ピュライメネース古希: Πυλαιμένης, Pylaimenēs)は、ギリシア神話の人物で、エネトイ人、あるいはパプラゴニア人の王である。長母音を省略してピュライメネスとも表記される。ビルサテースの子[1]、あるいはメリウスの子[2]ハルパリオーンの父。

ピュライメネースは内乱が起こったとき、パプラゴニア英語版から追放されたという[3]。その後、トロイア戦争のときにパフラゴニア人を率いてトロイアを救援し、ギリシア軍と戦ったが[4]、『イーリアス』の初日にメネラーオスに討たれた。さらにアンティロコスはピュライメネースの御者ミュドーンを討ち、馬を奪った[5]。しかしホメーロスは後に息子ハルパリオーンがメーリオネースに討たれ、その遺体をイーリオス城に運ぶとき、ピュライメネースもそれに付き添ったと述べており[6]、物語に矛盾があることが古くから指摘されている。

一説によればピュライメネースはアキレウスに討たれた[7]。また戦後、ピュライメネースの部下たちはアンテーノールとともにイタリアに移住した[8]

脚注 編集

  1. ^ アポロドーロス、摘要(E)3・35。
  2. ^ クレータのディクテュス、2巻35。
  3. ^ リーウィウス、1巻2。
  4. ^ 『イーリアス』2巻851行-855行。
  5. ^ 『イーリアス』5巻576行-589行。
  6. ^ 『イーリアス』13巻643行-659行。
  7. ^ クレータのディクテュス、3巻5。
  8. ^ リーウィウス、1巻2-3。

参考文献 編集