) 15:29 (UTC)
北朝鮮や中華人民共和国は軍を掌握しなければ、政権が安定しないと言われています。十分軍事国家ではないですか?--mochi 2005年11月22日 (火) 15:32 (UTC)
- (コメント)政治勢力としての軍と軍国主義、軍事国家は異なります。軍を掌握しないと政権が安定しない国は少なくなく、トルコやタイ、インドネシアも軍が大きな政治勢力となっています。しかし、それらの国家では、国家体制として軍や戦争準備を国家の最大の命題とは必ずしもしていないことは指摘しておきます。--Los688 2005年11月22日 (火) 15:37 (UTC)
- (コメント)「軍を掌握しなければ、政権が安定しない(mochiさん)」のは全ての国に当てはまると思います。民主制国家はシビリアンコントロールによって「軍を掌握」しているわけですから。軍の掌握が体制安定の決め手になるかどうかで区別していては、全部が軍国主義国家になってしまって、「軍国主義」の語を用いる意味がなくなると思います。--Iosif 2005年11月27日 (日) 21:19 (UTC)
Iosif 2005年11月27日 (日) 21:19 (UTC)追記↓:
アメリカ・中国・北朝鮮を一様に軍国主義"国"とするのには反対です。分類の観点から(=分類の必要があると考える立場を前提する限りでは)。
- 軍国主義は定義が曖昧な語なので「非難のための政治的用語」と言われても仕方がない側面もあると思います(が、項目削除には当たらないと思います。理由後述)。
- 日本での言葉の用いられ方の経緯では「全体主義」「ファシズム」からの区別のために「軍国主義」の語を用いる傾向が増えてきたことを無視してはいけないと思います。日本(軍国日本)が戦後、ナチズム体制と同じだとみなして「ファシズム」と言われたり独自類型として「日本ファシズム」と言われたり「全体主義」と言われたりしたのが戦後すぐにあったはずです。同時期かそのちょっと後のアメリカで「「ファシズム(特にドイツ)」と「ソ連型社会主義体制」との類似を指摘して「全体主義」という概念で括る議論が出たのだったと思います。この括り方が適切かどうかは別にして、次第に力をもってきた括り方ではあったので、これを援用して最近の日本では「たしかに軍国主義ではあったが、全体主義ではなかった(ナチやソ連とは違った)」という主張が出てきたと認識しています。私は日本は全体主義ではなかったという主張に賛成で、そういう区分けは必要だと思いますから曖昧であっても項目削除には当たらないと思います(実際、割に受け入れられている主張では?)。少なくとも日本では軍国主義の語が全体主義から区別するための役割を負っている(負っていた)点は無視すべきではないと思います。
- 北朝鮮や中国は、全体主義国家か元・全体主義国家でしかも共産主義国ですから、軍国主義“国”と規定してしまうと、ソ連型社会主義国家としての特性がぼやけてしまわないか心配です。
- もちろん本記事は、軍国主義は全体主義体制なり社会主義体制なりの一側面でもあり得るという見方から書かれているので「軍国主義的であると批判されている」という記述そのものはそうおかしくはないと思うのですが、分類までしてしまったらどんどん混乱を招く予感が。つまり軍国主義国が無数に追加されてしまったり。または「軍国主義と批判されている」国を今後も次々と挙げなければいけなくなったり。--Iosif 2005年11月27日 (日) 21:19 (UTC)
- 誰だ中国と北朝鮮を消したのは。
あのへんは民間動員のための制度もあるから、立派な軍国主義国だろ。 まだ定義が曖昧だってんなら代表的な軍国主義国家の項目は消したほうがいい yasaikyo3月20日 (月) 21:19
▼スターリン主義国家(≒全体主義国家)を軍国主義国に分類しては、「軍国主義」という語の意義が失われると思います。たしかに、当項目の現在の定義は「いかなる体制も軍国主義的であり得る」という立場に基づいていますが、そうは言っても、第一に「全体主義」と呼ばれた戦前日本について、最近になって「軍国主義」と呼ぶことが増えた経緯をお考えください(記述既述)。なんでも「軍国主義」ではナチやソ連の特異さが消え失せます。全体主義体制の動員において軍事的動員はマイナーなものです。第二に、定義部の議論では出しませんでしたが「軍国」の語は元来“自称”でした。だからナチなんかも一応入ってしまう。まずは、それも含めてモデルに定義を探ってはいましたが。しかし、日本は「軍国」を自称しても全体主義国家ではなかったという認識が前提になっております。大躍進政策期の中国は全体主義体制に該当すると思いますし文革は全体主義に特有の現象だと思います。軍国主義国とは違うと思います。北朝鮮はひょっとすると軍国主義国かもしれない可能性があると思います。少なくとも、全体主義体制からは明らかに脱していますし(賄賂の横行、闇市場の放置、支配幹部の反イデオロギー的行為など)、内実は軍国主義国になっている可能性もあると思います。。しかし、評価するにはまだほとんど材料がありません。ポスト全体主義型の一元的官僚支配かもしれないし(この可能性は大きいと思う)、暴力に全面的に依拠した個人支配かもしれない(違うと思うけど)。というわけで、中国を軍国主義国に分類するのは反対です。北朝鮮を軍国主義国に分類するのは時期尚早なのでやはり反対です。▼しかし、軍国主義国の例を出すのをやめるべきかどうかは、議論の余地があると思います。一応、戻しますが、他にもご意見をいただければと思います。Iosif 2006年3月20日 (月) 07:48 (UTC)
- 定義が決まってないのに例を出すわけにはいかんでしょ。
定義が決まっても「代表的な」の部分でまた論争になるような気がするし。 中世の国家とかがどんどん追加されちゃったり、 しまいにゃ並べる順番で喧嘩になったりね。 というわけで一週間以内に反対がなければ削除するよ。 yasaikyo3月21日
- では、(いまのところ)反対表明しておきます。「定義が決まっていない」のではなくて、編集要約欄に書かれているのは「評価が定まっていない」というものです。これはそれぞれの例である個々の国家に対する評価のことのはず(と考えて複数投稿者が例を挙げたり削ったりしていたと思っていましたが)。もちろん、個々の例からフィードバックして定義がおかしいじゃないかという異議はあり得ると思います。そういう相互作用は、ただの堂々巡りとは別物だと思いますし。▼中世の国家がどんどん追加されるというのはよくわかりません。中世の軍国主義国(軍国思想だけではなく軍国主義に基づいた動員体制で特徴付けられる国家)とはどういうものでしょうか?Iosif 2006年3月21日 (火) 07:53 (UTC)
あ よく見たら動員体制はないね ごめん なかったことにして>中世 >「「軍国」の語は元来“自称”でした」 情報ソースが見つからなかった。差し支えなかったら適当なソースを紹介してください yasaikyo3月22日
- ああっ、僕も撤回です。自分は一体何をとちくるったことを書いているのか。確認していませんが、うろ覚えの記憶に頼って言っても、軍国を自称したのはプロイセン(だけ)だったような。ナチも日本も軍国とは言っていないと何かで解説されていたような。少なくとも、そう覚えていたつもりだったのに、おかしなことを書きました。ごめんなさい。プロイセンも違っていたらすみません。何で読んだんだか思い出したら書きます(加藤陽子氏?)。Iosif 2006年3月25日 (土) 08:32 (UTC) 明らかな間違いに、一応、訂正線を入れておきます。Iosif 2006年3月25日 (土) 08:37 (UTC)
社会主義とか共産主義とか全体主義とかの項目を見てきたんだが、 「代表的な○○主義国家」なんて例を掲載してる項はなかったよ。 とりあえずもう一度消しておくけど、どうしても掲載したいってんならその理由の説明希望。 yasaikyo4月24日
