ハリー・ワトラス(Harry Willson Watrous、1857年9月17日 - 1940年5月10日)はアメリカ合衆国の画家である。

ハリー・ワトラス
Harry Watrous
誕生日 1857年9月17日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国,サンフランシスコ
死没年 1940年5月10日
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国,ニューヨーク
芸術分野 画家、NAD校長
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略歴 編集

サンフランシスコで生まれた。1881年からパリに5年間滞在し、私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンや、写実主義の画家レオン・ボナのアトリエで学んだ。ジャン=レオン・ジェロームウィリアム・アドルフ・ブグロー、特にロマン主義の画家、ジャン=ルイ=エルネスト・メッソニエの影響を受けたとされる[1]

1895年からニューヨークの美術学校、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインで働くようになり、1898年から1920年は事務局を務め、1933年から1934年の間校長も務めた。人物画や夜景や静物画を描いた晩年は目を悪くし、独特な質感の女性像を描いた[2]

作品 編集

ジョージ湖の怪物 編集

ワトラスは、「ジョージ湖の怪物」(Lake George Monster)として1904年にニューヨークの新聞に報じられた事件の仕掛け人であった。釣果を競う賭けの相手が、作り物の魚でからかった仕返しに3mほどの材木をつかって正体不明の生き物の像を作り、ロープで引っ張って、賭けの相手を驚かせた。30年後に種明かしをして、その時作った生き物の像はジョージ湖歴史博物館(Lake George Historical Museum)に展示されている。

脚注 編集

参考文献 編集