フィッツクラレンス
姓 (FitzClarence)
フィッツクラレンス(英: FitzClarence; 「クラレンスの子」の意) は、イギリスの王族であったクラレンス公爵ウィリアム王子(後のイギリス王ウィリアム4世)が愛妾ドロシー・ジョーダンとの間にもうけた庶子たちの姓。
クラレンス公爵は10人の庶子全員にフィッツクラレンス姓を名乗らせた。即位後の1831年に長男のジョージをマンスター伯爵へ叙している。マンスター伯爵家の男系は2000年に第7代マンスター伯爵アンソニー・フィッツクラレンスが死去したことによって断絶した。他に五男オーガスタス卿にも息子がいたが、こちらの男系子孫も既に断えており、現在ウィリアム4世の血を引きフィッツクラレンス姓を名乗っている人物はいない。
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クラレンス公爵の長男、初代マンスター伯爵ジョージ・フィッツクラレンス
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クラレンス公爵の次女で陸軍軍人チャールズ・リチャード・フォックスと結婚したレディ・メアリー・フィッツクラレンス
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クラレンス公爵の三男、フレデリック・フィッツクラレンス卿
系譜
編集- 初代マンスター伯爵ジョージ・オーガスタス・フレデリック・フィッツクラレンス(1794年 - 1842年)
- 第2代マンスター伯爵ウィリアム・フィッツクラレンス(1824年 - 1901年)
- 第3代マンスター伯爵ジェフリー・ジョージ・ゴードン・フィッツクラレンス(1859年 - 1902年)
- 第4代マンスター伯爵オーブリー・フィッツクラレンス(1862年 - 1928年)
- ハロルド・エドワード・フィッツクラレンス(1870年 - 1926年)
- 第5代マンスター伯爵ジェフリー・ウィリアム・リチャード・ヒュー・フィッツクラレンス(1906年 - 1975年)
- ジョージ・フィッツクラレンス(1836年 - 1894年)
- チャールズ・フィッツクラレンス(1865年 - 1914年)
- 第6代マンスター伯爵エドワード・フィッツクラレンス(1899年 - 1983年)
- 第7代マンスター伯爵アンソニー・チャールズ・フィッツクラレンス(1926年 - 2000年)
- 第6代マンスター伯爵エドワード・フィッツクラレンス(1899年 - 1983年)
- チャールズ・フィッツクラレンス(1865年 - 1914年)
- 第2代マンスター伯爵ウィリアム・フィッツクラレンス(1824年 - 1901年)
- ヘンリー・エドワード・フィッツクラレンス(1795年 - 1817年)
- ソフィア・フィッツクラレンス(1796年 - 1837年)
- メアリー・フィッツクラレンス(1798年 - 1864年)
- フレデリック・フィッツクラレンス卿(1799年 - 1854年)
- エリザベス・フィッツクラレンス(1801年 - 1856年)
- アドルファス・フィッツクラレンス卿(1802年 - 1856年)
- オーガスタ・フィッツクラレンス(1803年 - 1865年)
- オーガスタス・フィッツクラレンス卿(1805年 - 1854年)
- ヘンリー・エドワード・フィッツクラレンス(1853年 - 1930年)
- オーガスタス・アーサー・コーンウォリス・フィッツクラレンス(1880年 - 1915年)
- ヘンリー・エドワード・フィッツクラレンス(1853年 - 1930年)
- アメリア・フィッツクラレンス(1807年 - 1858年)