ノート:10.19

最新のコメント:3 年前 | トピック:第2試合終了後の結果について | 投稿者:Kaizin20memsou

無題  編集

あまり意味のない強調は避けていただきたい・・・0null0 2005年12月17日 (土) 04:17 (UTC)返信

そうですね。最初の著者が強調好きだったので尊重して残していましたが、文章も含めちょっと幼稚な感じでしたね。ま、追々修正して行けば良いことで、書き始めて下さったことに感謝しますよ。--以上の署名のないコメントは、128.240.229.7会話/Whois)さんが 2005年12月20日 (火) 13:44 (UTC) に投稿したものです。返信

移動しちゃいました 編集

議論なく・・・ 衝動的に移動ボタンをそのまま押してしまった。--DL2006 2006年7月6日 (木) 14:12 (UTC)返信

移動理由~記事名誤り 編集

  • 「決戦」でない
1988.10.19のロッテ-近鉄ダブルヘッダーは、「決戦」ではありません。ロッテは最下位にあえいでいたチームであり、近鉄が優勝を争っていたのは、西武ライオンズです。巨人-中日の10.8は、勝者が優勝となるまさしく「決戦」ですが、近鉄-ロッテ戦自体は決戦ではなく、10.19の試合や西武ライオンズの勝率など、さまざまな状況があいまって語り継がれるようになったものです。決戦でない以上、議論の余地はないので、移動しました。
  • 使用例
「10.19決戦」で検索しても、個人的なブログなどで、個人が使用しているのみであり、使用例から見ても決して百科事典記事名とするだけの定着した表現とはいえません。

むしろ単に『10.19』といったり、伝説の10.19、などといったりする例がみられ、決して「決戦」とつけるのが通例になっているとはいえない。

以上2点の理由により、「10.19決戦」は著しく不適切。よって移動しました。--DL2006 2006年7月6日 (木) 23:42 (UTC)返信

適切な記事名について 編集

ともかくも、決戦ではないので移動しましたが、「10.19」が適切かどうかについては、別の議論が成り立ち得ます。

など、記事名の付け方・処理方法としては幾つか考えられます(もちろん上記以外も)。--DL2006 2006年7月6日 (木) 23:53 (UTC)返信

はるひ様へ:私が投稿した南海戦の稿を削除された理由をお伺い致したく投稿致しました。 私がこの稿を投稿したのは、当時、何も無ければ星一つカウントされる可能性の高い南海戦が、 南海の本拠地最終戦となった事により、近鉄が負けた事がこの稿のバックボーンとして重要な 事と考え投稿致しました。 御時間が許す際にでも、削除された理由を御教示戴ければ幸いです。--Jyunmai 2008年7月25日 (金) 13:03 (UTC)返信

削除されていたようですが…  編集

1988年プロ野球のみならず、日本中を巻き込んだ「事件」として、この項目は是非残していただきたいのですが…。--以上の署名のないコメントは、202.215.205.97会話/Whois)さんが 2007年4月9日 (月) 12:19 (UTC) に投稿したものです。返信

視認性の問題が 編集

10.8決戦の執筆の過程で得たこと(その後の語り継がれ)を加筆しようと思ったのですが、「エピソード」がわかりづらいと感じます。いきなり来ると特にです。「エピソード」は試合経過・結果に入れるなどして整理し、トリビア的なものは整理して最小限にすべきかと思います。--G-love 2009年1月9日 (金) 11:55 (UTC)返信

(初めてノートに何か書くのでやり方に間違いがあったら指摘願います) 「エピソード」のスタイルはこれでよいのではないでしょうか。 1.誰でも書けると言うWikipediaの性質上、この「エピソード」のようなスタイルの方が新しい内容を追加しやすい。 2.特にこの試合のようにエピソードが山ほどある場合、試合経過に入れてはこんどは試合経過の方がわかりにくくなる。現状でもこの記事の試合経過の記述はやや煩雑だと思いますので・・・ 誰かものすごく筆力のある人が全部まとめてきれいに書き直したりできればそれは美しいでしょうけど、特にこの試合の記事に関しては現実的に無理だと思いますし、またWikipediaらしくない(日本の)と思います。 むしろ必要なのは、試合の内容そのものにしぼって試合経過を再編集すること、エピソードと脚注の統一、出典の明示ではないでしょうか。--Bucock 2009年2月14日 (土) 19:05 (UTC)返信


記事名について 編集

なぜこの記事は10.8決戦のように決戦がついていないのでしょうか?いずれかに統一したほうがいいと思われますが、詳しい理由をご存知でしたら教えてください。--220.144.82.20 2010年5月23日 (日) 15:51 (UTC)返信

立項者ではないので正確な理由は分かりませんが違いをあげるとすれば10.8は1位同士の対決であり、10.19は2位対6位の対決で「勝ったほうが優勝」の状況ではないという点ですね。個人的には変更の必要はないと思います。--Houjun 2011年3月19日 (土) 04:01 (UTC)返信
って上に書いてあるじゃないか。しっかり読めよ俺。--Houjun 2011年3月19日 (土) 04:03 (UTC)返信

九段上氏による理由なき削除について 編集

九段上氏による理由なき削除に理由を求めたいと思います。小生が誤って削除したテンプレートは外さずに残しております。 もし、私の編集が荒らしというのであればどこがどのように荒らしなのか、『大言壮語的な記述』を理由にするのであればその部分かを説明してほしいです。--ノーザン123 2011年1月23日 (日) 09:09 (UTC)返信

"分割提案"についてテンプレートは掲載されてから期間がたっているのに、この「ノート:10.19」に提案がないので除去したものです。このノートを当然見ているノーザン123氏には、故意に実体のない話をむしかえしている疑いがあり、他の記載内容も信頼性に疑問をもちました。--九段上 2011年1月29日 (土) 14:52 (UTC)返信

出典無効タグの削除について 編集

先日、出典無効のタグが2か所貼られていましたが、無効とした内容は日時付きの報道番組における発言であり、他の項目では日時付きの報道番組における発言は出典として有効であり認められています。活字の出典に置き換えるのであれば号数とページ数が掲載されているものと同じ扱いです。故に差し戻しました。ご意見のある方はどうぞ。また議論解決まで出典無効のタグは付けないようお願いいたします。--ノーザン123会話2012年6月2日 (土) 14:03 (UTC)返信

あ、それ駄目ですよ。無効です。「検証」できませんから。新聞や書籍で調べ直して下さい。または、DVDがどこかにアーカイヴされていればOKなんですけど。Wikipedia:信頼できる情報源をどうぞ。他の記事で認められて?・・・居ません。対処が追いついていないだけです。順次なんとかしていかないといけませんね。--Hman会話2012年6月2日 (土) 14:09 (UTC)返信
事前に要約覧で警告[1]したはずですが。違法なリンクを埋め込まないでください。会話ページをご確認ください。--Hman会話2012年6月2日 (土) 14:32 (UTC)返信

