ハインリヒ・ブレリング

ハインリヒ・ブレリング(Heinrich Christoph Gottlieb Breling、1849年10月14日 - 1914年9月6日)はドイツ画家である。ニーダーザクセン州フィッシャフーデの芸術家村で活動した画家の一人である。

ハインリヒ・ブレリング
Heinrich Breling
自画像 (1911)
誕生日 1849年10月14日
出生地 ドイツの旗 ドイツブルクドルフ
死没年 1914年9月6日
死没地 ドイツの旗 ドイツフィッシャフーデ
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略歴 編集

ニーダーザクセン州のブルクドルフに生まれた。子供時代をフィッシャフーデで育った。ハノーファーの技術学校で学んだ後、1872年からミュンヘン美術院ヴィルヘルム・フォン・ディーツに学んだ[1]。1883年にミュンヘン美術院の教授に任じられ、1884年からバイエルン王国のルートヴィヒ2世宮廷画家となった[1]

1886年にルートヴィヒ2世が謎の死をとげた後、ハノーファーに戻り、夏の間はフィッシャフーデで過ごした。1908年に家族とフィッシャフーデの近くのブレデナウに移り、スタジオも開いた。娘の一人は、1909年に画家のオットー・モーダーゾーンの3度目の結婚相手となった。

風俗画を描き、後年は騎乗した兵士の絵を描いた。


作品 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Katrin Bellinger Master Drawings Archived 2014-04-20 at the Wayback Machine.

参考文献 編集

  • Jean Louis Schlim: Ludwig II. Traum und Technik. MünchenVerlag, München 2010, ISBN 978-3-937090-43-6 (mit Aquarellen von Heinrich Breling).
  • Heinrich Breling. In: Allgemeines Künstlerlexikon, Bd. 14. Saur, München und Leipzig, 1996, S. 99–100.
  • Rainer Noeres, Wolf-Dietmar Stock: Heinrich Breling. Fischerhude 1999.