- 戻しておきます。▼実例がなくては、概念定義はできないと思いますよ。概念定義以前に、記事自体が何のことを言っているのだかワケがわからんことになるので、事典としての用を足さない気がします。しかし、もちろん、定義そのものの適否や、実例が定義にあっているかどうかを検証する相互作用は必要だと思いますし不断に繰り返されると思っています。▼社会主義、共産主義については、「代表的な○○」と載せる必要がないだけだと思います。おおむね自称で把握されているからではないでしょうか。「社会主義」や「共産主義」の語を厳密に適用すると、「社会主義国家」「共産主義国家」などどこにも存在しないことになります。「共産主義/国家」という言葉自体が語義矛盾ですから。▼全体主義については、単に記事未整備状態だと思っています。▼そんなことよりも「どうしても掲載したいってんなら」とyasaikyoさんが削除したい理由に興味があります。私がこの項目を見つけたときにはすでに「代表的な軍国主義国家」の一覧があったのですが、その一覧が適当かどうかは考えるべきことではあっても、一覧を挙げるべきでないと考える理由はありませんでした。そういう場合は、既存の記述を尊重するものだと理解していました。▼「どうしても掲載したいってんなら」と問い詰められる(?)理由もよくわかりません。「どうしても掲載したい」などという理由で国家名を挙げる人がいるのでしょうか? Wikipediaはプロパガンダの場ではありませんし、実際問題プロパガンダに利用するには、まったく役に立たない場だと私は思っています。そして、私や誰かが項目の主ではないのと同じようにyasaikyoさんが当項目の検閲官ではないわけですから、不適切であると考える理由もなしに通告だけで消してしまうのはいかがなものかと思いますが、そのような挙に出る理由は何でしょうか?--Iosif 2006年4月24日 (月) 15:40 (UTC)
じゃあ実例を掲載してないほうがおかしいのか? そんなだと代表的な事件、代表的な人物、代表的な云々ってキリがないわけで、 カテゴリ関係の項はぐちゃぐちゃになっちまうよ。 この実例が相応しいか検証していこうってんならまず掲載案をノートに載せればいいわけだし。 ▼>そのような挙に出る理由は何でしょうか? そう言われても、ノートの書き込みじゃ反応しない奴もいるからなあ…。 とりあえず今回は削除しないけど。▼ 4月28日追記:履歴を見たら他の議論には参加してるな。やっぱ削除していいか?yasaikyo4月26日▼5月6日追記:消したよ。旅行でもしてんのかと思ったら、利用者ページにはしっかり居るし。yasaikyo5月6日
- >そう言われても、ノートの書き込みじゃ反応しない奴もいるからなあ…。
- それはそのとおり↑だなあ、と返事したつもりでしたが、投稿されていなかったことに気付きませんでした。と言っても信じてもらいようがないわけで、結局、yasaikyoさんの削除で反応したわけですからおっしゃるとおりの結果になりましたね。しかし、そんな脅迫みたいなこと言わないでも。と、「とりあえず今回は削除しないけど」の段階で書いていました(書こうとしていました)。さて、掲載案というか実例については現行がふさわしいと私は思っています。あと、何を書いたのだっけか…。
- >実例を掲載してないほうがおかしいのか?
- モノによると思います。代表的な事件、代表的な人物云々ってキリなくぐちゃぐちゃになると私は考えないし、それは極端だ、そうならないだろうと思っています。なったら修正するべきかと。既述のとおり、こういう定式化が半端な語は(定義がないわけではないが支配的な定義があるわけではない語は)、「そう呼ばれている実例」のほうが大事だと思います。「軍国主義」は消極的な規定ですから実例を失うと何もできないでしょうね。ただ、勝手にどんどん帰納して定式化するのは「独自の研究発表」ですから手をつけられないし、勝手に膨らませてる(実例すべてに必ず該当すると言えないような)「解説」部分はどんどん刈り込んでいくべきだと思います。しかし、これ、私個人の考えですよ。あれこれしゃべらされているうちにいい加減なことをすでに書いてる感じで怖いです。yasaikyoさん、明らかに私を名指しして「利用者ページにはしっかり居るし」と書いていますが、急かしすぎですよ。「旅行でもしてんのかと思ったら」と言われても(しかも、そう言われて、悪いことした気分になる自分も自分ですが)、それこそ、この項目に手を入れるために
調べた確認した事柄を反映するために、関連の深い(と私が考える)項目でアレコレやってたんで、それも参照してもらえるとありがたいです(スルタン主義体制・ノート:天皇制ファシズム等)。それから、私はこれまでyasaikyoさんに応えていろんなことを書いてきましたけれど、yasaikyoさんからそれらに対してほとんど応答してもらってないので、もう何を議論しているのかわからなくなってきています。そのへんお気遣い(=つまり論点をしぼるために諸論点になにかしら言及するとか、yasaikyoさんもなんぞ調べるのに協力してくれるとか、そもそもなぜ削除だけに関心があるのか明らかにするとか)いただければ幸いです。--Iosif 2006年5月6日 (土) 05:24 (UTC) - 追記と修正:そもそもyasaikyoさんが、この項目をどういう記事にしたいのか、どういう記事になるべきだと考えているのか、それをお聞かせください。これだけやりとりをしていて、そのへんを全然言わないのはおかしいでしょう。こんな項目は削除するべきだ…とか、「代表的な軍国主義国家」ならおかしいけれどもコレコレこういう実例の挙げ方なら適切だと考えている…とか、非難用語として出発しアレコレあって現在に至るみたいな用例の歴史を書くべきだ…とか、想像はつきませんが、何かあるはずなんじゃないですか? 「消すよ」とだけ何度も言われても、何を議論していいのかわかりませんし、「戻すよ」としかお答えできなくなっていくだけです。--Iosif 2006年5月6日 (土) 05:54 (UTC)
- モノによると思います。代表的な事件、代表的な人物云々ってキリなくぐちゃぐちゃになると私は考えないし、それは極端だ、そうならないだろうと思っています。なったら修正するべきかと。既述のとおり、こういう定式化が半端な語は(定義がないわけではないが支配的な定義があるわけではない語は)、「そう呼ばれている実例」のほうが大事だと思います。「軍国主義」は消極的な規定ですから実例を失うと何もできないでしょうね。ただ、勝手にどんどん帰納して定式化するのは「独自の研究発表」ですから手をつけられないし、勝手に膨らませてる(実例すべてに必ず該当すると言えないような)「解説」部分はどんどん刈り込んでいくべきだと思います。しかし、これ、私個人の考えですよ。あれこれしゃべらされているうちにいい加減なことをすでに書いてる感じで怖いです。yasaikyoさん、明らかに私を名指しして「利用者ページにはしっかり居るし」と書いていますが、急かしすぎですよ。「旅行でもしてんのかと思ったら」と言われても(しかも、そう言われて、悪いことした気分になる自分も自分ですが)、それこそ、この項目に手を入れるために
おーきたきた。本文を修正した途端に気がついたところを見ると、本文の投稿履歴しか見てなかったのか?ノートの投稿履歴も見といたほうがいいよ。
- >支配的な定義があるわけではない語は)、「そう呼ばれている実例」のほうが大事だと思います
じゃあ「代表的な軍国主義とされている国家」でどうだろう。やっぱ定義が曖昧な状態だし。
- >それらに対してほとんど応答してもらってないので
俺の場合、反論してない時は相手の意見に同意してるか、単純に知らないから何も言わないだけと思ってくれていいよ。
- >この項目をどういう記事にしたいのか
極端に感じるかもしれないが、カテゴリ関係の場合、概説以外は要らないよなあとか思ってる。 (おたくとか関連項目を付けたしまくりで酷いことになってるし) ただこの項目は定義に色んな意見があるから微妙 --yasaikyo 2006年5月6日 (土) 15:09
- 以下Iosif記:
- >ノートの投稿履歴も見といたほうがいいよ。
- 見てたんですけど、これは完全にウッカリでした。本文編集がレスポンスを求める強制力をもってるってことを実証しちゃって恥ずかしいですが、ご勘弁を。
- >「代表的な軍国主義とされている国家」でどうだろう。
