フィリップ・オブ・コニャック
フィリップ・オブ・コニャック(英: Philip of Cognac、仏: Philippe de Cognac、1180年頃 ‐ 1230年頃)は、イングランド王リチャード1世の庶子。母親は不明[1]。
フィリップ・オブ・コニャック Philip of Cognac | |
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出生 |
1180年頃 |
死去 |
1230年頃 |
配偶者 | アメリ・ド・コニャック |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | イングランド王リチャード1世 |
概要
編集彼の人生についてはあまり多くのことは分かっていない。1180年頃に生まれ、1190年代末に成人を迎えたとされている。父リチャード1世は、彼をフランスのイティエ5世・ド・コニャックの娘で相続人のアメリ・ド・ジャルナックもしくはコニャック(仏: Amélie de Cognac / Amélie de Jarnac、英: Amelia of Cognac)と結婚させた。コニャック城を与えられたことからフィリップ・ド・コニャックと呼ばれるようになる。詳細な没年は不明。13世紀の早い時期に亡くなったとみられる。
脚注
編集- ^ アキテーヌ出身の女性であるといわれている。
参考文献
編集- レジーヌ・ベルヌー 著、福本秀子 訳『リチャード獅子心王』白水社、2005年3月。ISBN 4-560-02605-X。