ノート:風の中のマリア

最新のコメント:11 年前 | トピック:何ら対応無きままの宣伝・特筆性テンプレ除去について | 投稿者:Si-take.

何ら対応無きままの宣伝・特筆性テンプレ除去について 編集

首記、複数人において「宣伝」「特筆性」テンプレが除去されていますが、テンプレ貼付の理由である『第三者による出典を元にした有意な記述が一切なされず、特筆性について検証可能性を満たす出典をもって説明されていない』件について何ら対応がなされていない事から、テンプレ除去は時期尚早であると考えます。

なお、当該テンプレは事物(小説)そのものに特筆性が無いと申し上げているのではなく、あくまでもWikipedia記事としてそれが適切な形で説明されていないという指摘ですので、誤解なきようお願いします。(特筆性テンプレについては、記事の不備についてどなたからも何ら対応が無い場合は後日復帰します。)--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 18:10 (UTC)返信

特筆性というのは主題に対する判断ですので、記事主題の特筆性が疑われるということでないのであれば特筆性のテンプレートを貼るべきではありません。情報源を求めたいのであれば別種のものを貼るべきです。しかし現在のこの項目はそもそもアマゾンで確認できる程度の内容しかありません。ですのでスタブテンプレートで加筆を促すだけで十分であると述べました。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 18:17 (UTC)返信
上に述べたとおり、私はそう考えません。ノートで行われる説明に出典が必要なわけではありません。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 18:46 (UTC)返信
  •   コメント Wikipedia記事として特筆性が適切な形で説明されていない場合において、特筆性テンプレを貼付することは当該テンプレの使用方法として適切と考えます。(「出典の明記」テンプレによる指摘では、当該書籍の著者や出版社によるソースであってもOKとなってしまいますが、これだけではWikipedia記事に必要な『事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源』たりえません。このような場合において適切なテンプレが存在するなら具体的にご指摘ください。)--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 19:03 (UTC)返信
上に述べたとおり、私はそう考えません。記事主題の問題と記事内容の問題を混同すべきではありません。
「出典の明記」だけだと一次情報源でもよいことになってしまう、などというのはそれこそ特筆性の問題とは何の関係もありません。そちらの会話頁でも同趣のことを述べましたが、ある問題を対処するのにその問題にかこつけて別の問題のために作られたテンプレートを使用すべきではありません。それを牽強付会と言います。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 19:12 (UTC)返信
  •   コメント 繰り返しますが、ではどのように対処すべきですか?(そもそも、特筆性が説明されていないと感じる記事に対してそれを指摘しているのに、『ある問題を対処するのにその問題にかこつけて別の問題のために作られたテンプレートを使用すべきではありません』ということ自体が誤認ですが…当方は、当記事についてはまさに、事物に関する特筆性が記事中にて説明されていないと感じたため問題提起しております。)--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 19:17 (UTC)返信
特筆性は記事内容の問題ではなく記事主題の問題であると何度説明すればよいのでしょうか。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 19:19 (UTC)返信

コメント依頼 編集

コメント依頼よりお越しの皆さま、ご足労をいただきましてありがとうございます。

当記事については、その特筆性についておそらく満たすであろうものの、それを検証可能性を満たす出典をもって説明されていない状態です。このような場合において「特筆性」テンプレにて問題の指摘を行うことの是非についてご意見をいただきたく思います。

具体的には、上記セクションにて当方および頭痛さんによる議論を行いましたが、事物そのものの特筆性は有するという前提において「記事において特筆性が説明されていない」場合(記事内容のみについて指摘する場合)に特筆性テンプレを貼付し指摘することが正当か否か。ご意見を賜りたく思います。

なお、当方は「記事において特筆性が説明されていないなら使用することは正当」、頭痛さんは「あくまで事物そのものについて適用すべきテンプレであり、記述の問題に対して適用すべきではない」という立場であると理解しています。