あれ(you tubeのリンク)が違法リンクであるとは知らなかったため、今回削除の件は全て了承します。しかし、you tubeの内容が証拠となって出典されているものはwikipediaにたくさんあります。違法となっているものも中にはあるのでしょう。貴殿が順次対応いただけることを切に望みます--ノーザン123会話2012年6月2日 (土) 14:38 (UTC)返信

テレビ局や市販のビデオなどが投稿されている場合、著作権者、つまりテレビ局や制作会社(・・・が権利を持っていることは非常に希だと思いますが)が公式にuploadしているか、特別に許諾している事は非常に希です。Youtubeの動画に法的に危険なものが多いことくらいはノーザン123さんも当然ご存じだったはずです。動画へのリンクは明らかに違法性がないと確認出来る場合にのみ行なって下さい。ウィキペディアが違法行為または権利侵害を助長するのは好ましくありません。他の記事については、機械的に除去して回ることは簡単ですが、今こうしてタイピングしております通り、一件除去するのに時間も神経も使うのです。不適切な記述の除去は恨まれながらも結構やってるんですけどね。野球関係でしたらむしろノーザン123さんの方が適任でいらっしゃると言う意味もありますし、あまり管理者が出張ると角が立つ意味もありますので、今後はお考えを改められ、不適切なリンクを発見なされた、またはご存じなのであれば、それの除去に是非ともご協力ください。トラブルが発生しましたら、ご遠慮なく井戸端やコメント依頼に投げて下さい。こういうものはみんなで直して行くもので、あなた一人がそれに責任を負うものではありません。--Hman会話2012年6月2日 (土) 14:52 (UTC)返信

 メンバー表の検証について 編集

このことは実にお粗末で、私自身「共犯」と言われて言葉を返しづらい立場なので、反省の気持ちを込めて、編集履歴の確認として書きます。

2011年2月11日に [2]の投稿がありました。ここで、ダブルヘッダーの第1試合について、後攻ロッテの出場メンバーに次の事実が記されていました。

後攻ロッテは「6番一塁手」で伊良部秀輝が先発出場となったが、途中で 田野倉利行が代打で起用され、そのまま一塁に入った。

こうして書くと、当時の日本の野球を知らない方でも、伊良部秀輝を見ると「1回表の守備をこれで?」と思うべきところですが、このデタラメが1年以上残っていました[3]。私は当時の新聞で確認したのですが、こうした検証が機能しない状態は野球関連分野だけの問題ではないと感じています。

--GDSTCB会話2012年6月8日 (金) 21:22 (UTC)返信

私もこれは知っていましたが、よくプロ野球で使われている「偵察メンバー」の類と考えてそのままにしていました。でも考えればデタラメではないが疑問はありますね。そうすると実際、田野倉の件も含め、試合当日の先発メンバーはどうなっていたのか?試合を丸ごと納めているDVDや文献で改めて検証が必要でしょう--ノーザン123会話2012年6月23日 (土) 06:25 (UTC)返信

ちなみに2ちゃんねるで確認したところ第一試合は両軍偵察メンバーが入っており 近鉄5[左]村田辰美(偵察)→淡口憲治 、ロッテ6[一]伊良部秀輝(偵察)→ 田野倉利行となっています。詳しくは[4]で確認を。 こういうものはマニアックな人間が必ずいるため内容はほぼ事実でしょう。GDSTCBさん一人が悪いわけではありません。 2ちゃんねる故出典に値しませんが、逆を言えば2ちゃんねるに掲載されている以上、検証が可能な出典があると考えられます。検証可能な出典を探せばよいだけではないですか? 出典が出次第偵察メンバーの件は復帰ということで決定ですね。--ノーザン123会話2012年6月23日 (土) 06:55 (UTC)返信

今回、number10.19のビデオを発売している楽天オークションでの画像から第一試合において近鉄に村田辰美が偵察メンバーでスタメンに入っていたことも当時に新聞記事の切れ端のようなものがありロッテに伊良部秀輝がスタメンに入っていたことも確認できました。 詳細は[5]でご確認を--ノーザン123会話2012年6月23日 (土) 07:32 (UTC)返信

ある書籍について 編集

[6]で参考文献とされている書籍につきましては、次の点などから記事の出典に限って言えば不適切となり、信頼性にも疑問を拭いきれないところがあるため、該当個所を除去しました(他の編集もあります)。

  1. 構成、文体などからも小説としての側面が強く、歴史的事実の出典に歴史小説を挙げるような形となっている。
  2. 上記に関連、チームのミーティングを、特に説明もなく、関係者でもないのにまるで見たかのようにとれる書き方など(同書216頁)、事実の根拠に用いるのは困難な面が多い。
  3. 当該書籍が登場したのは[7]などで、そもそも書籍の宣伝目的記載の疑いすら否定しきれない。

--GDSTCB会話2012年6月14日 (木) 13:33 (UTC)返信

貴殿が挙げた内容についてはいささか納得できない。出典としてどうかと考える部分もあるが、参考文献の欄には記載しても問題ではない。故に出典を必要としない参考文献の項目には書籍名を記載しました。--ノーザン123会話2012年6月14日 (木) 21:05 (UTC)返信

当該書籍を最初に記載した利用者の投稿履歴などを再確認し、書籍の宣伝目的の疑いが強いと判断。また、10.19に関する書誌は多数ある中で(コンビニ販売ムックでも時折見る)、この本を特別視する理由は全くと言っていいほど見当たらず、もとより、上で述べたとおり、内容からも参考になりづらいので、除去しました。なお、当該書籍の記載を強く主張する方については、ノート:落合博満での議論も参照されたいところです。--GDSTCB会話2012年6月23日 (土) 06:08 (UTC)返信

そういう理由であれば削除に了承しましょう。--ノーザン123会話2012年6月23日 (土) 22:48 (UTC)返信

多くの皆様にここまで指弾を受けているとは知らずに今まで居りました。そもそもこうしたシステムやしきたりについて余りにも当方が認識不足であり、礼を欠く形となってしまいましたことを、遅ればせながら大いに恥じており、深くお詫び申し上げます。
ただ、誤解をしないで戴きたいのはあくまで当方がwikiについて異なった認識を持っておりました。・・・それぞれが見た立場、経験した足場からひとつの「10・19」という事象につき各論併記で掲示して、閲覧なさる方々に取捨の自由を保障するものと、もっと縛りのゆるい媒体と解釈していた当方の理解が災いを呼び込んだものと思われます。
その中で「宣伝くさい」とのご指摘もその通りだと首肯します。ただ、言い訳になりますが、執筆者についていかにロッテナインらと長きに渡り交流していた職業的立場にあった者か、またそこから面談等を経た事実などに信憑性を証明したいため(ウラを取って頂くにも便利)には、自己の職歴や社会的立場などを「自己紹介」代わりに書いたことが『宣伝?』と取られたのでしょう。
いずれにせよ、そうしたほうが「フェアであるはず」と判断したことが動機であります。

