ノート:龐統

最新のコメント:3 年前 | トピック:改名提案 | 投稿者:こんせ

「流矢」について 編集

古典中国語の「流矢」は、「矢襖」であって「流れ矢」ではなという言説がありますが、実際には『漢語大詞典』に「乱飛的或無端飛来的箭(乱れ飛ぶ或いはどこからともなく飛んでくる矢)」とあるように「流れ矢」の意味もあります。--Melckebeke 2009年7月9日 (木) 23:20 (UTC)返信
流矢の記述をした者です。「無端飛来的箭」の解釈についてですが、無端は(1)理由無く、思いがけずの意味もありますが、(2)端がない、つまり切れ目や終わりがないという意味もあります。この場合は後者でしょう。つまり切れ目無く大量に降り注ぐ矢と解釈すべきです。
また「流れ矢」は目標をそれて飛んでくる矢のことです。軍を率いる将に当たっているのですから、目標をそれて当たった矢とは認めがたいです。劉備を狙ったのに外れてホウ統に当たったなどなら別ですが。原文は進圍雒縣,統率眾攻城,為流矢所中,卒,時年三十六。そんな記述はありません。城の包囲戦で城内からホウ統軍に向かっての弓の斉射によって死亡したと考えるのが自然です。矢はホウ統(およびその率いる軍)に向かって射撃されたはずで、「流れ矢」と解釈するのはおかしいと考えます。「流矢」の表現は他の場面でも登場しますが、指揮官が流矢に当たって死んだ(あるいは負傷した)という使用法です。指揮官以外を狙った矢が外れて指揮官に当たって死んだと解釈するのは変です。指揮官(とその率いる軍)に向かって矢が発射され、それに当たって死んだと解釈すべきです。

「流れ矢」の意味を「目標をそれてて飛んでくる矢」だけしかないと考えておられるようですが、実際には『日本国語大辞典』の「流れ矢」の項目でも、「ねらいをそれて飛ぶ矢。また、どこからともなく飛んで来る矢」とあります。「流矢」「流れ矢」いずれにおいても「どこからともなく飛んでくる矢」の意味がある以上、「どこからともなく飛んできた矢」の意味で「流れ矢」と書いたとしても不自然ではないと思います。--Melckebeke 2009年7月12日 (日) 07:11 (UTC)返信
流れ矢の解釈についてはこちらの不足でした。 「無端飛来的箭」の解釈についてはいかがですか?「或」で結ばれてる点からも私の解釈が自然だと考えますが。辞書の場合、意味が全く変われば別項目を立てるのが普通なので。
編集合戦をするのは本意ではないですが、流矢=流れ矢という解釈はやはり誤りだと考えます。ここで結論がでるまで流矢のみで固定することを提案します。該当部分については一旦消させていただきました。

「流れ矢」ご理解くださりありがとうございます。ご質問の「流矢」ですが、『漢語大詞典』は用例として『礼記』壇弓篇上の例を挙げていますが、全文は次の通りです。
魯莊公及宋人戰于乘丘。縣賁父御,卜國為右。馬驚,敗績。公隊,佐車授綏。公曰:「末之卜也。」縣賁父曰:「他日不敗績,而今敗績,是無勇也。」遂死之。圉人浴馬,有流矢在白肉。公曰:「非其罪也。」遂誄之。士之有誄,自此始也。
内容をかいつまんで言いますと、魯の荘公が宋と乗丘で戦ったとき、荘公の(馬車の)馬が驚き暴れ出して、馬車の隊列が乱れてしまった。荘公がそのことで御者を非難すると、責任を感じた御者と車右は敵陣に突撃し戦死した。ところが後に養育係が馬を洗っていた時に、太ももに「流矢」が刺さっていたことに気がつき、馬が暴れ出したのは御者のせいではなかったということが判明した。そのことを聞いた荘公は戦死した二人に誄した、というものです。
ここの「流矢」ですが、「雨あられと降ってくる矢」の中で馬が暴れ出したとすると、どうしてそのとき誰も原因に思い当たらなかったのかという不自然な事態になります。ですのでここでの解釈は「どこからともなく飛んできた矢」でなければならないと思います。
ちなみにホウ統伝の「流矢」が「雨あられと降ってくる矢」「流れ矢」どちらであるか、列伝の記述からは判明しがたいと思っています。ですので(流れ矢あるいは雨あられと降ってくる矢)というぐらいの記述で落ち着かせたいのですがどうでしょうか。--Melckebeke 2009年7月12日 (日) 07:45 (UTC)返信