ご意見は以下にどうぞ。
  •   コメント 先に当事者のコメントとして述べさせていただきますが、あなたは本来記事改善の手段にすぎない「テンプレート貼り付け」をそれ自体目的化するような筋の違った言動をされています。コメント依頼までしてコミュニティの成員を煩わせるようなことでしょうか。先に利用者‐会話:Si-take.#即時削除ではなく削除依頼をで指摘されている点とまったく同質の問題点であり、根本的な勘違いをしているとしか思われません。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 19:58 (UTC)返信
    •   コメント 上段のやり取りを繰り返すんですか? 特筆性テンプレは、それが検証可能性を満たす出典(当事者以外によるもの)をもって説明されていない記事に対して貼付しています。『それ自体目的化』ではなく、問題のある記事に対しての指摘を目的として貼付しています。あくまで基準は、記事の内容であって記事主体の事物そのものではありません(と、何度も申し上げています)。--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 20:19 (UTC)返信
      •   コメント だからそれが間違いであると述べているのです。特筆性の問題は検証可能性の問題ではありません。現在のこの記事の問題点は「一次情報源で確認できる程度のわずかな記述しかない」ことにあるのであり、特筆性や検証可能性にあるのではありません。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 20:24 (UTC)返信
        •   コメント あのねぇ…だから、まさにその部分について見解が相違するからコメント依頼に提起したのです。当方もそうしますから、しばらく黙っててください。--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 20:27 (UTC)返信
          •   コメント 私が問題としているのは特筆性テンプレートの使用法についての見解の相違点だけではありません。テンプレートというものの考え方について根本的に間違っていると指摘しているのです。記事を改善するための方策のひとつとして各種の記事問題テンプレートがあるのであり、テンプレートを貼るためにテンプレートがあるのではありません。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 20:30 (UTC)返信
            •   コメント 『テンプレートを貼るためにテンプレートがあるのではありません』←当たり前です。意味のない事はしませんし、すべきではありません。--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 20:32 (UTC)返信
              •   コメント で、あれば特筆性が問題になっているのではない記事に特筆性テンプレートを貼ったり、そのような行為の正当性を主張することに拘泥して他の利用者を煩わせることが筋違いな行動であるということは自明でしょう。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 20:43 (UTC)返信
                •   コメント ですから、それをはっきりさせるためにコメント依頼を提出しました。特筆性そのものについての疑義ではなく、それが説明されていない記事について「特筆性」テンプレートの使用は適切か否か、です。(記事に対しての問題提起として何ら疑問を持たず使用していましたが、今回頭痛さんより疑義がありましたので、その疑問をはっきりさせようという意図です。折り合わない議論に対してさらなる議論を多くの方々に提起することが『筋違いな行動』ですか?)--Si-take.会話2012年11月22日 (木) 20:50 (UTC)返信
                  •   コメント 疑義など呈してはおりません。単に間違っていると述べているのです。個人的に理解できなかったという程度の、記事改善になんらつながるものではないコメント依頼など出すべきではありません。方針文書のノートにでも書き込んで確認でも取ればよろしいでしょう。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 20:54 (UTC)返信
  •   コメント ある作家さんによるこの作品の書評がAsahi.comに掲載されています。同程度の言及が他にあれば、作品記事の特筆性はあると推定されるのではないでしょうか。特筆性はその冒頭に「現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。」とお断りを入れてあることから伺えますが、記事内にWikipedia:特筆性推定目的の情報源が含まれなくても、必ずしもその記事の特筆性が無いことを意味しません。「「特筆性がある」という主張を行うためには、検証可能で客観的な証拠が必要です。」ということだけであり、特筆性判定の議論になった時に客観的な証拠が必要ですね、というだけではないでしょうか。この書評は、作品タイトルと書評をキーワード指定を行うだけで発見できるので、テンプレートの使用を検討する前にもう少し検索を行なうとよいのではないでしょうか。おそらく新聞や雑誌にも同じような言及が見つかる可能性が高いでしょう。--Degueulasse会話2012年11月22日 (木) 20:15 (UTC)返信
  •   コメント Template:特筆性/doc には「特筆性のガイドラインを満たしているか不明確な記事について、他の編集者に対し特筆性を裏打ちする情報源を示すよう公募するテンプレートです。」との説明があり、{{特筆性}} を貼付すると「記事の主題についての信頼できる二次資料」を求めるメッセージが表示されます(どちらも、主題の特筆性を疑うか否かには言及していない)。本項には特筆性を評価できるような出典が全く示されていませんので、ガイドラインを満たしていることが明確であるとは言えません。このような状況ですので、Si-take. さんのテンプレートの扱いに問題はないと考えます。