先輩の佐野様は近鉄のお立場から「10・19」について立派な書籍をものされています。ああしたフォローがなければ、「あの日」のことは当日ロクな取材陣が不在となっていた記者席の内情を鑑みれば、大きな救いとなりました。
当方はライターとして『なんとかパリーグの面白さを伝える記事を掲載』してくれる理解者を出版界に増やそうと、在京のビジター球場含め、縁があったロッテ側の人々中心に交じり合い、雑誌用ネタ探しの「転戦」に付き合う日々でした。
口をつぐんだまま(男らしく)オフレコでしか「10・19」での真相を語ろうとしないロッテベンチ諸氏。仕方なく大部分の発言者をぼかしたまま「10・19」数ヵ月後の年末『川崎球場に客が来た日』という作品をまとめ、あるノンフィクション賞募集に応募しておりました。
これが後年「本」という形で発行され、結果的には「10・19」につき佐野様のお書きになった近鉄側の真実があり、そしてこちらには「ロッテベンチ」にとどまらず「川崎球場職員ら」や「中華麺店」従業員、川崎署員などの全体像(の一部)を並列させることができました。
こうすることで、「10・19」「10・19の人間模様」を後世により正しく伝えるための「補完」にまた一歩前進したのではないかと、私は僭越ですが認識するわけです。

皆様には何の役にも立たない書き込みになったかも知れませんが、当方にはけして売名だの、もとより荒らしだのといった魂胆などなく、より広くもっともっとあの晩あの場に立ち会った者約3万、仮にすべての口から「私が見たもの」や(両軍にとどまらず)エピソードを拝読できましたらどれだけ素晴らしいことでしょうか。
1988年10月19日のあの晩を思うと今も鳥肌が立つほど感動がよみがえります。

それから、当日の第一試合終了後、第二試合開始まで一塁側選手サロンでの出来事は『参加した者でもないのに』との解釈がありましたが、あそこでの各発言者らの言動は後年になって水上善雄君が私に語った体験談であり、それを『参加してもいない者による記述』だからと排除されては世にノンフィクションレポートの類は消滅してしまうでしょう。
「感動を呼ぶ抱擁シーン」が度を過ぎて同情的な人々を憤激させる結果を呼び、それが激戦により火を点ける・・・という人間ドラマの妙を、よりにもよって「10・19」に想いを馳せる愛すべき人々に報告できないというのは断腸の想いです。

wikipediaについては仕事の関係上重宝しておりますが、『読みやすさ』を追求するがあまり、枝葉を切り落とすのも大変でしょうが、ガイコツのような『年表化』してゆくのは『10・19の実像』とはかけ離れてゆくように私は懸念しています。
欧米のwikiにみられますように、枝葉どころか、もっと他の樹木の果実さえある「多論併記」であったとしても、読む側にだってしっかり消化酵素があるのではないでしょうか。
長くなりましたが、真意のほどをご賢察戴いて、できましたら「一塁側の論理」も少しずつ加えさせて頂けたら有り難いと存じます。--マエノ牛朗会話2013年3月23日 (土) 04:34 (UTC)返信

GDSTCBさんによる未検証疑惑 独自編集の可能性 編集

10.19の先発メンバーの件でページを差し戻す前に一つ、確認したいことがあります。GDSTCBさんは2012年6月8日 (金) 21:22 (UTC)の投稿で「私は当時の新聞で確認したのですが、こうした検証が機能しない」と書き2012年6月9日 (土) 06:53‎ (UTC) に該当部分を削除しています。しかし、同氏は偵察メンバーの可能性には言及せず検証を怠ったばかりか、ノートに真実の内容に対し自分勝手に「デタラメ」と表現しています。

ちなみに私が「10.19先発メンバー」と検索すれば2チャンネルの情報がすぐ検索でき、雑誌numberで確認しようと考え「number10.19」と検索すると[8]で詳細の確認すら出来ました。 また、新聞では必ず偵察メンバーであれスターティングボードに氏名が出た段階で新聞に掲載されます。例えば代打の代打でバッターボックスに立たなかった選手も翌日の新聞には出場メンバーとして記載されるのです。

そうするとGDSTCBさんが出典可能な内容を独自検証で確認検証せず、勝手に削除をしたのではないのか?そもそも本当に新聞を確認したのか?という疑惑が浮かぶのです。 あなたの名誉を守る上でも非常に重要な内容ですので大変申し訳ありませんがGDSTCBさんには

  • 確認した新聞名
  • 新聞の日付
  • GDSTCBさんが確認した日時

この3点を明らかにしていただきたいと考えます。明らかにできない場合はは2012年6月9日 (土) 06:53‎ (UTC) のメンバー表の自発的差し戻しをお願いいたします。 あなたがノートで「私は当時の新聞で確認したのですが」と答えている以上、お答えいただけると考えます。また上記理由よりGDSTCBさんにはぜひ確認したとされる新聞社、新聞名をお答え願いたい。出場メンバーの内容はNUMBERや図書館にある新聞でいくらでも確認が可能です。お答えをお願いいたします。--ノーザン123会話2012年6月23日 (土) 08:02 (UTC)返信

10.19の2試合の出場メンバーは、NPB(パ・リーグ)の公式記録によるもので、1988年10月20日付の日本経済新聞で確認したものです。なお、日本では当時も2012年現在も、NPB公式戦の出場選手と記録の概要は翌日の新聞で広く報じられているところです。念のため、この書き込みにあたり、現在の版に出典として引用されている箇所のある[9]で確認したところ、特に書き間違いは見当たりませんでした。なお、偵察メンバーにその旨追記したのは彩華1226さんです[10]。ということで上記妄言は容認できる範囲を完全に超えていま、す。--GDSTCB会話2012年6月23日 (土) 10:53 (UTC)返信

GDSTCBさん。私が問題にしたのは第1試合でありあなたが言う第2試合ではありません。論点を勝手にずらさないでください。それでは第1試合は調べていなかったということですね。偵察メンバーにその該当の内容(第一試合のメンバーは)はすでに彩華1226さんが訂正してあるため問題ないですが、あなたの話した不適切な虚言は事実無根のため打ち消させていただきました--ノーザン123会話2012年6月23日 (土) 22:46 (UTC)返信

