ノート:迷路のまち
タグ
編集「いつ?タグ」について。ウィキペディアでは「現在」という表現は避けたほうがいい、という原則はあります。ですが、この記事の場合次のようにしてしまうとやりすぎ。
- 2012年まで本町周辺に残る迷路型路地の起こりである
次のような表現も違和感があります。
- 現在(2012年)まで本町周辺に残る迷路型路地の起こりである
なので、次のような表現になりましょうか。
- 本町周辺に残る迷路型路地の起こりである
それと、タグを貼っている人に注意しておきたいのですが、そもそもこの文章がフォーカスしているのは、現在がいつ、ということのほうではありません。この文章がフォーカスしようとしているのは「ことの起こり」や原因、要因のほうだ、ということです。 また、この町が迷路まちだ、ということは、ここ何百年も変わっていません。また、迷路町になった原因というのも変化していません。こういうテーマの文章の場合、{{いつ}}タグを貼り付けるのはいささか不適切です。
ちなみに、{{いつ}}タグを貼り付けるのが妥当なのは(奨励されるのは)次のような文章です。
- かつて[いつ?]A国は失業率は12%であった。
- 現在[いつ?] B国の失業率は20%である。
こういう数字は毎年のように変化するから、何年の時点のデータなのか特定すべきで、2012年の時点のことを、うっかり「現在」と書いてしまって、2~3年もたつと不適切な表現(利用不能なデータ)になるから{{いつ}}タグを貼り、年を特定すべきなのです。
--MizukiRegae(会話) 2012年12月16日 (日) 08:44 (UTC)
ちなみに、迷路状の町というのは、日本の外ではまだまだ多数残っています。スペインだとか、イタリアだとかに迷路状の街はけっこう残っていますね。石の城壁で囲まれた街で、建物ひとつひとつが石造りでの街では、建物を500年でも1000年でも使い続けることはごくごく一般的なことで、そうした地域・地区では、街並み自体が価値があるもの、一種の芸術品のようなもの(またしばしば、貴重な観光資源でもある)、と認識されており、人々の街の歴史を大切にしようとする意識も高く、町並みを保存する法律も整備されており、滅多なことでは街並みを変更しないからでしょう。珍しい、というのはあくまで日本限定の話にすぎないので、読者に誤解を生まないように、ひとこと「日本では」と織り込んでおくのが適切です。「Wikipedia:日本中心にならないように」という指針とも それなりに関連があります。 --MizukiRegae(会話) 2012年12月16日 (日) 09:06 (UTC)
((豆知識)) 迷路状の町並みに興味がある方のために。同じヨーロッパではあっても、例外的にフランスのParis パリでは、19世紀にそうした迷路状の路地をつぶすことをしました。こちらのほうは、変更に不向きな石でできた町並みであったにもかかわらず、強引に変えてしまった事例です。18世紀までのパリは、細い入り組んだ街路や行き止まりの街路が多かった。そんなパリでは、市民を苦しめる横暴な政府の軍隊に対して、市民の側は いりくんだ街路 に、家具や様々なガラクタを積み上げてバリケードをつくり政府軍に抵抗し、自分たちを守る、ということが一般的でして、それはきわめて有効な戦術でした。たとえ大人数の政府軍が攻めてこようと、それを細い路地に誘いこんでしまえば、その力の大半は抑え込むことができ、3階建て4階建ての建物の窓から様々なガラクタや糞尿を落として攻撃したり、兵士たちを見下ろすように銃撃することもできます。ところが、ナポレオン3世は、パリの人々の抵抗力を奪い彼らを支配することを考え、オスマンに依頼して、そうした迷路状の街路や行き止まりの街路を潰し 大人数の政府軍が移動しやすい、直線的な大通りを骨格にした都市計画を立案させ、反対する市民を押し切り排除し、力技で強引に建物を壊し、町並みを変えてしまったわけです。(それを行おうとする側によって、表向きはたとえば「都市を快適にするため」「衛生のため」といった目的が掲げられていましたが、その隠された(あるいは 主たる)動機としては、市民を制圧するための軍事上の理由があった、と書いていた本もあったように記憶しています)たしかにそれはナポレオン3世の意図通り、権力者にとって、市民に対して優位に立つという利点を生みましたが、その一方で、外国から攻められた時には敵軍が迅速に移動し支配できる状態を生み、結果として首都が簡単に攻略されてしまう、という難点も生みました。パリ改造の記事も併せて読むと面白いでしょう。--MizukiRegae(会話) 2012年12月16日 (日) 10:16 (UTC)
では、パリで迷路は無くなってしまったのか?と言うと、そういうわけではなくて、パリでは地上の迷路が潰されたかわりに、その後、地下に壮大な総延長数百キロ以上の、秘密の、迷路状の街がつくられた、と言われており、現在のパリの地下には、政府(行政)が把握できない、秘密の住居や秘密の集会場が多数ある、とのことです(秘密の映画館などもあるそうです)。地下ですし、各人が秘密裏に勝手に掘り進めており、誰も全貌を把握しておらず、公式地図も無いので、こちらのほうが本格的な迷路まち、なのかも知れません。--MizukiRegae(会話) 2012年12月16日 (日) 10:41 (UTC)