ヒューゴ・フォーゲル(Hugo Vogel、1855年2月15日 - 1934年9月26日)は、ドイツ画家である。

ヒューゴ・フォーゲル
Hugo Vogel
誕生日 1855年2月15日
出生地 ドイツ,マクデブルク
死没年 1934年9月26日
死没地 ドイツ,ベルリン
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略歴 編集

ザクセン=アンハルト州マクデブルクで商人の息子に生まれた。実業学校を卒業した後、1874年から1880年まで、デュッセルドルフ美術アカデミーで、ヴィルヘルム・ゾーンエドゥアルト・フォン・ゲープハルトらに学んだ。1883年にプロイセンの美術アカデミーの展覧会に出展した[1]イタリアで修行した後、1886年にベルリンに住むようになり、翌年、ベルリンの美術アカデミーの教授となり1892年まで教授職を続けた。1892年にエドヴァルド・ムンクの最初の展覧会がベルリンで開催されたが、新聞からの激しい批判に従う形で、ベルリン画家協会が予定を早めて7日間で展覧会を終了させた「ムンク事件」が起こった時、アカデミーの保守的な会長、アントン・フォン・ヴェルナーらに抗議する形で教授を辞任した。「ベルリン分離派」の母体となった画家のグループ、「11人協会」のメンバーとして活動した。フォーゲルの教えた学生にはアウグスト・フォン・ブランディス(de:August von Brandis)やクララ・ジーベルト(Clara Siewert)がいる。

1893年にはパリを訪れ、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学び、スペイン北アフリカオランダベルギーなどを旅した。

1900年の大ベルリン美術展(Große Berliner Kunstausstellung)で金賞を受賞した。ベルリンやハンブルクメルゼベルクなど、いくつかの街のタウンホールの壁画も描いた。第一次世界大戦中は、タンネンベルクの戦いを勝利させた軍司令官、パウル・フォン・ヒンデンブルクの公式肖像画家として、ヒンデンブルクに随行し、作品を描いた。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ Hamburger Ansichten – Maler sehen die Stadt. Hamburger Kunsthalle, Wienand Verlag, S. 195.

参考文献 編集

  • Sabine Liebscher: Vogel,Hugo. In: Guido Heinrich, Gunter Schandera (Hrsg.): Magdeburger Biographisches Lexikon 19. und 20. Jahrhundert. Biographisches Lexikon für die Landeshauptstadt Magdeburg und die Landkreise Bördekreis, Jerichower Land, Ohrekreis und Schönebeck. Scriptum, Magdeburg 2002, ISBN 3-933046-49-1.