雑多な内容が多い試合内容について 編集

試合内容の文章が非常に読みにくいため雑多な内容を削除しました。全文を掲載しますので添削をお願いします

第一試合内容

初回にロッテは愛甲猛の2ラン本塁打で2点を先制。近鉄は小川の前に4回までパーフェクトに抑えられるが、5回表に鈴木貴久の本塁打で1点を返した。7回裏・ロッテ、四球2つなどで二死一・三塁から佐藤健一がタイムリー二塁打を放ち1点を追加、再び2点差とした。8回表・近鉄は、一死一・二塁から、代打・村上隆行が2点タイムリーを放ち3-3の同点に追いつくが勝ち越し打が出ず、同点のまま9回表を迎えた。当時のパ・リーグは「ダブルヘッダー第1試合は延長戦なし。9回で試合打ち切り」という規定があったため、近鉄はこの9回表に勝ち越さなければ西武の優勝が決まる状況であった。 9回一死、二塁の場面でロッテはリリーフに牛島和彦を投入。続く近鉄の鈴木は右翼手前に安打を放つ。三塁ベースコーチの滝内弥瑞生は本塁突入を指示したが、前進守備だった右翼手からの好返球もあり、走者の佐藤は三本間に挟まれタッチアウト。二死二塁となった。

ここで仰木監督はこの年での引退を決めていた梨田昌孝を代打に送る。またロッテは捕手を小山から袴田英利に交代した。一塁が空いており、敬遠も考えられる状況だったが、牛島は梨田との勝負を選んだ。ボールカウント1ボール0ストライクからの2球目、梨田はセンター前に落ちるヒットを放つ。二塁走者の鈴木は三塁を回り本塁へ突入。中堅手からの返球が届き、クロスプレイとなるも、鈴木は捕手のタッチをかいくぐりながら本塁に滑り込んで生還、近鉄が勝ち越し点をあげた。生還した鈴木は両手を広げて飛び出した中西太ヘッドコーチの胸に飛び込み、二人は抱き合ったまま倒れ込んで喜んだ。梨田は、二塁ベース上でガッツポーズをした。冷静沈着な梨田としては珍しいガッツポーズだった。

9回裏、抑えの吉井理人が先頭打者・丸山一仁に投球したへの際どい投球がボールと判定されたことを不服としてマウンドから駆け降り、球審に詰め寄った。結果丸山へは四球を与え、続く代打・山本功児に対しても制球が定まらず2ボール0ストライクとなった。ここで仰木監督は吉井を降板、リリーフに、2日前の試合で128球を投げ9回を完投していた阿波野秀幸を送った。阿波野は、一塁走者丸山の守備妨害などもあり二死一塁としたが、佐藤にこの試合4安打となる二塁打を許し、次打者愛甲も2ストライクと追い込みながらも死球を与え、二死満塁となった。

阿波野は次打者森田芳彦を三振に仕留めて試合終了。終了時刻は18時21分で、試合時間は3時間21分。近鉄の勝利により、優勝の行方は130試合目である第2試合に持ち越されることとなった。また、ロッテはこの試合に敗れたことで対近鉄戦9連敗となった。

ダブルヘッダー第2試合 試合内容

当時のパ・リーグは(9回で打ち切りとなるダブルヘッダー第1試合を除き)9回終了時点で同点の場合、最大12回までの延長戦を行うことになっていたが、「試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了を以って打ち切り」(但し8回完了前に4時間を経過した場合、9回終了まで続行)という規定もなされていた。

試合はロッテが2回裏にビル・マドロックの本塁打で1点を先制。しかし、試合中度々ストライクの判定をめぐって仰木監督や中西ヘッドコーチがベンチから飛び出し抗議を行うなど、球場内に不穏な空気が漂いながら試合は進んでいった。愛甲によると、第2試合が始まった直後自打球を足に当てて動けなくなったロッテの選手に対し、近鉄の仰木監督が聞こえよがしに「痛かったら代われば?」と声を掛けたのがロッテ側の憤激を買ったという[7]。

近鉄は6回表にベンジャミン・オグリビーのセンター前ヒットで同点に追いつき、続く7回表には、吹石徳一が2号ソロ、真喜志康永が3号ソロの本塁打で2点勝ち越した。吹石は骨折で登録を抹消されていた金村義明の代役出場で、梨田同様、この試合が現役最後の試合となった。本塁打を打った吹石に「カネ、やったぞ」と声をかけられた金村は号泣したという。一方、ロッテも7回裏、岡部明一がソロ本塁打。その後、近鉄は投手を吉井に代えたが、ロッテは西村徳文の適時打で同点に追いついた。

8回表、近鉄はラルフ・ブライアントが34号ソロ本塁打を放ち4-3とし再びリードを奪った。

ここで近鉄は8回裏から第1試合に続いて阿波野を起用した。しかし、高沢秀昭が阿波野の決め球スクリューボールを捉えて左翼スタンドに本塁打を放ち4-4の同点となった。、打たれた阿波野はマウンド上で下を向いて膝に両手をついて体を支えていた。捕手の山下のサインはストレートであったが、阿波野自身はストレートの調子が良くないとこれを拒否していた。阿波野は「なぜ山下さんがサインを出してくれたストレートを…信じられなかったのか」と後悔したと言う。なお、高沢は、後に、ストレートを待って右翼方向に打とうと準備していたところにスクリューボールがきて、バットがうまく返ったと述懐している。

9回表、近鉄は二死後大石第二朗が二塁打を放ち二死二塁としたが、次打者新井宏昌の三塁線を襲った強烈な打球を三塁手水上善雄が好捕。一塁へダイレクトに送球というファインプレイで新井をアウトにし、この回を無得点とした。新井は、この時珍しく塁審に抗議した。

9回裏、ロッテは先頭打者古川慎一がヒットで出塁。続く袴田英利は犠牲バントをしたが、阿波野と梨田が一瞬捕球を譲り合ったため慌てて交錯。内野安打となり無死一・二塁となった。ここで阿波野は二塁へ牽制球を投じたがけん制球が高めに浮き、それを大石がジャンプして捕球。その体勢のまま、二塁走者の古川と交錯しながらも触球しにいった。その際、古川の足が二塁ベースから離れたとして、二塁塁審の新屋晃はアウトを宣告。古川は新屋塁審に抗議し、ロッテ・有藤道世監督もベンチを飛び出して「大石が古川を故意に押し出した」と走塁妨害を主張した。

この抗議がなされた時点で試合時間は既に3時間30分を過ぎていた。近鉄ベンチから仰木が飛び出し有藤に迫り、客席からも罵声や怒号が飛び交うなど騒然とする中、有藤の抗議は9分間に上った。結局判定は覆らず一死一塁から試合再開となる。その後ロッテは二死満塁と攻め立てたが、愛甲猛が打った飛球を、

