バンガリー (特設機雷敷設艦)
バンガリー (HMAS Bungaree) はオーストラリア海軍の特設機雷敷設艦。
「バンガリー」は1937年にアデレード汽船会社 (Adelaide Steamship Company) 向けに建造された[1]。船名はアボリジニのコミュニティの指導者で探検家のバンガリーにちなむ[2]。
1940年9月に戦時内閣は日本参戦に備えた機雷敷設政策を承認[3]。それにより「バンガリー」は1940年10月10日に徴用され、機雷敷設艦に改装された[3]。1941年6月9日、Norman Calder中佐の指揮下で就役した[3]。
「バンガリー」は排水量3043トン、長さ357フィート2インチ、幅48フィート8インチ、吃水20フィート6インチ、速力10.5ノット、乗員179名であった[3]。 兵装は4インチ砲2門、12ポンド両用砲1門および機関砲を搭載した[3]。機雷搭載量は当初423個であったが[4]、後に467個となった[5]。
「バンガリー」は1941年8月15日にポートモレスビー付近で最初の防御的機雷原を構築し、以後オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニア、ニューギニア周辺への機雷敷設を行った[3]。また、船団護衛にも従事した[3]。日本の特殊潜航艇によるシドニー港攻撃の際「バンガリー」は港内にあったが、敵を見ず、被害もなかった[3]。防御用の機雷原が必要のない戦況となると「バンガリー」の任務は測量にかわり、1944年3月から7月にかけてトレス海峡の測量を行った[3]。その後は輸送任務に従事した[3]。
「バンガリー」は1946年8月7日に退役し、1947年11月5日に元の所有者に返還された[3]。1947年、「バンガリー」の敷設した機雷の掃海中に掃海艇「ウォーナンブール」が触雷して沈没している[6]。
1957年に売却されて「Dampier」と改名[7]。1960年に再び売却され[1]、「Eastern Mariner」と改名[8]。
1966年5月26日、サイゴン川で触雷、沈没[3]。日本の会社が引き揚げ、「Kitagawa Maru No.15」と改名[7]。1968年に解体された[7]。
脚注
編集- ^ a b Gillett and Graham, Warships of Australia, p. 212.
- ^ Navy Ships,Boats & Craft:HMAS Bungaree, オリジナルの1 February 2019時点におけるアーカイブ。 2 February 2019閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l HMAS Bungaree | Royal Australian Navy(2022年5月10日閲覧)
- ^ Gill, Royal Australian Navy, 1939–1942, p. 420.
- ^ Lange, Don (26 November 2001). “Mystery Ship Bungaree”. Navy News: The Official Newspaper of the Royal Australian Navy 44 (23): p. 29
- ^ HMAS Warrnambool (I) | Royal Australian Navy(2022年5月11日閲覧)
- ^ a b c “Adelaide Steamship Company”. The Ship List. 2022年5月11日閲覧。
- ^ Morley, Dave (12 September 2013). “Corvette's final sweep”. Navy News: p. 16
参考文献
編集- Gill, G. Herman (1957). Royal Australian Navy, 1939–1942. Official History of Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy. Volume I (1st ed.). Canberra: Australian Capital Territory: Australian War Memorial
- Gillett, Ross; Graham, Colin (1977). Warships of Australia. Adelaide, South Australia: Rigby. ISBN 0-7270-0472-7