- 特に問題ないと私は思います。が、Wikipediaって論争的なポイントには「~とされている」という表現だらけで気持ち悪いってのが残るだけですね。いかにも「この記述、ポレミカルですよ~」とアナウンスしてる感じで。もっと後退している(と思う)のですが→たまたま「軍国主義と呼ばれた代表的な国家」でどうかと思っていたところでした。「呼ばれた」ことは事実ですし。so-calledとするのはまずいってのは一緒かなあ、またぞろ、アレも加えろコレも加えろという話になるのかなあ…。そのどちらでもない、もっとスリムな表現がありそうな気がしますが、とりあえず。
- >極端に感じるかもしれないが、カテゴリ関係の場合、概説以外は要らないよなあとか思ってる。
- たしかに極端に感じます。おたく等の新語ではないし、隣接した概念で各論者がそれぞれ厳密に定義して用いているものがたくさんあるので、個人的にはそういう心配はしていません。むしろ、そういう混乱を期待している人(=要は日本がどう呼ばれるかにだけ関心を注いでいる人)を呼び込んで細部の表現で編集合戦を招きそうな予感がします。取り急ぎですみません。--Iosif 2006年5月6日 (土) 11:03 (UTC)
- >軍国主義と呼ばれた代表的な国家
- >もっとスリムな表現がありそうな気がしますが、
とりあえず俺はそれでいいや。一週間たって別の意見がなければ変更するという方向で。 その後でもっとマシな意見が出たら、そのときに話し合って決めればいいし
- >細部の表現で編集合戦を招きそうな予感がします
編集合戦はアレだが、細部の表現を調整するのは悪いことじゃないと思うよ --yasaikyo 2006年5月6日 (土)
- >第一次大戦、第二次大戦の参戦国
アメリカとかもあったわけだが… --yasaikyo 2006年5月11日 (木)
- えーと、それは例の人(こちらを参照)の編集なわけですが、ごめんなさい、もはや戻す意義も失われたかなあと思いはじめました。というのも、ソース欠如・その他の指摘はそのとおりですから、当項目の記事を大幅に改稿する方がどなたか現れないかぎり項目削除提案に抗弁しようがないと思うからです。無理を承知でチャレンジしてみたいとも思いますが、私も盆休みくらいまでは、アテのない調べものをしたりできないので……。途中で放棄するように見えて申し訳ないですが(もちろん、そんなつもりはないですが)、とりあえず、yasaikyoさん宛に状況認識を表明しておくべきかと考えて書き残します。--Iosif 2006年5月11日 (木) 14:07 (UTC)
いや 編集した人に言ったわけで君が弁解する必要はないんだけど。 とりあえず「代表的な国」が一行だけってのはさすがに無茶だから前の状態に直した --yasaikyo 2006年5月11日 (木)
すんまへんけど削除さしてもらいました。どなたかが定義が曖昧な語なので「非難のための政治的用語」と言われても仕方がないと言われたとおりですわ。人によって軍国主義の基準もかなり幅がありそうで「代表的な軍国主義国家」を列記するんなら相当定義を絞り込む必要がありまんな。松泣見 2006年5月11日 (木) 15:40 (UTC)
修正は今日の予定だったが、とりあえず項目削除云々の話がまとまるまで放置。 消したところで新規に同じ項目が作られそうな気がするが。 --yasaikyo 2006年5月12日 (金)
軍国主義の定義
冒頭の「軍国主義」定義が下の(1)→(2)と変化しました。……つまり、
(1)「軍国主義(ぐんこくしゅぎ、ミリタリズム)は、戦争を国家の最重要・至上の目的とする思想、列びにその思想を実現するための制度や体制を指す。対義語は平和主義(パシフィズム)。」(2005年11月23日 (水) 00:51 の版まで)から↓↓
(2)「 軍国主義(ぐんこくしゅぎ)は、国家の維持を全面的に軍事力に依存する思想、列びにその思想を実現するための制度や体制を指す。 」(2005年11月24日 (木) 15:26の版以降)のように変わっています。おそらくTEyさん執筆です。しかし、これについて特にノートで議論されたようにもうかがえません。暗黙の合意だったのでしょうか。上のように変えられた理由を簡単にお聞かせください(返事急ぎません)。Iosif 2005年12月29日 (木) 18:58 (UTC)
- 軍事力は戦争の遂行のみを目的としたものではなく、外交手段、経済活性手段、世論安定手段、などの広い範囲に適応可能なもので、また、多くの場合有効です(ほとんどの場合、短期効果しか望めませんが)。言葉の意味だけで言えば、戦争(まだ)をしない軍国主義も成立しえると言えます。上記変更は軍国主義が軍事力をもって何をなすことを目的としたものかを定義したものです。ノートでの議論を省略したのは、変更後の異論がなかったからですが、むろん今回のIosifさんのような質問のように丁重な問いかけは歓迎いたします。--TEy 2006年1月3日 (火) 04:20 (UTC)
- TEyさんにお返事書いたと思ったのに、寝ぼけてたのか、保存しなかったのか、自分の投稿がないです(^。^;)。しばらくのちに書きなおします。まずはお返事ありがとうございました。--Iosif 2006年1月8日 (日) 18:32 (UTC)
- Iosif記: お返事ありがとうございました。歓迎を表明されてしまうと意見を述べるのに恐縮・緊張してとても気が引けてしまうのですが、私なりに真面目に考えてみましたのでおつきあいいただければ幸いです。以下は私見です。「軍国主義」概念について詳しいわけでもないので、生意気を言っているかもしれません。あらかじめお許しください。まず先に、自分にとっての暫定結論として文案を出してみます。決してよくできた文案だと思っているわけでもありません。先に案を提出して批判をいただいたほうがが話が早い(=私がどこかへ話を誘導しようという意図をもっていると疑われない)と考えたまでです。コレだ!という強い典拠はありませんが(探したのですが)お許しください。
- 文案:「軍国主義は、軍事的対立・緊張を勝ち抜くために、特に戦争の勝利のために、全てを優先させるべきとする思想。ならびにその思想を実現するための制度や動員体制をさす。国家主義と親和性をもちやすい。その思想と体制は、(1)軍事力増強にもっぱら頼った対外的影響力の伸張を目指し(2)軍事的伸張に向けて国内のあらゆる領域を再編しようとする。」というようなことを考えました。提案するに至った理由を述べます。
- (1)まず、「軍事力によって何をなすことを目的としたものか」についての定義を変えております。元のものに近いかもしれません。というのも、私には「国家の維持を全面的に軍事力に依存」する国というのが想定し難いのです。もちろん、TEyさんの定義文は「何かにつけ軍事優先」であることを指したものだと思うのですが、「国家の維持を全面的に依存」と表現してしまうと相当に限られてしまう気がします。本当に国家の維持を“全面的”に軍事力や暴力に依存しているというのは(国民から正統性の享受を断念しているとも読めますし)デュバリエ下のハイチとか、アフリカの小国で首都を制圧した軍閥がその国家を支配していることになってしまうような体制とか、そういうものに限られてしまわないかと思います。私が「軍国主義」と聞いて想像するのはそのような体制ではなく、全体主義体制から警察国家的体制まで程度の差はあれ、ある程度の支持を一時的にでも受けている体制です。もちろん現行定義文では「軍事力に依存する思想」とあるので、その「思想」を支持する国民がいることを排除していないのですが、このへんは国民と国家側がタテマエでも目的を共有していることに触れたほうが良いのではないかと考えました。
- (2)「軍国主義」の説明には、動員の要素が欠かせないと思います。もちろん現行定義文では「その思想を実現するための制度や体制」とあって動員や恭順の強制を説明しているのですが、実際の軍国主義国家は、鶏が先か卵が先か、動員のための軍国主義なのか、軍国主義のための動員なのかがよくわからないものが多いと思います(軍国日本だって何が目的なのかよくわからないまま=目的がコロコロと摩り替わりながら、ああいうことになってしまったと認識しています)。
