パブロ・ガルガーリョ(Pablo Gargallo、1881年1月5日 - 1934年12月28日)は、スペインの彫刻家である。

パブロ・ガルガーリョ
Pablo Gargallo
1909年ころののガルガーリョ
誕生日 (1881-01-05) 1881年1月5日
出生地 スペイン、マエリャ(Maella)
死没年 1934年12月28日(1934-12-28)(53歳)
死没地 スペイン、レウス
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ガルガーリョ作、くぼみで休む女性 (1922)
パブロ・ガルガーリョ美術館

略歴 編集

スペイン、アラゴン州サラゴサ県のマエリャ(Maella)で生まれたが1888年には家族とバルセロナに移った。バルセロナで美術の修行を始め、バルセロナのカフェ「四匹の猫(アルス・クアトラ・ガッツ)」を訪れ、パブロ・ピカソ(1881-1973)やフリオ・ゴンサレス(1876-1942)といった若い芸術家たちと友人になった。1898年に展覧会に参加し、1899年にエウゼビ・アルナウ(Eusebi Arnau: 1864–1933)というバルセロナの彫刻家の弟子になって修業を続けた[1]

フリオ・ゴンサレスの作品の影響を受けて、金属板やボール紙から立体作品を制作する前衛的なスタイルの作品を制作し、キュビスム表現主義と言える作品も制作した。また伝統的なスタイルの青銅像や大理石像なども制作した。

生涯の重要な時期を、パリで活動し、1903年からしばらくの間はモンマルトルの集合アトリエ兼住宅の「洗濯船」でマックス・ジャコブ(1876-1944)やフアン・グリス(1887-1927)や友人のピカソらと活動した[2] 。このころピカソの頭部像を制作した。1904年にフアン・グリスの紹介でお針子の女性(Magali Tartanson)と知り合い結婚した。

1906年に、カタルーニャの建築家、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー(1850-1923)がバルセロナのサン・パウ病院カタルーニャ音楽堂の建設を行った時、装飾彫刻をガルガーリョに依頼し、ガルガーリョは1911年までその仕事に取り組んだ。

1934年末、作品の展覧会を開く予定だったカタルーニャのレウスへ移動中の風邪から重度の肺炎となりレウスで53歳で亡くなった。

1985年にサラゴサにパブロ・ガルガーリョ美術館(Museo Pablo Gargallo)が開設された。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ Sophie Clauwaert, Pablo Gargallo, in L'Eventail, november 2018
  2. ^ Rafaël Ordoñez Fernández, Pablo Gargallo, La tradición de la vanguardia, Museo Pablo Gargallo, 2004, Ed. Ayuntamiento de Zaragoza, p. 48

参考文献 編集