  1. 左翼手淡口憲治が猛ダッシュして地面すれすれでダイレクトキャッチ。勝負は延長戦に突入した。

延長10回表、この時点で規定の4時間が迫っており、近鉄の攻撃は事実上これが最後である。この回先頭のブライアントが、二塁ゴロを捕った西村の一塁送球をベースカバーの投手・関清和が後逸し出塁。安達俊也が代走として送られた。続くオグリビーは三振で一死となり、羽田耕一の打球は、ゴロを捕った二塁手・西村がそのまま二塁を踏み、一塁へ送球、併殺打で三死となった。

この時、時間は22時41分。試合開始から3時間57分が経過していた。残り3分で10回裏のロッテの攻撃を終わらせることは不可能であり、近鉄の優勝の可能性が消え、西武の優勝(パ・リーグ4連覇)が決まった。

しかし、優勝の可能性は消えても試合は続き、近鉄ナインは10回裏を守らなければならなかった(止めたら放棄試合)。マウンドに上がった加藤哲郎は投球練習を省略し、少しでも試合を早く進めようとしたが、22時44分が過ぎた。先頭の丸山一仁は四球、代走に伊藤史生が送られた。続くマドロックは捕邪飛に倒れた。次打者岡部に対して近鉄は投手を木下文信に交代、ロッテは代打に斉藤巧を送った。そして木下が斉藤と最後の打者古川慎一を三振に討ち取った。仰木監督は最後までベンチ中央に仁王立ちして指揮を執った。「悲劇の10回裏」と称された。

こうして4-4の同点のまま22時56分に時間切れのため試合終了。所要時間4時間12分。最終順位は1位西武、2位近鉄。最終ゲーム差0.0、勝率差は僅かに.002(一厘未満切り上げで正確には.0014)だった。試合終了後、仰木監督をはじめ、近鉄ナインは敵地ながらグラウンドに出て、三塁側とレフトスタンドに陣取ったファンへ深々と頭を下げ、挨拶を行った。ファンからは温かい拍手と「よくやった」などの労いの声が飛んだ。仰木コールも沸き起こった。選手たちは涙を流しながらも帽子を振って応えた。そして選手達はバスに乗り込み球場を後にしたが、近鉄ファンはそのバスを取り囲み最後の最後まで仰木監督や選手達を激励した。

以下、添削をお願いいたします。--ノーザン123会話2012年6月24日 (日) 21:53 (UTC)返信

現在の版と編集前の版を見ました。比べてみると不要なものが消えて読みやすくなっているが、まだまだ雑多な内容が多くいくつか修正したほうがよい。 <修正案>

  1. 右翼手からの好返球もあり、走者の佐藤は⇒右翼手からの返球もあり、走者の佐藤(フルネーム)は
  2. オグリビーのセンター前ヒットで同点に追いつき、続く7回表には、吹石徳一が2号ソロ、真喜志康永が3号ソロの本塁打で2点勝ち越した⇒オグリビーのタイムリーヒットで同点に追いついた。続く7回表には、吹石徳一、真喜志康永の連続ソロ本塁打で2点を勝ち越した。
  3. ロッテも7回裏、岡部明一がソロ本塁打。その後、近鉄は投手を吉井に代えたが、ロッテは西村徳文の適時打で同点に追いついた。⇒ロッテも7回裏、岡部明一の本塁打と西村徳文のタイムリーで同点に追いついた。
  4. 第1試合に続いて阿波野を起用した⇒(第1試合に続いて)阿波野をマウンドに送った。(文法のミス)
  5. 次打者新井宏昌の三塁線を襲った強烈な打球を三塁手水上善雄が好捕。一塁へダイレクトに送球というファインプレイで新井をアウトにし、この回を無得点とした。新井は、この時珍しく塁審に抗議した。⇒(次打者)新井宏昌の打った打球は三塁線を襲ったが三塁手水上善雄のファインプレイが飛び出し、この回を無得点とした。
  6. 9回裏、ロッテは先頭打者古川慎一がヒットで出塁。続く袴田英利は犠牲バントをしたが、阿波野と梨田が一瞬捕球を譲り合ったため慌てて交錯。内野安打となり無死一・二塁となった。ここで阿波野は二塁へ牽制球を投じたがけん制球が高めに浮き、それを大石がジャンプして捕球。その体勢のまま、二塁走者の古川と交錯しながらも触球しにいった。その際、古川の足が二塁ベースから離れたとして、二塁塁審の新屋晃はアウトを宣告。古川は新屋塁審に抗議し、ロッテ・有藤道世監督もベンチを飛び出して「大石が古川を故意に押し出した」と走塁妨害を主張した。⇒9回裏、ロッテは先頭の古川慎一がヒットで出塁。続く袴田英利の送りバントの際、阿波野と梨田が一瞬捕球を譲り合った結果、内野安打となり無死一・二塁となった。バッター水上の時に阿波野は二塁へ牽制球を投げた。けん制球は高めに浮き、大石がジャンプして捕球。補球した状態で、二塁走者の古川と交錯しながらタッチをした。タッチの際、古川の足が二塁ベースから離れたとして、二塁塁審の新屋晃はアウトを宣告。古川は新屋塁審に抗議し、ロッテ・有藤道世監督もベンチを飛び出して「大石が古川を故意に押し出した」と走塁妨害を主張した。
  7. この抗議がなされた時点で⇒この抗議が始まった時点で(敬語がおかしい)
  8. 抗議は9分間に上った。⇒9分間抗議が続いた。
  9. 左翼手淡口憲治が猛ダッシュして地面すれすれでダイレクトキャッチ。⇒左翼手淡口憲治が地面すれすれでキャッチ。(不要な文章が多い)
  10. 延長10回表、この時点で規定の4時間が迫っており、近鉄の攻撃は事実上これが最後である。この回先頭のブライアントが、二塁ゴロを捕った西村の一塁送球をベースカバーの投手・関清和が後逸し出塁。安達俊也が代走として送られた。続くオグリビーは三振で一死となり、羽田耕一の打球は、ゴロを捕った二塁手・西村がそのまま二塁を踏み、一塁へ送球、併殺打で三死となった。この時、時間は22時41分。試合開始から3時間57分が経過していた。残り3分で10回裏のロッテの攻撃を終わらせることは不可能であり、近鉄の優勝の可能性が消え、西武の優勝(パ・リーグ4連覇)が決まった。⇒延長10回表、この回先頭のブライアントの打った内野ゴロをベースカバーが後逸し出塁。代走として安達俊也が送られた。続くオグリビーは三振で一死、続く羽田耕一の打球は、二塁手・西村の正面に転がり。西村がそのまま二塁を踏みアウト、一塁へ送球、併殺打でチェンジとなった。