- (3)TEyさんがおっしゃるように「軍事力は戦争の遂行のみを目的としたものではなく、外交手段、経済活性手段、世論安定手段、などの広い範囲に適応可能なもの」ですから、軍事力はどこまで行っても手段であって目的ではないというポイントを押さえていなければならないと心得ています。とはいえ、現行の定義が軍事力の目的を「国家の維持を全面的に軍事力に依存する」こととしている点については疑問があるのです。(1)番の疑問に加えて、単に他に方法がなくなってしまったから体制維持のために軍事的動員の重要度が次第に高まってしまったという実例もあるのではないかという疑問もあります(軍国日本なんかそうだったのではないでしょうか?)。
- (4)上の(3)で述べたような支配者側の本音はどうであれ、「主義」または「(特定の性格をもった動員的な)体制」である以上、動員や支配のためのタテマエは盛り込まれるべき要素だと思います。「軍国主義」の場合、タテマエは「戦争の勝利」または「自衛(緊張関係を勝ち抜く)」または「軍事的優越の達成」ではないかと思います。この目的を国民と共有する、または共有を強いている国と定義すれば「軍事力によって何を達成するか」というそれぞれの国家がおかれている状況によって違っている目的について不問にできるのではないかと考えました。
- そのようなわけで「(時代と状況によって違う)何かしらの目的」のために「(4)の目的」を立ててそれを達成しようと国民を鼓舞して「(3)や(2)のような動員」をやる(それによって国外に対しては「軍事力に依存した国家の維持」をはかろうとする)思想、またはそれを掲げている体制と定義しておくと、軍国主義下の日本、全体主義下のナチスドイツ、ファッショ時代のイタリア、古くはスパルタ……等々に該当するのではないかと考えました。決して「自分の研究発表」に該当するものであるつもりはなく、上の国々に該当することがクリアしなければいけない条件であると最初に措いたうえで、履歴を参照して考え合わせたつもりです。ぜひご意見ください。お返事急ぎません。長文失礼しました。--Iosif 2006年1月8日 (日) 20:28 (UTC)
- 回答ありがとうございます、真面目な議論を遠慮なさる理由はどこにもないと存じます。
- さて、個別項目を論じる前に、まず私が定義部に必要だと考えている要素について説明させてください。百科事典において冒頭定義部は、
- 項目を理解するにおいて必要不可欠な事が記述してあること。
- 誤解を与えないこと(誤り、曖昧さがないこと)。
- 難解でないこと。
- を満たす記述があれば良いと考えています。あれば良いと言うのは余分な記述は廃した方がよいとの意味を含みます。
- 以上を鑑みて、まず
- (1)に関してですが、「軍国主義」と言うのは言葉の定義としては「考え方」「思想」の事です。もちろん百科事典の記事としては、現実世界の例に則して記述する訳ですから直結する「制度」「体制」を拡張的な意味で含める事に問題があるとは思いません。しかし、まず項目の「考え方」を簡潔に現しめる一文が必要と考えました。その意味でIosifさんの記述にある「軍国主義」の目的「軍事的対立・緊張を勝ち抜くために、特に戦争の勝利のために」と言うのが少々範囲が狭いと感じます。一部繰り返しになりますがご容赦ください、「軍国主義」を奉じる考えにおいては、目的を軍事的な事項に限定していない事が重要だと思います、少々誇張した言い方かもしれませんが、軍事に限らず外交、経済、世論、教育、など国家に関するあらゆる問題を軍事力によって(もしくは軍事力を利用して)解決しようとする、「軍事万能の考え」であると考えます。従って、軍国主義の目的が「軍事的な問題」限定することに抵抗があった訳です。ただ、Iosifさんが言われるように、「国家の維持を全面的に軍事力に依存する」との表現が、解決の手段として軍事力「のみ」に依存する、と誤解を与える可能性については納得しました、もちろん諸問題の解決は軍事力を利用しつつ他の手段を併用する必要がありますから誤解を与える事は望ましくありません。「軍事力に依存する」程度が好ましいのかと考えます。
- (2)に関して、私見ではありますが「動員」は確かに軍国主義国家にとって不可欠なものではありますが、あくまで「方法」もしくは「方法論」であると考えます。従って、定義部においては、「考え方」「思想」である軍国主義との関連を簡潔に記述すれば充分ではないでしょうか。もちろん本文においての詳細な記述はなんの問題もないと考えます。
- (3)に関しては(1)に含まれるので簡単に、「軍事力は方法であって、軍国主義は軍事力と言う方法に頼る考えである」と言うのが私の基本的考えです。極私見ではありますが、軍国日本においてはまさしく国内問題解決を軍事力に頼った結果が総動員不可避となった例ではないでしょうか、他に方法があったか否かについて、色々な場で活発な論議がされている事からも、いちがいには言えない事を示していると思います。
- (4)に関しては非常に難しい問題だと思います。私見として、平たく言えば「為政者のキャッチコピーを定義部に入れるか否か」と言うことだと思います。百科事典におけるNPOVと言うのは、第三者的な視点において記述する事が基本だと思いますので、本文中にPOVとして記述するのはかまわないと思いますが、冒頭定義部において「戦争で勝てば、みんな幸せになれるんだ」的な軍事力に頼る者ならば当然考える事を入れる必要はないのではないでしょうか?--TEy 2006年1月10日 (火) 02:36 (UTC)
- 早速のお返事ありがとうございました。恐縮癖もまた失礼だったかと思っています。さて、ちょっと(自分が曖昧にしか考えていなかったような)難しいところに入った気がしています。少し考える時間をください。週末あたりにまとめて書ければと思っております。挨拶だけでwikipediaの資源を使うのは気が引けつつも、まずはご挨拶まで。--Iosif 2006年1月10日 (火) 18:47 (UTC)
Iosif記:インデント戻します。お待たせした割にたいしたことを書けないのですが。TEyさんが百科事典の定義部に必要な要素として挙げていらしたことに意義ありません。それを読んで「自分(我々?)が勝手に概念の検討めいたことをやりかけているな」と思わせられたので、そこから入ります。定義部の要素というよりは条件として1点付け加えるべきかと思うのは「現実の用例に(なるべく)即していること」です。「誤解を与えないこと(誤り、曖昧さがないこと)(TEyさん記)」を満たす条件の一つと言えるかもしれません。すると、ちょっと定義のほうに現実の用例(=「軍国主義的」と名指しされる現存する/した国家の実際の有様も含む)とは違う印象をもったのです。これが最初に質問しようとしたモヤモヤした動機です。/もちろん記述を増やす方向で解決しようとは思っていません。下の番号にはあまり意味がありませんが、質問に応じてお答えにも振ってあった番号になるべく対応しようと思って今回も振っておきます。
(1)-a:「軍国主義」は「思想」のことだと言ってしまっていいのだろうか?という疑問があります。先に敢えて極端な言い方をしました。もちろん言葉の定義としては「思想」「考え方」のことに違いないのですが、誤解しやすいところではないかと思います。「思想」の定義次第ではありますから、軍国主義も思想の一つです。「考え方の一つ」という表現ならドンピシャリではあります。他方で、軍国主義というのは「(心理的)傾向」「(政治的)性向」「(手段に依拠する)態度」という言葉のほうが近い気がしてなりません(これは下の(1)-cともつながっています。あくまで「特定の手段にばかり依拠する考え方」のことだからこうなるんですね)。「思想」があって→その実現のための「制度・体制」のことだとされると何かのイデオロギーに基づいた支配を想起します。しかし、「軍国主義」という言葉は「共産主義」や「ナチズム」というような世界観的な信条体系を指さないし「国家主義」のように何かの目指すべきモデルも持たないので、最初に違和感を覚えたのでした。