本質的な部分は概ね Degueulasse さんのご意見に同意します。蛇足ですが、Degueulasse さんが上記引用されたガイドライン(現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません。)は、特筆性が認められるべき記事にも {{特筆性}} テンプレートが貼付されている可能性がある、と読み取るべきかと思います。--Y717会話2012年11月22日 (木) 21:44 (UTC)返信
Wikipedia:特筆性は別にテンプレテートを解説している文書ではありませんので、「特筆性が認められるべき記事にも {{特筆性}} テンプレートが貼付されている可能性がある、と読み取るべき」というのは無理があります。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 21:47 (UTC)返信
  コメント ご指摘ありがとうございます。相当数の閲覧者が問題のテンプレートを辿って Wikipedia:特筆性 に辿り着くことは容易に想像でき、必ずしもそのような解釈に「無理がある」とは言い切れないと思いますが、表現がやや不適切だったかもしれません(当方がそのように読み取ったと説明した方がよかったかもしれませんが、本当に蛇足でしたね)。--Y717会話2012年11月22日 (木) 22:50 (UTC)返信
特筆性のガイドラインを満たしているかどうか不明確な記事」のために「情報源を求めている」なのであり、その「特筆性のガイドライン」で特筆性は記事内容ではなく記事主題の問題であることが明記されているのですから、繰り返しますが記事主題は特筆性を満たしていることが分かっているが記事に情報源を求めるために特筆性テンプレートを使用する、というのは論理的に言って明らかな誤りです。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 22:03 (UTC)返信
  コメント 記事に対して特筆性を証明するような資料が全く示されていない状態で、「記事主題は特筆性を満たしていることが分かっている」とはどのような状況でしょうか。Si-take. さんは本項のような例を「その特筆性についておそらく満たすであろうものの」と説明されていますが、Wikipedia:特筆性 に準拠しているか否かなど推定の段階で断定できるものではないと思うのですが‥。--Y717会話2012年11月22日 (木) 23:44 (UTC)返信
要は記事内の情報源(出典)としては直接使えるようなものではないが、特筆性の判断材料となりうるような情報源がいくつか存在するような場合でしょう。作品の批評などが複数存在しているような場合でも、それらの批評の内容をうまく記事に繰り込めるかどうかといったことはまた別の問題になります。またガイドラインで言及されているように、第三者情報源の存在以外にも特筆性の判断基準を設けている分野もあります。--頭痛会話2012年11月22日 (木) 23:53 (UTC)返信
  •   コメント 『特筆性の判断材料となりうるような情報源がいくつか存在する』として、それが示されない状態においては疑義が生ずると思います。(必ずしも記事中でなくとも、さしあたり記事ノートで提示し、議論に供するといった方法も可能かと思います。但し「あると思うよ!」程度の曖昧なものでは材料を提示したことにはなりません。)--Si-take.会話2012年11月23日 (金) 03:48 (UTC)返信
「特筆性の有無」の話をしたいのでしょうか「特筆性テンプレートの使用方法」の話をしたいのでしょうか。
ガイドライン(草案だが)にあるようにWikipediaの「特筆性」というものは第三者情報源が存在するということによって蓋然的に「あると推定される」(presumed)ものです。第三者情報源が直接に特筆性を生むのではないし、第三者情報源が記事に記載されることではじめて特筆性が備わるという性質のものではありません。
この記事の場合、エンターテインメント系の著名な作家であり第三者情報源が見つからない可能性は薄いであろうこと、またテレビ番組で取り上げられていたことをすでに要約欄で指摘していましたが、上の点を勘違いしているからそうした主題の性質も勘案せずに「第三者情報源が提示されていない」という一点だけでテンプレートの貼り付けを主張して不毛な編集合戦をおこしたりするのです。--頭痛会話2012年11月23日 (金) 18:21 (UTC)返信
  コメントWikipedia:特筆性Wikipedia:特筆性 (書籍)がどちらも「草案」の状況なので、結局のところ各人の感性で考えるしかないとは思うのですが、簡単に調べられるISBNすら記載されていないのはどういうわけなのでしょう。(と思ったので加筆しておきました)ちなみに私は国立国会図書館のサイトで調べました。(試したことのない方は一度自分で調べてみてください。一見登録が必要なように見えますが、ISBNの検索ぐらいなら登録不要で簡単にできますよ。)一応ちゃんとした(笑)出版社の出している本ですし何が問題なのかなというのが、わたしの感性です。あとは自分で調べてくださいね。Suzukitaro会話2012年11月25日 (日) 06:14 (UTC)返信
  •   コメント Suzukitaroさんが仰る要旨「『ちゃんとした(笑)出版社の出している本』であれば特筆性を満たす」という理屈は全く意味が解りません(一律的に、例えば大手が良くて中小・新規参入組やミニコミがダメということはありますまい!)が、Degueulasseさんが提示なさった外部リンク(当事者以外による、ある程度信頼できうると考えられるもの)の内容により、事物の特筆たるであろう内容について確認できる状況になったことから、それを満たすであろうことを確認しましたので、「特筆性」テンプレ除去について同意し賛同します。なお、本件は同テンプレの使用法(その貼付・除去の根拠をどのように明示・説明すべきか否かを含む)についても論じることを試みたものでしたが、これについては単一記事に関わらない問題ですので、いずれ別の場所で何らかの議論提起を試みることにします。ご意見をいただきました皆さんには御礼を申し上げます。--Si-take.会話2012年11月25日 (日) 10:24 (UTC)返信
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