ノート:転生

最新のコメント:7 年前 | トピック:仏教の記述について | 投稿者:ジャム・パンナ

>今年、科学的証拠を求める研究が行なわれ、議論になっている。

どこに典拠があるのでしょうか?Authority 2004年10月6日 (水) 01:12 (UTC)返信

仏教の記述について 編集

  • なぜ専門性の高い輪廻の項目があるのに仏教についてこれほど詳細な記述がなされているのでしょうか?また誰もそのことを問題視していないのでしょうか?
  • また、[感情的な文章のため除去--Ryo 625会話2016年7月2日 (土) 18:32 (UTC)]アビダルマ哲学(説一切有部)と唯識派を混同するなんて考えられませんし、「相続」に仏教の専門用語として苦しみの連鎖をさすというような意味合いはありません。お手元の辞書でも引いてみればすぐ分かるような間違いです。返信
  • チベット仏教で、生に始まりがないこと(無始)の記述も執拗に削除されてますが(ソース元に書いてあります。というかすべての仏教で輪廻に始まりがないことは常識ですよ。「無始よりこの方~」という仏教の決まり文句がありますよね)。ジャム・パンナさんは私の編集にはノートでの対話を呼びかけてから行うように仰られますが、ジャム・パンナさんが記述を改変する時に前もってノートでの対話を提示されたことはありません。なぜこのように非対称的なのでしょうか。--Ryo 625会話2016年7月2日 (土) 18:32 (UTC)返信
熱中症で体調を崩しており、返信が遅くなってすみません。(今後も体調次第で、ちょっとご返事が遅くなるかもしれません)丁寧な説明ありがとうございます。事前の説明を求めたのは、加筆ではなく削除だったからで、ノートで説明してほしかったのは、他の人が後から経緯を追えるようにです。編集の要約での説明では、他の人が後から追いにくですから。わたしがチベット仏教の記述で気になったことなんですが、仏教のところを上から読んでいくと、チベット仏教のところだけ、神智学系の転生の話と同じように、自我をもって転生するように読めてしまうということです。(たぶんチベット仏教に詳しい人からすると、そんな誤読ずること自体あり得ないともいますけど、単純にこの記事だけを読むと、「心の連続体」=自我なのかな?という印象でした。相続については、ソースがちゃんとしたサイトだったので、問題ないかと思ったのですが、よくなかったですね。現在の内容は、わたしが読んでも勘違いしない分かりやすい内容になっていると思います。どうもありがとございました。もしこの記事にインドの輪廻の話が多すぎるとお思いなら、削除ではなく輪廻の記事に転記するようにしてください。わたしもちょっとバランス悪いかなと思いますが、消すのはもったいないです。それぞれの記事をいろんな人が加筆するので、バランスはいつもベストというわけにはいかないです。問題を感じた人が調整しているんじゃないかと思います。ですので、調整されたい場合は、転記の提案と作業をしてもらえればいいと思います。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ会話2016年7月8日 (金) 13:26 (UTC)返信
丁寧な説明ありがとうございます。何分イラチな性分なので、頭に血が上りやすく、冷静な返答、ご指摘をしていただいて助かりました(相手によってはこのまま泥沼の口論になってしまう可能性もあったので)。最後に突発的に感情的な文章を書いてしまったことをお詫び申し上げます。--Ryo 625会話2016年7月9日 (土) 06:34 (UTC)返信
いえいえ、記事が良くなればそれでいいですし、面と向かっていないので伝わらないこともいっぱいありますので。こういう微妙なテーマは、みんなそれぞれ大事なことがあるのでむずかしいですね。炎上しなくてよかったです。転記はできればした方がいいとは思うんですけど、輪廻の今の記事と転記した内容を合体させるのは、1日仕事になるかなと思います。--ジャム・パンナ会話2016年7月16日 (土) 13:09 (UTC)返信
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