(1)-b:軍国主義の「思想」面の定義としてはTEyさんがノートで書かれた「国家に関するあらゆる問題を軍事力によって(もしくは軍事力を利用して)解決しようとする『軍事万能の考え』」という記述が、「軍国主義」と呼ばれるたいていの状態にあてはまる一番適切なものではないかと感じました。なるほど、「軍事的対立・緊張を勝ち抜くために、特に戦争の勝利のために」では範囲が狭いとの点は了解しました。目的をおいているかのように書くのは避けられないと思いますが、たしかに軍事目的に限定した印象があるのがわかりました。/さて、話をそらすようですが、それとはまったく別の次元で、実は「国家を維持を軍事力に依存する」という定義についても範囲が狭いのではないかと思っていたのです。「国家の維持」には「国家に関するあらゆる問題」が含まれるのか疑問だからです。例えば、国家の維持という目的を超えた拡張主義に走るなどのケースは入らなくなる印象です(具体的な例はすぐに浮かびませんでした。最初はナチがそうかなと思いましたが、国家の維持のためにはナチが「第三帝国」プロパガンダの正統性を享受しつづける必要があったから拡張主義に走ったのだという解釈もできますし)。
(1)-c:おっしゃるとおり軍事力は何かのための手段でしかありませんから、軍国主義というのは(それが「思想」ならば)「目的のない思想」ということになるのだと思います。だから「軍国主義」というのは「そうとうアヤシイ」「政治用語」とも(このノートの冒頭で)言われるのだと思います(それでも「軍国主義」が単なる非難のための政治用語を脱して用いられることに意義があると思っていますが)。「目的のない思想」というポイントをクリアしているという意味でも(1)-b:TEyさんの記述(かそれを整理したもの)が良いのではないかと思います。「目的のない(目的が可変である)思想」であることを明示すれば「思想というより傾向・性向・態度という言葉がしっくりくる」という違和感も消えます……というか、両方を言うことができていることになると思います。
(1)-d:上記を整理すると「軍国主義は、国家に関する何かの目標や問題解決のほとんどを軍事力に依存して達成しようとする思想」または「国家に関するあらゆることの達成・解決を軍事力に依存しようという傾向をもつ思想(考え)」みたいなことになるでしょうか? 「しようとする」または「傾向」というあたりが大事かと思っています。「依存する思想」のみだと「全面的に」と言うのとあまり変わらなくなると思うからです。
(1)-e:ここは余談です。「“全面的に”依存」について異議を申し上げたのは、誤解を与えるというのもありましたが、本当に全面的に軍事力・暴力“のみ”で支配している国もある(支配可能時期は限られているでしょうけれど)というのが引っかかっていました。無用なことを書きますが、これらはまた別の類型が必要だという個人的な問題関心と(特にアフリカで起きていることなど)、近いうちにそういう認識が広まるだろういう確信も関係していました。いずれにしても「軍国主義」と呼ばれる体制・支配ではないですよね。
(2)「動員」については了解しました。いずれにしても「思想」または「考え」のあとに続けて「ならびにその思想を実現するための制度や体制」という書き方になると理解してかまわないでしょうか。
(3)この点は解決だと思っています。
(4)為政者が掲げるタテマエを盛り込むべき(こういうPOVがあったのだとNPOV的に記述するのはもちろん)と考えたのは、人民に対する為政者のタテマエを記述しないと(為政者の“思想”ではなく)“国家体制”の性質のほうを表現できないだろうと思ったからでした(完全暴力支配以外のすべての国家体制はタテマエに縛られますから)。そのように考えた結果として前回は定義文案に「軍事的対立・緊張」「戦争の勝利」の語を盛り込みました。しかし、定義文において「何かの目標」「なにがしかの目標」「なにがしかの問題解決」と記述するなどの方法で、達成目的は定義されていない=時代と国家によって違っている=ことを表現できるのならば、この問題は回避できていると思っています。
(5) 加えて(5)番です。しつこいようですが前回提案文「その思想と体制は、(1)軍事力増強にもっぱら頼った対外的影響力の伸張を目指し(2)軍事的伸張に向けて国内のあらゆる領域を再編しようとする。」の部分は(それと同じような内容を)概説部におくべきというお考えですね? 私はこれくらいの(長さの)記述であれば定義・第2文あたりに入っていても邪魔ではないのではないか・軍国主義の性質が少しだけ具体的に出せるのではないかと思うのですが、その反面、定義部では「余分な記述は廃した方がよい」というお考えも納得できるので、迷うところです。
例によって長文失礼しました。推敲・要約するよりも、考えた順にえいやっと投稿します。--Iosif 2006年1月14日 (土) 18:17 (UTC)
- 横から失礼します。私も現在の「全面的に」というのは違うと思います。外交や経済を全く無視することはありえず、比重が非常に軍事に偏っているということですから、Iosif氏の「軍国主義は、国家に関する何かの目標や問題解決のほとんどを軍事力に依存して達成しようとする思想」あたりが妥当だと思います。 Zorac 2006年1月15日 (日) 12:21 (UTC)
- 「全面的に...」の記述は、軍事力のみではなく(ご指摘の通り、当然ありえない)、外交や経済に軍事力を多用してを意味したつもりでしたが、誤解を生みやすい記述でした(素直に読めば強調しすぎかもしれません)。改正案に関しては下記、
IosifIosifさんへの回答を参照願います。--TEy 2006年1月16日 (月) 03:36 (UTC)
- 「全面的に...」の記述は、軍事力のみではなく(ご指摘の通り、当然ありえない)、外交や経済に軍事力を多用してを意味したつもりでしたが、誤解を生みやすい記述でした(素直に読めば強調しすぎかもしれません)。改正案に関しては下記、
- (1)aについて、「思想」に必ず世界観的な信条体型、目指すべきモデルが必要か、否かがどうか論点だと思います。哲学的な定義で言うと「思想」は体系的にまとまっていなくてはならないそうですが(共産主義、国家社会主義などはこの分類に入るのではないかと思います)、一般的な用法で言うと、何らかの方向性が示されれば「思想」とされる事が多いと思います。つまり、方向性を持つこと自体を「思想」とするのは問題ないと考えています。到達点的なモデルを持つ体系的な考え(共産主義や、国家社会主義)も思想ならば、手段の方向性のみを示す考え(平和主義、軍国主義)も思想と呼ばれるのではないでしょうか。何も「思想」は一つしか持てないとされている訳ではないので、相反するものでなければ、複数の「思想」を合わせ持つ事も問題とはならないと思います、例えば「平和主義の共産主義」「軍国主義の共産主義」などです、実際に存在する/したかどうかは知りません、悪しからず。
- (1)-bについて、前半の「軍事的対立・緊張を勝ち抜くために、特に戦争の勝利のために」のくだりは、私が編集前に最も気になった点ですので、この点について合意に達した事は嬉しく感じます。さて、後半ですが、軍国主義の目的を「国家の維持」とすることが充分か不充分か?との点です、実を言うと、今回の議論を通じ再度検討してみると、この部分には、自分自身で疑問を提示した項目(4)に関連して為政者側の建前的理由に基づくもので、拡張主義(にともなう武力侵攻)を含んでの編集意図がありました。実際に拡張主義に走る場合、為政者は自国利益を理由に実施する事はまずなく、Iosifさんも言われた通り、ほぼ例外なく、大義名分として「自国の維持に必要」との論法を展開します。私が「国家の維持」とした中には、「国家の維持(に必要な領土拡張)」を含むと言う意図がありましたが、Iosifさんの指摘の通り「維持」=「非拡張」との印象がある事は認めます。
- (1)-cは(1)-bに含むとして省略。
- 以上を鑑みて、(1)-dでの改版文の提示ですが。
- 一点だけ気になる部分があります、「国家に関する何らかの目標や問題解決の」のくだりです。
- 「国家に関する何らかの目標」と言うのが、若干冗長なのと曖昧に思える部分があります、国家が目標を定める場合、それは問題解決のためとして良いのではないでしょうか?たとえば、理想社会の建設が目標だとしても、それは「現状が理想ではなく問題が存在する故に、理想社会が必要」との考えに置き換える事が出来ると考えます。以上から。