この時、時間は22時41分。試合開始から3時間57分が経過していた。残り3分で10回裏のロッテの攻撃を終わらせることは不可能であり、近鉄の優勝の可能性が消え、西武の優勝(パ・リーグ4連覇)が決まった。

  1. しかし、優勝の可能性は消えても試合は続き、近鉄ナインは10回裏を守らなければならなかった(止めたら放棄試合)。は不要。

この内容も参考にしてください。

またこれとは別にたびたび編集されているオリックス対ロッテの試合内容についてGDSTCB、ノーザン123両氏に突っ込みたい。

  • GDSTCBさんの内容は先発山沖之彦が31球で降板となるなど投壊により・・・では意味がまったく通じない。GDSTCBさんなら知識はあると判断するが野球における「降板」は主にイレギュラーによる投手交代を指しますこの試合で山沖は怪我でもしたのでしょうか?怪我でない降板ならKO、ノックアウトが一般的です
  • ノーザン123さんはノックアウトされるなど投手陣が打ち込まれによりと書いています。GDSTCBさんが編集する前はKOとなっていましたし、17-4というスコアから打ち込まれたと判断したのでしょう。ただ試合の詳細がわからない以上、打ち込まれたなどと適当な記述は避けるべきです。

またここまで両氏の編集が繰り返されるのは宜しくないと考えました。この部分だけは勝手ながら <また、オリックスはこの日4-17でロッテに大敗したが、試合後に西武の敗戦を知らされたオリックス上田利治監督は「そうかっ」と表情を変えたという> と試合結果のみを表示します。 長文失礼しました--魚拓まつり会話2012年6月25日 (月) 12:20 (UTC)返信

適時打とタイムリーヒットの記述が混在するのは避けるべきかと思います。

ロッテは初回に愛甲猛の本塁打で2点を先制、近鉄は4回までパーフェクトに抑えられていたが、5回表に鈴木貴久の本塁打で1点を返した。7回裏ロッテは二死一・三塁から佐藤健一の適時打で1点を追加、3-1とした。8回表・近鉄は一死一・二塁から代打・村上隆行の適時打で2点を返し3-3の同点に追いついた。当時のパ・リーグは「ダブルjヘッダーの第1試合は延長戦なし、9回で試合打ち切り」という規定があったため、近鉄が優勝するためには9回表に勝ち越さなければならなかった。一死、二塁の場面でロッテはリリーフに牛島和彦を投入、鈴木が右翼手前に安打を放つ。三塁ベースコーチの滝内弥瑞生は本塁突入を指示したが、前進守備の右翼手(ここには選手名を入れても良さそう。)からの好返球もあり、佐藤は三本間で挟殺されタッチアウト、二死二塁となった。

ここで仰木監督はこの年での引退を決めていた梨田昌孝を代打に送った。ロッテは捕手を小山から袴田英利に交代、一塁が空いており、敬遠も考えられる状況だったが、バッテリーは梨田との勝負を選んだ。2球目、梨田は中堅手前に落ちる安打を放ち、鈴木が二塁から本塁へ突入、クロスプレイとなったが捕手のタッチをかいくぐり、近鉄は待望の勝ち越し点をあげた。(喜ぶ様子は省く。)

9回裏、抑えの吉井理人が丸山へ四球を与え、代打・山本功児にも2ボールとなった。ここで仰木監督は吉井をあきらめ、2日前の試合で128球を投げ9回完投していた阿波野秀幸を送った。阿波野は二死一塁とした後、佐藤にこの試合4安打となる二塁打を許し、愛甲にも2ストライク(2ストライク0ボールでしょうか?)に追い込みながら死球を与え、二死満塁となった。次打者森田芳彦が三振に倒れて試合終了、3時間21分での近鉄の勝利により、優勝の行方は130試合目である第2試合に持ち越されることとなった。また、ロッテは対近鉄戦9連敗となった。

ダブルヘッダー第2試合 試合内容

試合はロッテが2回裏にビル・マドロックの本塁打で1点を先制した。試合中度々ストライクの判定をめぐって仰木監督や中西ヘッドコーチがベンチから飛び出し抗議を行うなど、球場内に不穏な空気が漂いながら試合は進んでいった。愛甲によると、第2試合が始まった直後自打球を足に当てて動けなくなったロッテの選手に対し、近鉄の仰木監督が聞こえよがしに「痛かったら代われば?」と声を掛けたのがロッテ側の憤激を買ったという[7]。

近鉄は6回表にベンジャミン・オグリビーの適時打で同点に追いつき、7回表には、吹石徳一、真喜志康永による2本の本塁打で2点勝ち越した。吹石は骨折で登録を抹消されていた金村義明の代役出場で、梨田同様、この試合が現役最後の試合となった。本塁打を打った吹石に「カネ、やったぞ」と声をかけられた金村は号泣したという。2点差を追うロッテは7回裏、岡部明一の本塁打で3-2と一点差に迫り、近鉄は投手を吉井に代えたが(抑えの吉井に交代したことは重要と思えるので残しておいた方がよさそう。)、ロッテは西村徳文の適時打で同点に追いついた。

8回表、近鉄はラルフ・ブライアントが34号ソロ本塁打を放ち4-3とし再びリードを奪った。近鉄は8回裏から第1試合に続いて阿波野をマウンドに送った。しかし、高沢秀昭が阿波野の決め球スクリューボールを捉えて左翼スタンドに本塁打を放ち4-4の同点となった。捕手の山下のサインはストレートであったが、阿波野自身はストレートの調子が良くないとこれを拒否していた。阿波野は「なぜ山下さんがサインを出してくれたストレートを…信じられなかったのか」と後悔したと言う。なお、高沢は、後に、ストレートを待って右翼方向に打とうと準備していたところにスクリューボールがきて、バットがうまく返ったと述懐している。

9回終了時点で同点の場合、最大12回までの延長戦を行うことになっていたが、「試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニング終了を以って打ち切り」(但し8回完了前に4時間を経過した場合、9回終了まで続行)という規定もなされていた。

9回表、近鉄は二死後大石第二朗が二塁打を放ち二死二塁としたが、次打者新井宏昌の三塁線を襲った打球が、三塁手水上善雄のファインプレイでアウトとなり、この回を無得点とした。新井は、この時珍しく塁審に抗議した。

9回裏、ロッテは先頭打者古川慎一がヒットで出塁。続く袴田英利のバントを、阿波野と梨田が譲り合った結果、内野安打となり無死一・二塁となった。ここで阿波野が二塁へ投げた牽制球が高めに浮き、それを大石がジャンプして捕球。補球した状態で、二塁走者の古川と交錯しながらタッチをした。タッチの際、古川の足が二塁ベースから離れたとして、二塁塁審の新屋晃はアウトを宣告。古川は新屋塁審に抗議し、ロッテ・有藤道世監督もベンチを飛び出して「大石が古川を故意に押し出した」と走塁妨害を主張した。