承知しました。こちらも本文の記述は当面凍結することにいたします。--Melckebeke 2009年7月12日 (日) 07:45 (UTC)返信

凍結の件、ご同意ありがとうございます。引用の文章についてですが、矢は飛んできていたが当たっていないと思っていたという解釈も十分可能だろうと思います。特に馬車の場合、太もも部分は見えにくいでしょうから。現に洗うときまで気づいていないわけですよね。そのくらい当たったことがわかりにくい位置に刺さっていたということだろうと思います。


私は中国文学については素人ですので、一応こちらの見解の補強として専門家の見解を引用します。『中国の史書には「流矢にあたって落命」というのがよく出てくるが、この流矢と日本語の流れ矢とはちがう。「流れ矢」は目標をそれて飛ぶ矢」である。つまり見当違いのところを単独で飛んでいる矢であって、そんなのに当たったら不運である。「流矢」は合戦の際、特定の個人に狙いをさだめてはなたれた矢ではなく、川の流れのようにこっちへ向かって飛んでくるたくさんの矢をいう。』(三国志きらめく群像 256頁~257頁 高島俊男)。

一応そちらの会話の欄にご返事を書いておきました。やはり「流矢」には「流れ矢」の意味はあるようです(ただし、ホウ統に当たった「流矢」が必ずしも「流れ矢」であるとは限らないのですが)。--Melckebeke 2009年7月15日 (水) 12:42 (UTC)返信

申し訳ありませんが、「そちらの会話の欄にご返事を書いておきました」の意味がよくわかりません。別の場所ではなく、この欄に貴方の見解の根拠となる文献かなにかを明示していただけませんか?漢語大詞典の「無端飛来的」の貴方の訳、引用された使用例いずれも根拠になりえない理由を私は示しているつもりです。それを覆す別の根拠を示していただきたいです。(こちらに書いて欲しいという理由として、流矢の解釈に結論が出たときに、その経過を第三者が知ることができ、解釈の争いの再発を防ぐためでもあります。)

以下にIPの会話欄に掲載したものを転載します。

まず「無端」という言葉についてですが、この言葉の基本的なイメージは何かというと、たとえば「始乎無端,卒乎無窮;始乎無端,道也,卒乎無窮,德也。」(『管子』幼官篇)のように、「始まりが無い(分からない)」といえるでしょう。この「始まり」が、「原因・理由」になれば「理由がない・わけもなく」という意味が派生し、「物理的な場所」になれば「起点が無い・出発点が分からない」という意味が派生するわけです。そしてここからさらに「思いもかけず」とか「始まりも終わりもなく」というような意味が派生してきます。ですから「無端飛来的箭」というのも、「射撃の起点が不明な矢・どこから飛んできたのか分からない矢・思いかけずも飛んできた矢」という意味でとらえるのが適当でしょう。

高島俊男の著作から「流矢」の解釈をされたのだろうとは思っておりました。ただ結論から申しますと、私は高島氏の意見というのは、一応参考にはしても全面的に信用するのは危険だと思います。というのも高島氏の書くもの(特に論文ではないこうしたエッセイの類)は、資料の紹介が恣意的だったり、なまじ博識なばかりに、その正しさを確認するというプロセスを飛ばしたり、早合点することがちょくちょくあるからです。三国志本については現在手元になく確認できないので恐縮ですが、あそこでも「劉璋はまごうかたなき章帝の子孫」とか「大赦してまで誕生を祝った皇子(曹殷)はどこへ行ってしまったのか」というような気になる記述がいくつかあったと記憶しています。

『三国志』以外ですがこういうものもあるのでご参考までに紹介します。

   http://ch12200.kitaguni.tv/e325046.html
   http://ch12200.kitaguni.tv/e327332.html
   http://ch12200.kitaguni.tv/e347396.html