- 「軍国主義は、国家に関する問題解決のほとんどを軍事力に依存して達成しようとする思想」
- を提案致します。
- (1)-e、余談の部分。
- 軍事力≡暴力ではないと思っています(もちろん一番シンプルな用法ですが使い道はそれだけではない)ですので、用法によっては支配も可能だと思います。また、上にも記述しましたが「思想」はなにも一つしか持てない訳ではないので「軍国主義の共産主義」などを考慮すればあり得る体制ではないでしょうか。
- (2)(3)省略。
- (4)、(1)-bで書きましたが、やはり「建前的な考慮」を入れると、曖昧さ、誤解を誘発する可能性が高いと思います。Iosifさんも言われていますが「軍国主義」は否定的に使われる事がほとんどです、為政者自ら「軍国主義」とする場合は希なので、その点からも記述の必要はないでしょう。
- (5)最初の定義文から改行後に記述する程度であれば問題ない(記述してもかまわない)と考えます。--TEy 2006年1月16日 (月) 03:36 (UTC)
- Iosif記:お返事遅れました(こんなペースでおつきあいいただけると嬉しいです)。先に(1)-d・改版文(「軍国主義は、国家に関する問題解決のほとんどを軍事力に依存して達成しようとする思想」)について:
- 「軍国主義は、国家に関する何らかの目的を、ほとんどの場合、軍事力に依存して達成しようとする思想(または考え)」というのはいかがでしょうか? または「軍国主義は、国家に関する何らかの目標・問題のほとんどを軍事力に依存して達成・解決しようとする思想(または考え)」。いずれもこなれておらず提案の割にまだ整理の必要がありますが、考え方だけ述べるために提出します。いや(^。^;)、ゴネているわけではありませんのでもう少しおつきあいください。
- 「国家に関する何らかの目標」を入れると冗長なのは認めざるを得ません。しかし、問題解決だけでは限定された印象があります。たしかに印象の問題だけなのですが、予備知識のない状態で読む解説ですから、印象は大事だと思っています。「国家が目標を定める場合、それは問題解決のためとして良いのでは(TEyさん)」というのは、それ自体は妥当だと思いますが、そっくりそのとおりに説明を付加しないかぎり、TEyさんの意図のとおりに理解させるのが難しいのではないでしょうか。なぜなら、TEyさんがおっしゃったように「問題解決」→「目標達成」の間には「問題が存在する故に理想社会が必要」という具合に論理上の展開があるからです。で、少なくとも私は解説されたことで理解した次第です。/ただし、こういったことは各人の言語感覚(というか何か曖昧なもの)の問題なので、自説を支持する根拠を挙げるのが難しいです。少なくとも私の場合は「国家に関する問題解決」という言葉を初めて読んだだけでは「(ナチのような)滅多やたらな対外拡張」や「民族的優越の誇示」などを想起しなかっただろうと思うのです。
- 私は前回の提案で「(1)目標達成と(2)問題解決」を並列にする意図がありました。「目標」が現状を超えて積極的に達成すべきもの/「問題」が現状を維持するためのもの……という具合に位置づけました。でも最後に「『達成』しようとする」という言葉でまとめてしまったのであまり意味がなかったようです。とはいえ、やはり「問題解決」とだけ聞くとトラブルの解決(=現状の維持)を想起してしまいます。/両方を統合できる言葉が見つかればベストで、ベストとは思いませんがいったん「目的」という言葉を提出します。「(1)目標達成」も「(2)問題解決」も「国家に関する目的」に包含されていると考えるのは抵抗を感じません。ちょっと「目標」という言葉と似ていますが。「国家目的」とした場合、元々があいまいなので「何らかの」という言葉をつけるかどうかは迷います。/「冗長である」←→「それでは足りない」の繰り返しになる回路を作ってしまったかとおそれつつ、ご意見うかがいたいです。。
- (1)aについて:TEyさんに同意です。「思想」に世界観的な信条体型・目指すべきモデルが必要か否かがどうかを論点しようとしたつもりではなく、一見そういうイメージがありますよね…という導入のつもりでした。そこから「軍国主義」を思想とするなら「何かしらの“目的”があってそこにはいろんなものが代入可能だが、“手段”においては軍事力に依存する思想」(「手段の方向性のみを示す思想」、極論すれば「目的のない思想」)なのだろうということを確認するために書いたのみで、「だから定義が難しくなるのですよね」と言わんがためのものでした。複数の思想を併せ持つということについても、もとより同じく認識しているつもりです。/しかし、「哲学的な定義で言うと「思想」は体系的にまとまっていなくてはならないそう(TEyさん)」なのでしたら(Iosifはそのへんの定義を知りませんでしたら)、この部分は「思想」ではなく範囲を広げて「考え」としてしまっても良いのではないでしょうか。私としては今ではどちらであっても引っかからないのですが、おっしゃるよう「思想」という語が定義されているのでしたら準拠したほうがいいのかな?というていどのつもりです。
- (1)-bについて:まさに「維持=非拡張」の印象を問題にしていました。たまたまナチの拡張主義の例を出していましたが、TEyさんのお考えは「国家の維持のためにはナチが「第三帝国」プロパガンダの正統性を享受しつづける必要があったから拡張主義に走ったのだという解釈(Iosif記)」に近いものだと理解しています。しかし、これも冒頭で述べた「印象」を気にしておいたほうがいいと思うのです。
- ちょっと論題からそれますが、体制と国家と国民の3つを分けて考えたり(「支配者」を加えて4つに分けたり)してみると「国家の維持」というのも狭くなると思っています。こんなことを考えるのは、たとえば軍国日本が体制の維持のために国家の維持を犠牲にした例だろうとか、逆に東ドイツ・クレンツ書記長の決断が、国家の維持のために体制の維持を犠牲にした例だろう(結果として国家も維持できなかったが)とか考えるからです。
- (1)-e、余談の部分:もちろん、軍事力=暴力ではありませんよね。ここは言葉足らずでした。むしろ「あり得る体制だが軍国主義と呼ぶと変だなあ」という支配です。「全面的に依存」している完全暴力支配です。デュバリエとかボカサとか、滅多に起きない、起きても一時的現象にとどまるような支配をイメージしていました。これに加えて、また別種のものとして最近のアフリカの例も想起していました。いずれも軍国主義ではなかろうと考えて書きました。
- (2)(3)省略。(4)の問題は「何らかの目標」「何らかの問題」または包含して「何らかの目的」と記述されるならば回避されると考えておりまして、またそうすることでTEyさんとの議論(というよりもTEyさんの説明と、Iosifを含めた合意点、合意の経緯)が盛り込まれることになるのではないかと考えました。「何らかの」と言わないことで、代入可能な何かがあるのだということを盛り込んでいなければ、後から「為政者の掲げる目標」…例えば私が提案した「対外的緊張を勝ち抜くこと、特に戦争の勝利」という類のものが善意によって書き加えられてしまう(書き加える余地を許している)ように思います。ご検討ください。(5)については了解いたしました。/署名付加(やっとログインできた)→Iosif 2006年1月21日 (土) 19:28 (UTC)改行付加→Iosif 2006年1月23日 (月) 10:47 (UTC)
- Iosifさんの論旨をよく吟味してみました、確かにニァンス的な部分が多く、論的に整理するのが困難な部分です。正直Iosifさん案でいいか...とも考えたのですが、せっかくここまで論議を進めたので安易に結論を出すのももったいない気がしてきたので、もう少しだけ、論理的な検討を進めてみようと思います(Wikipediaは論議の場ではないので、リソースの無駄遣いをするな!と言う声も聞こえてくる気がしますが、ノートと言うことで大目に見てやってください)。
- (1)-dに関する提起文について。