この抗議が始まった時点で試合時間は既に3時間30分を過ぎていた。近鉄ベンチから仰木が飛び出し有藤に迫り、客席からも罵声や怒号が飛び交うなど騒然とする中、有藤の抗議は9分間続いた。結局判定は覆らず一死一塁から試合再開となった。その後ロッテは二死満塁と攻め立てたが、愛甲猛が打った飛球を左翼手淡口憲治が地面すれすれでキャッチ。勝負は延長戦に突入した。

延長10回表、この時点で規定の4時間が迫っていた。この回先頭のブライアントは、二塁ゴロを打ったが、一塁のベースカバーに入った関清和が後逸し出塁、安達俊也が代走として送られた。続くオグリビーは三振で一死となり、羽田耕一の二塁ゴロが併殺打となり、三死となった。この時、時間は22時41分。試合開始から3時間57分が経過していた。

マウンドに上がった加藤哲郎は投球練習を省略し、少しでも試合を早く進めようとしたが、22時44分が過ぎて西武の優勝(パリーグ4連覇)が決まった。

先頭の丸山一仁は四球、代走に伊藤史生が送られた。続くマドロックは捕邪飛に倒れた。次打者岡部に対して近鉄は投手を木下文信に交代、ロッテは代打に斉藤巧を送った。そして木下が斉藤と最後の打者古川慎一を三振に討ち取り、4-4の同点のまま22時56分に時間切れのため試合終了。所要時間4時間12分。最終順位は1位西武、2位近鉄。最終ゲーム差0.0、勝率差は僅かに.002(一厘未満切り上げで正確には.0014)だった。試合終了後、仰木監督をはじめ、近鉄ナインは敵地ながらグラウンドに出て、三塁側とレフトスタンドに陣取ったファンへ深々と頭を下げ、挨拶を行った。ファンからは温かい拍手と「よくやった」などの労いの声、仰木コールなどがあった。選手たちは涙を流しながらも帽子を振ってそれに応えた。選手達が乗り込んだバスも、近鉄ファンは選手たちが球場をあとにするバスも取り囲み、最後の最後まで仰木監督や選手達を激励した。

ノーザンさんと魚拓まつりさんの文面を参考に記述しました。延長の規定については第二試合の冒頭よりも9回、あるいは10回のあたりに置く方が適当と考えました。--Tiyoringo会話2012年6月26日 (火) 15:19 (UTC)返信

10.19や翌年の10.12に至る経緯の記述について 編集

これらの部分は、基本的に簡潔を旨とし、詳細に書きたい場合は1988年の野球1989年の野球などに書かれるべきものです。--GDSTCB会話2012年8月11日 (土) 04:43 (UTC)返信

仰るとおりですが、閲覧者が読みやすいように一部文章を構成した。--雷鳥よ行け会話2013年3月31日 (日) 00:38 (UTC)返信

↑については、内容や当該部分の文体からも、このノートでもあったwikipedia:投稿ブロック依頼/ノーザン123関連の蒸し返しと判断されます。--GDSTCB会話2013年3月31日 (日) 09:54 (UTC)返信

雷鳥よ行けはブロックユーザーのアカウント破りの為、1年間ブロックされました。--あな34(須魔寺横行)会話2013年4月1日 (月) 17:45 (UTC)返信

第2試合終了シーンでの二塁手守備位置について 編集

[11]で、ロッテの二塁手が「近鉄に勝たせてやろうという心境になり、羽田は打球を引っ張ると予想して、予め二塁寄りに守っていたが、それが結果として裏目になった」という趣旨の加筆が出典明記の上でありますが、その出典を見ていない立場からは、次の疑問が出てきます。出典の信頼性にかかわる話で、また、話の内容から記述には慎重にならざるを得ないので、ここに書きます。

  1. 右打者の羽田が「打球を引っ張ると予想」となれば、打球は二塁ベースより三塁側に飛んで二塁手の守備範囲に来る可能性が低くなり、二塁手の定位置より二塁、三塁側に来る可能性が高いと予想したということになる。
  2. 一方で、仰木著『燃えて勝つ』で二塁手が定位置ならば羽田の打球は中前に抜けていた、という趣旨の記述がある(30頁)。

--GDSTCB会話2012年12月28日 (金) 14:37 (UTC)返信

前者は本人が言ったという話のまた聞きで、後者は監督の談話で、どちらも直接本人のコメントではなく、こういう場合は両方併記で書いておけば良いのではないでしょうか?西村本人がインタビューや著書で直接述べた、という事でもない限り、100%の正解はありえないと思えます(この場合の100%は、記憶違いや思い込みでまったく違う事を言った可能性もあるので、「事実として正しいか」という意味ではなく、「wikipedia的出典」においての100%という意味で)。なお記述は、出典から抜粋して書いたので、前後の文が必要であるなら、新年明けまでしばらくお待ちください(図書館なので)。--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月29日 (土) 04:11 (UTC)返信

ご回答ありがとうございます。私も図書館に行けず困ったな、と思っているところです。私の提起に補足すると、「近鉄に勝たせてやろうという心境」と「予め二塁寄りに守っていた」が、私の理解力ではどうしてもつながらないですし(端的にいうと、二塁寄りに守ることが特におかしいとは考えにくい場面)。--GDSTCB会話2012年12月29日 (土) 04:56 (UTC)返信
私も記憶違いがあるかも知れないという前提で言えば「西村は羽田がライト側に引っ張ると予測して二塁寄りに守ってた」という記述のはずです。あと、改めて読みかえすと、出典にページ数つけてなかったですね、私。--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月29日 (土) 10:13 (UTC)返信
たまたま本が入手できたので、明らかに違う箇所だけは修正しました。内容が全然違ってた事についてはお詫びします。--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月31日 (月) 03:16 (UTC)返信
見かねて弁護します。西村君が佐野氏に対し「近鉄に優勝させたかった」と語ったことに皆さんが疑問を呈されておられるようですが、当時から高沢、水上、愛甲、袴田、高畠故人、少なくとも私自身と交友のある方々は西村君と同様の同情的立場に立って、あの日(高沢などはそれ以前から、)第一試合開始時点ではロッテナインほぼ全員の共通意思でした。機会があったら、直接取材なされれば納得していただけると思います。
当時現場に立ち会って雰囲気を知る者として、むしろ佐野氏が疑われていること自体に驚きを感じました。
ロッテ本社からの『絶対に近鉄には負けるな』という有藤監督が10・19前日受け取った通達は、ミーティングの席で選手らに監督の口から伝えられたものの、有藤氏にとってそれは「業務命令」で絶対であり、選手らにとっては「できれば勝つように」という程度で受け流されていたという温度差が明確に根底にはありました。
それが試合開始から、あの終了までの数時間において(焦るがあまり?)近鉄側諸氏のがむしゃらな態度、それに配慮のなさによって、次第に陰に陽にそれは欠け落ちて行き、ほとんどの者に『結果はともかく、負けたくない』といった気持ちにまでさせてしまった事を認識して下さらない、「10・19」にさざめいていた心のヒダまで再現することは困難だと思うのですが。必要とあらば私の責任において実名で申し上げることもやぶさかではありません。--以上の署名のないコメントは、マエノ牛朗会話投稿記録)さんが 2013年3月22日(金)8:49:49‎ (JST) に投稿したものです(HOPE会話)による付記)。
誰の何の発言に「疑問を呈され」たかは分かり兼ねますが、出典にあった通りの記述をしたまでです(その記述は間違えてましたけど)。実際どうだったかについては関知していませんし、実際に出典が出なければここでは何等興味を示すものではないでしょう、10.19について、個人的感情としては色々言いたい事はありますが、それはそれ、これはこれです。--あな34(須魔寺横行)会話2013年3月22日 (金) 12:31 (UTC)返信