話を「流矢」に戻しますと、『大漢和辞典』などでも「【流矢】一、それ矢。ながれ矢。[礼、檀弓上]……。二、飛びくる矢。[荀子、彊国]……。」となっており、そしてその後ろに「【流矢如雨】矢が雨のやうに盛んに飛んでくる。[呂覧、期賢]……。」というのがありました。高島氏は恐らくうろ覚えのままこの「流矢如雨(雨のように飛んでくる矢)」を「流矢」の本義だと速断したのではないかと疑っております。というわけで「流矢」の意味は「1:飛んでくる矢。2:どこからともなく飛んでくる矢、思いもかけず飛んでくる矢、流れ矢」とするのが適当だと思われます。--Melckebeke 2009年7月12日 (日) 14:00 (UTC)

「無端飛来的箭」の意味を中国からの同学に訪ねたところ、「これは撃った人も狙っていないで発射したのがたまたま当たった矢です。この間のイスラムの少女が死んだという報道の時に『流弾』という言葉が使われていましたが、それと同じような感じですね。撃たれた人からすると『どこから飛んできたのか分からない』という意味です」と答えてくれました。やはり「流矢」には「どこからともなく飛んできた矢≒流れ矢」という意味もあるようです。--Melckebeke 2009年7月15日 (水) 12:35 (UTC)

ありがとうございます。高島氏の解釈でも特定の狙いをつけないで撃った矢である点は共通ですし、相手から見て誰が撃ったかわからない点も共通(高島氏の場合、敵か味方か、あるいはどの方向か、はわかるでしょうが。イスラムの例でも米軍?が撃ったことはわかってるわけですよね。)なので、結局争いのある部分は飛んできた矢がたくさんなのか単独なのか、味方の矢でもいいのか悪いのかに尽きるんだろうと思います。中国の戦争は昔から集団で弩を撃ってたと記憶しているので、この記憶に間違いがなければ少なくとも戦時の流矢による死亡は、高島氏の解釈のほうが自然だと思います。大漢和辞典の最初に流れ矢がありますが、その解釈は「礼、檀弓上」のものですからおそらく私が疑問を示した部分ですね。
長々書きましたが、流矢の一般的解釈として「流れ矢ではない」と断定した点は私の行き過ぎでした。お詫びします。ただあの部分の解釈としてはやはり単なる流れ矢と解釈するのは変かなと思います。

本文の記述としては、「(流れ矢あるいは雨あられと降ってくる矢)というぐらいの記述で落ち着かせたい」で結構です。ただできれば前後を逆にしていただきたいです。

ご理解くださりありがとうございます。「『流矢』の解釈には幅があり、状況によっては『流れ矢』の意味ある」という一点こそが私の言いたかったことでした。私自身、ホウ統の死について確実に分かることは、「飛んできた矢に当たって死んだ」ということだけで、その矢というものは「絶対に流れ矢でなければならない」とは考えておりません。おっしゃるような「一斉射撃のようなもの」だったということも十分あり得ると思っております。
>本文の記述としては、「(流れ矢あるいは雨あられと降ってくる矢)というぐらいの記述で落ち着かせたい」で結構です。ただできれば前後を逆にしていただきたいです。
こちらもその記述で結構かと思います。前後を逆にすることについても異議はありません。
長々とした議論におつきあいくださり、本当にありがとうございました。--Melckebeke 2009年7月15日 (水) 15:18 (UTC)返信

併記または注釈として加筆を検討 編集

蜀に入った当初、劉璋は劉備たちの本心を知らずに歓迎の宴を開くなど無防備だったので、龐統はこの機会に劉璋を捕らえて、無用に戦う事無く蜀を取るよう劉備に進言したが、劉備は、「他国に入ったばかりで恩愛や信義はまだあらわれていない。それはいかん」と答えこれを聞き入れなかった。 この際の劉備の発言に関してですが、「これは重大なことであるから、あわててはいけない」といった。(先主伝第二)とあります。

改名提案 編集

WP:NCの改定により、本来の表記である「龐統」を記事名にすることができるようになりましたので、改名を提案します。--こんせ会話2020年7月5日 (日) 00:21 (UTC)返信

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