- 元々、私が「軍国主義」の冒頭分を編集した意図として、「軍国主義」=「拡張」=「めったやたらな戦争」≒「悪」のイメージをなるべく薄めなくてはというのがありました。軍国主義はあくまで思想(考え方)の一つ、それ自体がそのまま「(ナチのような)滅多やたらな対外拡張」や「民族的優越の誇示」となるのではなく、そこに至るにはもう1さじ(例えば拡張主義、選民思想)が必要。よって、軍国主義が戦争と直結ではなく、色々な可能性を残した思想の一つとイメージ出来るような記述がNPOVではないか、と考えた訳です。
- その意味で軍国主義の(本来)目指すものとして「問題解決」としました、この部分を「目標」とすると近視野的なイメージとなり、「軍国主義は目先の事しか考慮しない稚拙な主義主張」となるようが気がします。冗長となるのももちろん問題なのですが、主な意図は上記のものです。ただ、NPOV的な考えはともかくとして、実際の軍国主義の実践においては、どうにも長期的視野に基づく政体運営は困難(と言うか、歴史上は皆無か)のようですので、実践評価に基づく表記としてはむしろ一つ前のIosifさん案の方が実態を表現しているかもしれないと思ったりもしています。
- (1)a「思想」とするかの問題
- 思想(考え)、との表記で良いと思います。思想にモデルが必要か否かの定義は、私もそのような表記を読んだ事がある程度でです。必要か否かを論じた専門書を読んだ訳ではないので、厳密な前提などは今ひとつあいまいです。しかし百科事典はそもそも専門書
でありではないので、重要な祖語を生じないのであれば、世間的な表記が望ましいのではないでしょうか。
- (4)に関して、(1)-dに内包する表記として(1)として議論するのが良いと考えます。
- 文中、優柔不断な表記が多々あるので混乱を招いたかもしれません、現在の私のスタンスとしては、私の前回提案文+修正として、「軍国主義は、国家に関する問題解決のほとんどを軍事力に依存して達成しようとする思想(考え)」を推します。
- 論点的には絞れてきたのではないかと考えます、少しペース落としました、考えが練れてかえってよかったような気がします。
- 上記、Zoracさんへの返信でIosifさんを敬称略にしてしまいました、明確なミスですので修正しておきます、申し訳ありません。--TEy 2006年1月30日 (月) 02:12 (UTC)
- とりいそぎ、一点のみ。「国家“目的”」としてみては?という点はいかがでしょう?
- 「国家目的」という語であれば意味は多様ですし、近視野的政策(拡張主義など)をことさらに強調する言葉ではないのではないかと思って提起しておりました(これには、権威主義的な国家の多くが拡張よりも何かの(たいてい体制の)維持を最重要「目的」としているというイメージも関係しています)。もちろん、国民の福祉の実現とか、市場の活性化なども国家の目的
だしての一つとしてとらえています。「目標」というとたしかに近視眼野的な目標(戦争勝利とか)をイメージさせるのですが、「目的」であれば、近視野的なイメージを避けられるかと思いました。かつ、「維持」に限定するというイメージもない。/「軍国主義」という思想(というか態度)に、もう1さじ加わらなければナチも軍国日本も生まれないという点は、もちろん賛成です。とりいそぎ(もうちょっと考えて、さらに付加するかもしれません)。Iosif 2006年1月30日 (月) 06:00 (UTC)
- あれこれ考えましたが、シンプルさとイメージを両立するのに上記提案以上のものは考えつきませんでした。「国家目的」とする記述に合意いたします。冒頭文は、「軍国主義は、国家目的のほとんどを軍事力に依存して達成・解決しようとする思想(または考え)」としてはいかがでしょうか。そして改行後に「その思想と体制は、(1)軍事力増強にもっぱら頼った対外的影響力の伸張を目指し(2)軍事的伸張に向けて国内のあらゆる領域を再編しようとする傾向がある」と続けばよろしいのではないでしょうか。--TEy 2006年2月2日 (木) 05:19 (UTC)
- 完全に賛成です。上記定義文を前提に概説部を少しずつ検討していこうと思います。おつきあい、ご教示等々、いろいろとありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。Iosif 2006年2月4日 (土) 09:21 (UTC)
- あれこれ考えましたが、シンプルさとイメージを両立するのに上記提案以上のものは考えつきませんでした。「国家目的」とする記述に合意いたします。冒頭文は、「軍国主義は、国家目的のほとんどを軍事力に依存して達成・解決しようとする思想(または考え)」としてはいかがでしょうか。そして改行後に「その思想と体制は、(1)軍事力増強にもっぱら頼った対外的影響力の伸張を目指し(2)軍事的伸張に向けて国内のあらゆる領域を再編しようとする傾向がある」と続けばよろしいのではないでしょうか。--TEy 2006年2月2日 (木) 05:19 (UTC)
:ちょっと待ってください。議論の流れを拝読しましたが、事典に掲載する内容は既存の情報の中にある一般的事柄を扱うのであって、投稿者の個人的見解を載せる場ではなく、議論をした関係者だけが納得すれば、それでいいというものでもないはずです。そもそも投稿する段階で、定義に関して議論を要するような内容を、百科事典に掲載するべきではないと思います。以下の「ソースの欠如」に寄せられた意見を傾聴すべきです。--60.39.107.15 2006年5月19日 (金) 02:07 (UTC)
ソースの欠如
これだけの分量の解説を書いておいて、参考文献セクションも一切無く、著名な政治学者による定義の一つも紹介していないのは、ちょっと問題でしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年4月26日 (水) 00:29 (UTC)
- 解説の分量が多すぎるんだと思います。知っている用例を持ち寄っている(=独自の研究発表)ことで出来上がっているのはたしかなので、ここまで内容を解説=規定・限定してしまう根拠ないとは思います。どういった経緯で解説が加筆されていったかは知らないのですが、とりわけ、「特徴」セクションに書かれている現行の記事では「権威主義体制と何が違うの?」または「単に非民主的な政治のあり方を全部、軍国主義と言っているの?」ということになると思っています。かといって強い根拠(著名でかつ支配的な定義など)が私の手元にあるわけではないので、削りづらく感じていました。もちろん「体制」規定とは違うようなので(これを体制規定に含めると、少なくとも私の知っている政治学者の議論とはかみ合わなくなるので)、余計に混乱します。むしろ、Hermeneusさん、何か参照すべきものをご存じないですか? これ、起きている問題は項目:全体主義と同じだと思います(で、単にそれがそのまんまになっているだけかと)。--Iosif 2006年4月26日 (水) 06:47 (UTC)再修正。--Iosif 2006年4月26日 (水) 09:07 (UTC)
ようするに、「軍国主義」という漠然としたページの設定に無理があるということでしょう。国語辞典ならともかく百科事典的内容には不向きです。定義について議論すれば、人によって様々で議論百出、定義など出来そうで出来ない。同じような内容の類語を集め、一括表記が可能な言葉へページ名を変更するか、それが出来なければ、このページは削除が妥当でしょう。そろそろ削除依頼を出す頃合では?--60.39.107.15 2006年4月29日 (土) 05:16 (UTC)
しばらくこのページを見ていましたが、何度編集を経ても、恣意的な内容が目立つばかりで、引用文献等の情報ソースが加わればまだしも、それが無いのでは、ほとんど調べ物に役立つ内容になっていません。今後も同様な状況が続くのであれば、削除を検討するべきかもしれません。--Kogane 2006年5月10日 (水) 07:51 (UTC)
とりあえず、6月になっても進展しなかったら削除依頼してみるけど、いい?Yasaikyo 2006年5月24日 (水) 02:03 (UTC)
- 早すぎか、と。--Iosif 2006年5月25日 (木) 08:21 (UTC)