しばらくぶりにつきインデントも戻し。近鉄球団史で、やはり伝聞として掲載されていることが確認できたので、近鉄球団史に掲載されている話に基本的に絞って、要検証タグを外して見ました。--GDSTCB会話2013年5月26日 (日) 11:58 (UTC)返信

球場の状況 編集

日本プロジェクト・プロデュース『ありがとう川崎球場 : 川崎球場史 1952~2000』 川崎市環境局 、2001年によると、同球場は、1991年に人工芝、スコアボード電光表示の導入、1992年に水洗トイレ工事完了とあるが(同書64頁)、これらの工事が10.19を契機としたものである旨の記述は見当たらず。また、出典の記載もなく、川崎球場の項目との整合性の問題もあり、[12]のとおり整理しました。--GDSTCB会話2013年3月24日 (日) 07:36 (UTC)返信

10.12の記事を新たに作成して分割する提案 編集

10.12の記述部分は分割して10.12を単独記事として新たに作成した方が良いのではないでしょうか?10.12の部分だけでも十分なサイズになっていますし、その方が記事の発展も望める気がします。あと10.12が記事としてある場合、1989年の野球カテゴリに入れる事が出来ますし、10.19の下の部分にあるよりも単独記事としてあった方が見やすいかと。 --114.148.204.195 2013年10月27日 (日) 19:12 (UTC)返信

  反対 1989年の野球カテゴリに入れたければ、この項目の編集対応で十分。サイズの問題も編集で肥大化を改善することが先決。--GDSTCB会話2013年10月27日 (日) 20:55 (UTC)返信

  コメント 賛成も反対もせず。10.19から分割という形での作成には違和感がある。特筆性に必要な出典を用意した上で新規に作成という方が自然と思われる。 --須磨寺横行会話) 2013年10月28日 (月) 15:09 (UTC)--須磨寺横行会話2013年10月28日 (月) 15:13 (UTC)返信

wikipediaにおいてはどの球団であっても公正中立な立場で編集するのは当然ですが、近鉄に関しては中立的意見を100%通せる自信はありませんので、今回はこれ以上申しません。よって、反対もしなければ、賛成もしません。建てるつもりなら、先に提案してましたので(個人的感情だけで言えば、北川優勝決定ホームランで項目作りたいくらいですが、さすがにこれは無理だと分かってますので)--須磨寺横行会話2013年10月28日 (月) 18:58 (UTC)返信

  コメント 特筆性がないスポーツ結果を日付で表現することに反対。10.8や10.19のように試合に関連した書籍が出ていれば別だが、10.12は関連書籍ないことが最大の理由。仮に日付で記事が作成できるなら虎党の私は1973年の10.22(巨人との優勝決定戦 試合終了後暴動発生等特筆性はあり)があってもよいと思う。しかし、どこかで歯止めをかけないと10/1~10/31まで日付で全てスポーツ関連の単独記事ができてしまう恐れもあります。後は須磨寺横行会話) さんとほぼ同じ意見です。--ノーザン123会話2013年10月29日 (火) 16:02 (UTC)返信

  コメント 牛党だから言うわけでもないですが、10.12と単独項目化するのが妥当かどうかはともかく「特筆性がないスポーツ結果」というのは容認できない。それならそちらの10.22の単独項目化の方がよほど問題があるように思われる。10.12としてはともかく、ブライアントの4連発が取り上げられているのは(単独書籍化はないとしても)充分すぎるほどの出典はつけられます。私としては10.12についてはブライアントの項目で節を独立させて詳細に記述すれば済む話だと思います。またそれまでの展開と優勝決定については近鉄の項目の1989年の部分で触れれば良いと思います(日本シリーズは単独項目ありますし)--須磨寺横行会話2013年11月3日 (日) 18:32 (UTC)返信

  コメント 須磨寺横行会話) さん。言葉が至らなかった点は申し訳ない。要は10.12はNGだが、ブライアント4連発やそれに類似する題名ならOKとの認識です。阪神のバックスクリーン3連発が単独記事であるのだから、充分な出典をつけて『ブライアント4連発』などの題名で新規作成すればよいのではないでしょうか--ノーザン123会話2013年11月3日 (日) 21:34 (UTC)返信

  コメント (ノーザン123氏に)別に構いませんよ。話代わりますけど、私は10.19並みに書かなければ10.12を作成を容認しないとは申してませんので。この10.19くらい書けば誰も文句言わないであろう、と思ってるだけですので、それ以下については、建てれるかどうかは記述量と出典がついてるかによるだろう、としておきます。一部、誤解受けてるようなので、コメントは返しておきます--須磨寺横行会話2013年11月5日 (火) 10:51 (UTC)返信

wikipedia:コメント依頼/GDSTCB 20131029で関連した議論がなされました。--Tiyoringo会話2015年5月2日 (土) 07:24 (UTC)返信

第2試合終了後の結果について 編集

「勝率差は僅かに.002(一厘未満四捨五入。正確には.0014)」とありますが、言葉通りにとらえると「勝率差は僅かに.002(一厘未満”切り上げ”。正確には.0014)」または「勝率差は僅かに”.001”(一厘未満四捨五入。正確には.0014)」じゃないの?と思います。

小数点以下3桁で表示するのが慣習になっているようですが、これに限っては4桁で「勝率差は僅かに.0014」もいいんじゃないか、とも。 私自身はこの手の話題に疎いので、見た人が納得できるような書き方をお願いしたいです。--Kaizin20memsou会話2020年11月7日 (土) 05:53 (UTC)返信

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