パ・ド・カトル
沿革
編集ジュール・ペローがチェーザレ・プーニの作曲により振り付けた1幕の作品で、1845年7月12日にロンドンのハー・マジェスティーズ劇場で初演された[1]。
この作品は評論家や一般の観客にセンセーションを巻き起こした。その理由は、当時著名だった4人のバレリーナ、登場順にルシル・グラーン、カルロッタ・グリジ、ファニー・チェッリート、マリー・タリオーニが一度に同じ舞台に登場するということであった[2]。ロマンティック・バレエ時代の著名なバレリーナの1人と目されていたファニー・エルスラーはこの公演への参加を断ったが、その代わりに新進気鋭のバレリーナ、ルシル・グラーンが出演した。
このオリジナルキャストによる『パ・ド・カトル』の公演は4回のみだった[3]。3回目の公演には、ヴィクトリア女王及びアルバート皇太子も臨席している。
再演
編集初演からおよそ100年の後、1941年にイギリスの振付家アントン・ドーリンがこの演目を復活させた。彼がキャスティングしたダンサーはナタリア・クラソフスカ(ルシル・グラーン)、ミア・スラヴェンスカ(カルロッタ・グリジ)、アレクサンドラ・ダニロワ(ファニー・チェッリート)、アリシア・マルコワ(マリー・タリオーニ)である。
構成
編集幕が開くと、シャロン(A. E. Chalon)による初演時のリトグラフと同じポーズを取った4人のバレリーナ(彼女たちの衣装や髪型もリトグラフと同じである)が、活人画のように静止している。
やがて彼女たちは踊り始める。4人の役名は、1845年初演当時のバレリーナ名に因んでいて、それぞれのイメージを想起させるヴァリアシオンが振付けられている。
全員で踊るコーダが終わると、彼女たちはまた仲良くもとのポーズに戻って幕が下りる。
エピソード
編集踊る順番について、キャリアの長いタリオーニが最後に踊ることは他の3人も同意していたが、タリオーニの前に踊るのは誰かという件でチェッリートとグリジが諍いを起こした。困り果てたペローは、劇場支配人のベンジャミン・ラムリー(Benjamin Lumley)に相談して名案を授かった。「年長の者が順番を決めてよい」というものである。それを聞いたチェッリートとグリジは互いに譲り合い、稽古は無事に再開された。当時、タリオーニは40歳、チェッリート28歳、グリジ26歳、グラーン24歳であり、本番でも若い順からの登場となった。
脚注
編集参考文献
編集- 鈴木晶『バレエ誕生』(新書館)
- デブラ・クレイン、ジュディス・マックレル 『オックスフォード バレエダンス事典』 鈴木晶監訳、赤尾雄人・海野敏・長野由紀訳、平凡社、2010年。ISBN 978-4-582-12522-1