wikiでは早いほうなのか?じゃあ6月に削除を支持してた人にノートでの参加を呼びかけておいて、6月の三回目の日曜日までに反応なかったときにやるのはどうだろう。 中には一ヶ月に一度しか参加しないって人もいるんだろうが、他の項目には参加してる人もいるし。 Yasaikyo 2006年5月25日 (木) 20:32 (UTC)
よく見たら、最初に削除を提案した人ってIP参加じゃないか…。Yasaikyo 2006年6月13日 (火) 11:40 (UTC)
ソース欠如の問題がいつまでたっても解決されない。このページといい、他にも例えば傀儡政権のページもそうですが、投稿者の恣意的意見だけで記述が進められ、百科辞典の記述としては要件を満たしておらず、調べものの役には立たないページが目に付きます。早急に削除を検討すべきでしょう。--Kogane 2006年6月27日 (火) 11:48 (UTC)
削除議論のノートの作り方わすれた。代わりにお願い。Yasaikyo 2006年6月27日 (火) 13:04 (UTC)
削除依頼をしようかと思います
軍国主義について、明確な典拠(情報ソース)をまったく示さないまま、数人の投稿者が独自の考えに基づいて執筆を進めているのが、このページの現状と思われます。本文にはもっともらしい記述はありますが、まったく出典は示されていないため、調べ物の役にはたたず、百科事典の記述としては不適切であると考えます。
そもそも軍国主義という言葉自体が、一種の慣用表現に過ぎず、明確な定義や概念を持ちえない言葉ではないでしょうか。ノートでの議論は活発にされていましたが、「軍国主義の定義」と言う基本的な部分から議論が始まっていることに違和感をおぼえます。そもそも、こういう基本的な部分は執筆前に、明確な典拠に基づいて確認しておく事で、投稿者間の議論によって内容を決めるべき事柄だとは思えません。
記述内容の出典(情報ソース)を求める要請には、今のところ充分な回答は無いし、ノートの議論で意見が一致しても、明確な典拠(情報ソース)に基づいていなければ、恣意的な内容の記述である事には変わりありません。別途異論が示されなければ、今日から数日のうちに削除依頼にかけて、最終的な判断を求めたいと思います。--Kogane 2006年7月13日 (木) 04:42 (UTC)
- 以下Iosif記:利用者ページ・ノートへのお知らせありがとうございました。ご指摘はごもっともだと思うので、依頼提出について異論はありません。すでにYasaikyoさんに述べたとおりです。申し上げなければいけないことは、これで全て、だろうと思います。
- ▼これ以降はまったくの余談です。▼アカウントを取ってほとんど初めて議論したことだったので個人的な思い入れもあったのですが「定義部から議論している点で違和感がある」という部分を読んで、あの種の議論は事典作成というプロジェクトの本筋からはずれたことだったのか?とも考えはじめています。ぶっちゃけ、よくわかりません。▼少々の言い分がないではありません。この項目「軍国主義」についてはご指摘のとおりですが、現実の事件や人物とは違って○○主義といった概念なり解釈の道具なりは、複数論者によってそれぞれの考えの筋道に従った複数の定義があることが多く、定評のある決定的な定義がない場合も多くあります。そのどれが適切か、諸定義のとりまとめは可能なのか、最大公約数が見出せるのかといったことは相互に矛盾する諸典拠・諸論考を検討するであるとか、現実の用例に即しているかどうかという「議論」に付すしかないのではないかとは思っています。もちろん、軍国主義については、別問題で、これはご指摘のとおりです。議論の前段階で持ち寄っておく典拠もなかったわけですから。▼他に言い分といえば……うーん、そうですね、、「だったらアノ項目はどうなる、コノ項目はどうだ、編集対応可能と言いつのった者もいたではないか」というぐあいに頭に浮かぶ項目がありますが、いずれについてもKoganeさんが一貫した態度であることを見ておりましたし、その姿勢をうらづける一貫した基準があると私には映っております(*)ので、「あの項目はどうなる」といった子どもじみた抗弁をするつもりはありません((*)これはKoganeさんをおだてているのではなく、矛盾して見える態度を示す方も散見するという意味です)。▼定義部以降の本文=「概説」&「特徴」セクションには単に抑圧的な政府・国家についてありったけのこと(思いつき?)が書かれているだけなので元々問題だと思っています。が、これについては責任を感じていません。さっさと全削除しなかったことは悔やまれます。恣意的といえばこちらのほうがよほど恣意的だ(もっともらしくさえない)と思っているのを表明するために言及しておきます。▼「軍国主義」の語が定義を持ち得ない慣用表現であるという点については、現在、半分同感するに至りながら半分違和感を覚えております。Wikipediaでも各所で「軍国主義」の語が出ており、ときには説明に用いられています。その語が定義を持ち得ないと断じてしまっていいのか、気がかりではありつづけています。そのため、「軍国主義と呼ばれた」という用例から帰納するという作業が無意味であるとは思いません。無論、それをやるのが我々匿名投稿者であってはいけないということは理解していますが、それを厳密に全てに適用するのは可能なのか。可能かどうかという話と、どうするべきかという話は別問題ですが、このへんで考えがぶれているので「どうするべきか」について自信をもって何かを申し上げられません。--Iosif 2006年7月14日 (金) 10:42 (UTC)
要は、調べ物の役に立つウィキペディアの記述とはどのようなものか、という事が重要であって、このページでは、出典が提示されなかったと言う事が、唯一の、そして致命的な問題であったと思います。私個人としては、「軍国主義」と言う言葉は、明確な定義をもちえない慣用表現であり、そのために極めて恣意的な記述が量産されたと考えています。しかし一方、定義が明確ではないと言う事自体は、実は大した問題ではないとも思っています。
複数論者により様々な定義があったとしても、それらについて、典拠を明示した上で併記されていれば、それは何の問題も無いばかりか、「軍国主義」という言葉に関する、有益なデータベースになったでしょう。「著名な〇△学者のAさんは著書の中でこう言っている」、「△□評論家のBさんは、最近発表した論文でこう言っている」と記載しておけば、読者は、この「軍国主義」のページから、それぞれの文献を参照して、さらに詳細な情報を確認できる。「軍国主義と呼ばれた」という用例、事例についても、その初出(その事柄について一番最初に記載された文献、発言した人物)から、近年に至るまでの変遷など、具体的な典拠などが記されていれば、有益な情報源になったろうと思います。
実際、このページについて指摘したことと、同じ問題を内包しているページが実に多いのはご指摘の通りで(例えば傀儡政権など)、これはオンライン上で誰もが編集できるウィキペディアでは、ある意味致し方ないウィークポイントかもしれません。しかし、それ故に、こういった問題点は、可能な限り明確に指摘しておくべきだろうと考えた次第です。--Kogane 2006年7月14日 (金) 23:35 (UTC)
- Wikipediaを見る方がこちらに求めているのは、「客観的な情報」でしょう。その意味では、「抽象語」の記事はWikipediaには似つかわしくない気がします。結局は「複数の異なる見解の間で編集合戦となり、収拾がつかなくなる」という経緯を辿ることも多いようですし(たいていの場合、当事者の一方は、peace氏などの「問題ユーザー」なのですが)。ゆう(matunami) 2006年7月14日 (金) 23:59 (UTC)
左翼軍国主義
『ナチ宣伝』という神話 ドイツでは共産党の赤い戦線はナチスの突撃隊よりも進んだ軍国主義だと言われてました。実際のところ、ナチスはゲッベルス主導で共産党の国会選挙ポスターや社会民主党防衛隊など左翼勢力の宣伝技術を真似していたので、ナチスの軍国主義性はほぼドイツ左翼からきたといってもいい。--以上の署名のないコメントは、219.108.14.11(会話/Whois)さんが 2006年9月30日 (土) 01:32 (UTC) に投稿したものです。